黒バス

『それが憎しみであろうとも』の続編です。


◇◆◇


『後悔をしているか?』

そう聞かれたなら、僕は迷わず否を唱えるだろう。
この愛しい影を、手放すことなんてないように。
彼女の心を壊してまで僕はテツナを手に入れたのだから。
後悔なんて抱いて、一体何になるというのか。


「テツナ」

安らかに眠るテツナの寝顔。
目の下の隈が濃い。随分と眠れていなかったのだろう。
親指で隈をなぞって眉間に皺を刻む。
無理もないとは思うけれど、それでも助けなかった事に対して謝りの言葉は出てこなかった。

傷付けられた分だけ、テツナは壊れていった。
それを知りながら、いや知っているからこそ僕はテツナを手荒に抱いた。
テツナが誰をも信じられないように。もう誰にも心を開かないように。光だと、相棒だと、拳を合わせ笑い合っていた大輝も。
テツナっち。テツナっちと煩く引っ付いていた涼太も。
回りくどいがテツナには殊更心を割いていた真太郎も。
バスケ以外では趣味が会う為か仲の良かった敦も。

全員があのマネージャーの言葉を信じ、テツナを悪として見るようになってしまった。

さつきだけはテツナを信じていたようだが。
それでも表立った味方はテツナには居ない。
僕でさえ、テツナにとっては最早心を許すことの出来ない相手に成り下がっただろう。

けれどそれでいい。
僕はテツナに向けられる感情ならば、例えそれが憎しみだって受け入れる覚悟をしてテツナを抱いたのだから。
誰にも与えられるような生易しい友愛ではなく、誰にも抱かないような強い憎悪の方が何倍も僕の心を歓喜させる。
ああ、だけど。とテツナの跳ねた髪を手櫛で梳いてやりながら呟いた。

「テツナを傷付けてくれたあの女にはお礼をしないといけないね」

テツナをここまで追い詰めた要因であり、テツナから居場所も友人も奪った挙げ句に僕がテツナを手に入れる為の背を押してしまった。
あのクズには、最上級のお礼をしなければいけない。

例えば、あの女がこんな愚かな真似をしなくても結局いつかはこうなっていたのかも知れないが。
僕だっていつかは理性の糸が切れて同じことをしていただろう。
それでも今、テツナがこんなにも疲弊し、絶望する要因を作ったのはあいつだ。

(まあ、でも。僕は優しいから。利用させて貰ったお礼に命くらいは助けてあげるよ)

僕の為に動いている奴らがあの女を追い詰める様を思い浮かべて笑う。
本当は、僕自らが手を下したかったのだけれど、今は一秒でもテツナから離れたくなかったから。
僕の為なら見返りすら求めない奴らを使ってあの女にお礼をさせている。

コレで家も家族も親戚も。あの女には居なくなってしまうだろう。
これからどうやって生きていくか困るだろうが、最初に言った通り利用させて貰った礼があるから。
矮小で薄汚れた精神を持っているクズにもピッタリな仕事を見付けてやった。
感謝しなよ?と嘲笑う。
守ってくれる誰かなんて誰ひとり居なくなったけれど。
あの顔ならば頑張れば精々一日は凌いでいけるだろうから。
まあ、もっとも、

(二度と日の下は歩けないだろうけどね)

テツナを傷付けた癖にのうのうと僕のバスケ部でマネージャーをしているあの女。

憎らしい。恨めしい。いっそ殺してやりたい。

そう思ったけれど。
たった一瞬で済む地獄より、死ぬまで続く地獄の方が自分を悔い改められるだろう?

あの女の末路を脳裏に思い浮かべれば口端が上がる。
その時丁度携帯にメールが来た。
メールボックスを開けば『完了』の文字。
ああ、と声を漏らした。

「お前を苦しめたクズは明日にはこの世から無かった事にされるよ」

良く頑張ったね。
そう言ってさらさらの髪を指の腹で撫でる。
そのまま頬に滑らせ痩けてしまった頬を両手で包むと、「テツナ」と小さな声で疲れきって夢の中に居るであろう彼女の名前を呼ぶ。願うように。乞うように。

「愛してる」

紛れもなく、それは本心。
本音を言えばね?
こんな歪んだ方法ではなくて、もっとテツナが幸せになれる展開を用意してやりたかった。
けれど僕には無理だったみたいだ。
お前が誰か他人をその視界に入れることは愚か、口を利くことさえ僕には耐えられないし。
誰にも与えられるようなそんな生易しい愛では足りないんだ。
僕にしか与えられないモノがほしかった。
それが例えテツナを壊してしまう事だとしても。

ああ、けれど。
これでは不公平だから、お前に逃げ出すチャンスくらいは与えてやろうか。

「僕の差し出せる全てをテツナにあげるよ。例えこの命だって、お前の好きにしてもいい」

だから僕から逃げ出したくなったなら、分かるよね?

お前は怒るか?
けれどこんな事でもしなければ、僕はお前を手放すなんて出来ないんだよ。
それでも逃げないというのなら、お前は一生を僕に囚われる事になるだろう。

「テツナが選んでいいんだ」

僕の側に居るか。僕を殺して離れるか。
どちらでもいい。助けを誰かに求めたって構わない。

(あいつらもそろそろ真実に気付く頃だろうから)

情報操作を得意とするさつきが居て、テツナを信じていたからこそ、ずっと何か証拠がないかと探していた。
今まで真実が知れ渡らなかったのはひとえに僕が邪魔をしていたからだ。
それでもテツナが手に入った時、僕は同じテツナを思うモノとして、注意深く見ていれば気付くように種を撒いてやった。
さつきならばそれに気付けるだろうと踏んで。

(後悔しているのだろうな)

テツナを僕と同じ意味で好きだったあいつらは、さつきから真実を教えられた時、自分達が行った事の重大さを知り。
死にたくなるくらいの後悔が襲うのだろうな。

あいつらはそれでもまだ、謝れば許されるとさえ思っているのだろうが。
僕から言わせれば、仮にも好きな相手を信じないどころか、あんなお粗末な嘘に騙されたのだ。
しかもテツナは既に僕の腕の中。

許される筈がないだろうと、呆れたように息を吐き、僕は隣に眠るテツナを見やり言葉を投げ掛ける。

「お前は怒るか?それとも笑うか?」

それとも、もう自分には関係が無いと無関心を貫くか?今更真実に気付いて、これから行動してくるような奴等のことを。


まあ、どちらにせよ。
お前の行動全てがあいつらの胸を抉るのだろうな。
それを見て、自分は笑うのだろう。
「テツナを信じなかったお前達が悪い」と。
テツナを助けなかった事を棚に上げて笑うのだ。
そうしてあいつらを追い詰めて。
僕の自己満足の復讐はようやくクライマックスを迎える事だろう。

その時は、

「お前が俺の心臓を止めたっていい」

返ってくるわけがない言葉を投げ掛けて。
僕はテツナの手を握って横たわった。
そうして力を込める。
離さないように。離れないように。離れていかないように。
そんな願いを込めて、僕は瞼を閉じた。




「離れたら君は壊れてしまうくせに」

僕に選ばせるなんて、君はやっぱり卑怯な人ですね
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