まほやく
最後の吐息が風となり、宙に舞いて消えるのならば。
はじめて吐いたその息は、どこに向かって行くのだろうか。
「アーサー?」
目の前いっぱいに広がるのは銀糸の髪。初雪が太陽の光で輝いた時のような、綺麗な色。私はその色が好きだ。まあ、彼自体も好きなのだが。
かと言ってその言葉を彼に伝えることは一生ないだろう。
何せ彼は、私が住む世界とは掛け離れたところに住んでいる存在なのだから。
「アーサー? どうかしましたか?」
彼は何も答えない。まるで答えないのが答えかのように。何も言わずに私を抱き締め続ける。
想い人からそんなことをされて本来ならドキドキと心臓が高鳴る場面ではあるのだろうが、アーサーの様子がおかしくて、そんな気分にはならなかった。
「……怖い夢でも見ましたか?」
なんて言ってみたが、今は朝でも昼でもなく、夜だ。しっかりと帳が降りた夜空は星がきらきらと輝いている。
「あ、」
再度名前を呼ぼうとして、やめたのは、アーサーが私の肩に埋めていた顔を上げたからだ。
その瞳は綺麗な青空のようで、やっぱり好きだなぁ、と思ってしまう。
「賢者様」
落ち着いた、甘く静かな声は私の脳を揺らした。
「私は、賢者様が望まれるのならなんだって差し上げます。……そのつもりです」
「……何か言われましたか」
「いえ、……いえ、私は……」
アーサーは小刻みに震えだす。
まるで自分が犯してしまった罪にでも震えるかのよう。
何もしていないのに。アーサーは、何も。
「ねえ、アーサー。あなたはまだ、私を賢者と呼んでくれますか?」
「当たり前です……っ」
「なら、ひとつだけ。賢者としてのお願いがあります」
「何を……」
「アーサー。私を……」
――殺してはくれませんか?
「……っ」
ヒュッと喉が鳴る音が聞こえた。あなたの手は染めたくなかったけれども、私はもう止められない。
――後天的奇病――
夜のうちにしか活動できず、人間の血を浴びなければ凶暴化して人間を喰い出す、この世界では太古の昔に流行って、そうして消えた筈の奇病だ。
それに私は罹ってしまった。
人間の血がないと凶暴化する為、私は魔法舎で隔離と言う名の軟禁をされていた。
そこに現れたのが、しばらく見なかったアーサーだった。
意識が薄い私を突然抱き締め、彼はただそうするだけで。
私はアーサーに抱き締められると心のさざ波が和らぐような、そんな感じがして。
ついに今日、私はその意味に気付いてしまった。
アーサーから香る、甘い香り。
それは本来なら甘くもなんともなくて。とても歪なものであった。
「ね? アーサー。お願い、これ以上私の為に傷付かないで」
これ以上私なんかの為に、誰かを傷付けないで。
「私は!賢者様に生きていて欲しいんです!」
「誰かを傷付けながら生きるのは、もう嫌なんです」
それが他でもない、好きな人を傷つけながら生きるだなんて間違っている。
「それでは、私がしてきたことは……なんだったのですか……っ!」
「アーサー。私の為にありがとうございます。でも、もう、誰も傷付かないで」
「……賢者様」
「私の為を思うなら、どうかこのまま、殺してください」
あなたが私を生かしたことを罪を思うのであれば、どうかこのまま私を終わらせて。
そうしてもし、生まれ変われたのであれば。
「また、私を、見付けてくれますか?」
アーサーは緩く首を振りながら、静かに泣いていた。
私はそれに何も言わずに、ただアーサーを見つめる。
アーサーはしばらく現実から逃れるような眼差しをしていたけれども、私の意志が変わらないことに勘付いたのか、諦めたような色を瞳に宿していた。
「私は、賢者様をお慕いしておりました。その気持ちは、何があっても変わることはありません」
「……それが聞けて、私はもう、充分です」
断罪の時は、呆気なかった。
「あいして、います」
小さく呟かれた声は、しっかりと聞こえていたけれど。
私にはもう。答える為の声がなかった。
(私も、アーサーのこと愛してました)
それを伝えそびれたことが――最大の心残りかも知れないなぁ。
**
信じない。信じない。私は信じない。
あなたが居ない世界を。あなたが生きていた鼓動を、この手の感触だけが覚えているのが許せない。
あなたを殺めた自分を、私は信じない。
「賢者様、何処ですか……?」
あなたは今、何処に居ますか。どんなものを見て居ますか。私以外のヒトを見つめていますか。
私はあなたから答えを聞いていません。
あなたから、言葉を貰っていません。
どうか、賢者様。私の元へ、返ってきてください。
「……帰って来ないのなら、作ればいいのか」
そうだ。作ればいいんだ。賢者様を。愛おしい、私だけの――
にやりと笑った雪原のような髪と蒼い空のような瞳を持った魔法使いの王子は、その日。忽然と姿を消した。
風がどこからか噂を運んでは、たちまち消えていく。
何年、何十年と経った頃、銀糸の髪を持った男が、茶髪の毛色を持った女の子と暮らしているのを誰かは見たが、誰もその二人のことを覚えていられるものは居なかった。
