まほやく

 この世界で一番大切なあなただからこそ、手放さなければならなかった。
 立場も、何もかもを捨てられるだけの度量がなかったと言われればそれまでだが。
 私はあなたが、賢者様が何よりも誰よりも愛おしい。
 だから、この手を離す。

「賢者様、私を愚かと笑いますか? 酷い男だと貶しますか?」
「……確かに、何も相談もせずに色々決められたことは怒ってます。でも、アーサーがそれ以上に苦しんだことも分かります。だから、そうですね……あなたを、許します」
「賢者様……」
「幸せになってくださいね、アーサー」

 あなた以外の人と幸せになるだなんて出来ないのに、なんて酷な言葉なんだと思いながら。
 それでも、そう言わせているのは私で、私が彼女にそれを強いていて。

「賢者様、あなたは、わたしのことをまだ好きでいてくれますか」
「酷なことを言いますね。アーサーは。今まさに別れ話をしているところだと言うのに。……ええ、でも、私はアーサーのこと、ずっと好きで居ると思いますよ。元の世界に戻ったとしても、記憶を失ったとしても、ただアーサーというひとりの男性を好きで居続けると思います」

 確証はありませんけど。
 賢者様の言葉は、嬉しくて、嬉しくて。
 本当に私たちは別れなくてはならないのかと、実感がわかない程度には、嬉しくて。
 賢者様、私は……きっとずっとあなたを想い続けるのでしょう。
 それは石になるその瞬間まで変わらず。
 あなたを想い続けながら私は死ぬのだ。
 それはなんて、甘美なことだろうか。

「賢者様、愛しています……、本当に、心の底から」
「ありがとうございます、アーサー。私もあなたを、」

 風が強く吹く。空は白んできてきっとこのまま夜明けがくるのだろう。
 別れの時が、くるのだろう。
 賢者様の声はいやにはっきりと耳に届いた。
 きっと、二度と聞くことが出来ない言葉なのだろう。
 私はその言葉を心に焼き付けた。しっかりと、決して忘れることのないように。

「――あいしています」

 泣きたくなるような朝焼けが私たちを包む。
 空はどこまでも続いていくかのように青く、賢者様と最後に見た景色がこんなにも美しいもので良かったと、そう思った。



 この世界で一番大事で、大切だから手放した。
 そんなあなたのことを、きっと、いつまでも想い続けるのだ。
 滑稽だろうと、笑ってくれたならどれほど良かったか。
 けれどもあなたはそんなことを思わないのだろう。
 どこまでも優しく包み込む大空のような、あなたは。きっと。
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