はじめて吐いたその息は、どこに向かって行くのだろうか。
「アーサー?」
目の前いっぱいに広がるのは銀糸の髪。初雪が太陽の光で輝いた時のような、綺麗な色。私はその色が好きだ。まあ、彼自体も好きなのだが。
かと言ってその言葉を彼に伝えることは一生ないだろう。
何せ彼は、私が住む世界とは掛け離れたところに住んでいる存在なのだから。
「アーサー? どうかしましたか?」
彼は何も答えない。まるで答えないのが答えかのように。何も言わずに私を抱き締め続ける。
想い人からそんなことをされて本来ならドキドキと心臓が高鳴る場面ではあるのだろうが、アーサーの様子がおかしくて、そんな気分にはならなかった。
「……怖い夢でも見ましたか?」
なんて言ってみたが、今は朝でも昼でもなく、夜だ。しっかりと帳が降りた夜空は星がきらきらと輝いている。
「あ、」
再度名前を呼ぼうとして、やめたのは、アーサーが私の肩に埋めていた顔を上げたからだ。
その瞳は綺麗な青空のようで、やっぱり好きだなぁ、と思ってしまう。
「賢者様」
落ち着いた、甘く静かな声は私の脳を揺らした。
「私は、賢者様が望まれるのならなんだって差し上げます。……そのつもりです」
「……何か言われましたか」
「いえ、……いえ、私は……」
アーサーは小刻みに震えだす。
まるで自分が犯してしまった罪にでも震えるかのよう。
何もしていないのに。アーサーは、何も。
「ねえ、アーサー。あなたはまだ、私を賢者と呼んでくれますか?」
「当たり前です……っ」
「なら、ひとつだけ。賢者としてのお願いがあります」
「何を……」
「アーサー。私を……」
――殺してはくれませんか?
「……っ」
ヒュッと喉が鳴る音が聞こえた。あなたの手は染めたくなかったけれども、私はもう止められない。
――後天的奇病――
夜のうちにしか活動できず、人間の血を浴びなければ凶暴化して人間を喰い出す、この世界では太古の昔に流行って、そうして消えた筈の奇病だ。
それに私は罹ってしまった。
人間の血がないと凶暴化する為、私は魔法舎で隔離と言う名の軟禁をされていた。
そこに現れたのが、しばらく見なかったアーサーだった。
意識が薄い私を突然抱き締め、彼はただそうするだけで。
私はアーサーに抱き締められると心のさざ波が和らぐような、そんな感じがして。
ついに今日、私はその意味に気付いてしまった。
アーサーから香る、甘い香り。
それは本来なら甘くもなんともなくて。とても歪なものであった。
「ね? アーサー。お願い、これ以上私の為に傷付かないで」
これ以上私なんかの為に、誰かを傷付けないで。
「私は!賢者様に生きていて欲しいんです!」
「誰かを傷付けながら生きるのは、もう嫌なんです」
それが他でもない、好きな人を傷つけながら生きるだなんて間違っている。
「それでは、私がしてきたことは……なんだったのですか……っ!」
「アーサー。私の為にありがとうございます。でも、もう、誰も傷付かないで」
「……賢者様」
「私の為を思うなら、どうかこのまま、殺してください」
あなたが私を生かしたことを罪を思うのであれば、どうかこのまま私を終わらせて。
そうしてもし、生まれ変われたのであれば。
「また、私を、見付けてくれますか?」
アーサーは緩く首を振りながら、静かに泣いていた。
私はそれに何も言わずに、ただアーサーを見つめる。
アーサーはしばらく現実から逃れるような眼差しをしていたけれども、私の意志が変わらないことに勘付いたのか、諦めたような色を瞳に宿していた。
「私は、賢者様をお慕いしておりました。その気持ちは、何があっても変わることはありません」
「……それが聞けて、私はもう、充分です」
断罪の時は、呆気なかった。
「あいして、います」
小さく呟かれた声は、しっかりと聞こえていたけれど。
私にはもう。答える為の声がなかった。
(私も、アーサーのこと愛してました)
それを伝えそびれたことが――最大の心残りかも知れないなぁ。
**
信じない。信じない。私は信じない。
あなたが居ない世界を。あなたが生きていた鼓動を、この手の感触だけが覚えているのが許せない。
あなたを殺めた自分を、私は信じない。
「賢者様、何処ですか……?」
あなたは今、何処に居ますか。どんなものを見て居ますか。私以外のヒトを見つめていますか。
私はあなたから答えを聞いていません。
あなたから、言葉を貰っていません。
どうか、賢者様。私の元へ、返ってきてください。
「……帰って来ないのなら、作ればいいのか」
そうだ。作ればいいんだ。賢者様を。愛おしい、私だけの――
にやりと笑った雪原のような髪と蒼い空のような瞳を持った魔法使いの王子は、その日。忽然と姿を消した。
風がどこからか噂を運んでは、たちまち消えていく。
何年、何十年と経った頃、銀糸の髪を持った男が、茶髪の毛色を持った女の子と暮らしているのを誰かは見たが、誰もその二人のことを覚えていられるものは居なかった。