黒バス

体格的に不利な相手でも自分が納得出来なければ、理不尽だと感じれば決して引かない様とか。
歯にもの着せぬ鋭い言葉とか。
外見だけでは判断しない所とか。
案外警戒心が強い所とか。
その癖、一度懐に入れた相手はどこまでも許容する優しさを持った所とか。

言い出したらキリがないけれど。

一つ言える事は僕は彼女を構成する全てが好きだということ。
だけど先述した通り、彼女は懐に入れた相手を許容する。
制限は自分が無理だと感じない限りない。
つまりは視界に入る事がかなり難しいのだ。
もっと正確に言うのなら、彼女の特別になることが難しいのだ。
誰でも居られる様な位置に居たくはない。俺は彼女の特別が欲しいのだから。その想いは日増しに増していき。
いつからか彼女の視界に、特別になれるのならその感情がなんだって構わないとさえ思い始めた。

そんな時だった。
2軍のマネージャーが、テツナから苛めを受けていると。
マネを辞めろと言われ、暴力を受けたと喚いていた。
少し考えれば、いや、考えなくてもテツナがそんな陰湿な行為を働く訳がないし。そもそも本当にテツナが言ったのならば、このマネージャーががそれ相応の人間性を持った女だという事だ。

たかだか2軍で関わりも殆どない女と、2年以上を共に過ごしたテツナ。
どちらの人間性を深く知っているか。考えずともテツナだし。テツナはそんな事を決してしない。
男よりも男前で、例え相手がどんな悪意を向けても女に手を出す輩は塵以下だと言って宣うのだ。そんなテツナの人間性も知らずに、そんな自分で叩いただけの痕で誰が騙されるものか。



そう思ったが。
自分が従えていたバスケ部員は目の前の馬鹿女と同類の馬鹿しか居なかったようだ。
馬鹿女の言葉を信じた他の部員がテツナを糾弾した。
テツナを慕っていたキセキですら、だ。


そしてその結果。
テツナはバスケ部に席を置くことは愚か、いつの間にか広まっていた噂によって大多数の生徒から陰湿な苛めを受けるようになった。

僕はそれを止めるでもなく。加わるでもなく。
傍観という立ち位置を振る舞った。

チャンスだと思ったのだ。
彼女から特別視される為のチャンスだと。
時期を伺い、そして今日。それを決行する為の準備が整った。


◆◇◆


「やあ、テツナ。久しぶりだね?少し痩せたかい」

「……赤司くん」

テツナの頬は少し痩けていた。
透き通るような白さを持った肌は今は蒼白く血管を浮き立たせている。
久し振りに呼ばれた自分の名前に高揚を隠しきれない。
微かに震える身体を認めて、うっそりと微笑む。

「随分と酷い格好だね?」

「お陰様で。それで赤司君。僕に一体なんの御用です?彼等のように殴りに来ましたか?暴言を吐きに来ましたか?」

傷付いた眼差しに「いいや」と首を振る。
テツナの今の格好は随分と酷い。
僕がテツナの前に現れる少し前に、名すら知らない人間に頭から雑巾を絞ったバケツの汚水を浴びせられ、更にはその上から別の人物がゴミ箱を振り掛けていた。そのせいで制服は汚水が染み付き元の色を失っている。
頬や手足には小さいのは掠り傷から始まり、打撲や殴打の痕も随分と目立っている。
そんな彼女に教師は知らん振り。
虐め問題は深刻化しているが、虐めがあると教師の内申点が悪くなるのだ。
我が身惜しさに誰もが素知らぬ振りで、助けようと思う大人は居ない。
そしてそんな環境に、歯止めを知らぬ子供は暴走し、さも自分こそが一番正しい。皆がやっているから自分もやる。
そういった精神が働いた結果、集団犯罪の出来上がりという訳だ。

「辛いかい?」

「もう慣れました」

「テツナ」

「はい」

「僕がお前を助けてやろうか?」

ヒュッと息を呑むテツナ。
けれど自嘲気味に笑って首を振った。

「君は僕を助ける気はないでしょう?」

「何故そう思った?」

「君が僕を助けようとしたなら、もっと早くに僕に接触してきた筈です。傍観の態度を崩さなかった君が今更僕を救う?ちゃんちゃら可笑しくて臍で茶が沸きそうです」

無表情を崩さずに言い切ったテツナの言葉は、どうしようもない悲哀と諦めに染まっていた。

ああ。と心が歓喜する。
待った甲斐があったと今にも笑い出しそうだ。

「テツナ」

(僕を見てくれないから悪いんだよ?)

内心でとんだ責任転嫁だなと嗤いながらテツナに一歩近付く。ビクリと跳ねた肩を気にせず距離を詰めた。

「どうあっても僕の助けはいらない?」

「君を信用出来そうにありませんからね」

「そう。じゃあ、しょうがないね?」

テツナの言葉は想定内だ。
誰に助けを求める事も出来ずに怯えている。
にも関わらず、表情には出ないから勘違いされて更に酷くなっていく虐め。
無限ループのような其れを引き起こした馬鹿は今ものうのうとマネージャーをしている。

可哀想なテツナ。
テツナは何も悪くないのにね?
全てはあの無能で救いようのない馬鹿女が勝手に引き起こした御粗末な喜劇から始まった。
馬鹿女があんな事をしなければ、僕がテツナを傷付けるシナリオを決行する事もなかったのに。
まあ。今となっては感謝もしているよ。
名前さえ覚えていないが、生かしてやっても良いと思うくらいには。
最も。テツナを手に入れた後には、死んだ方がマシだと思うくらいの御返しはするけれど。

「ねえ、テツナ。もう一度聞くよ?僕に助けられる気は、ある?」

「何度聞かれても答えは変わりません」

「そう、」

なら、仕方がないね。
自分の身体に熱が灯ったのを感じた。
テツナに対しての隠しきれない程の恋情が溢れ出してくる。
自身に向けられる恋情に鈍い彼女がそれに気付いているかと聞かれたらNOだろう。
最も、その鈍さには救われたけれど。
テツナに向かう矢印は決して僕のものだけではなかった。
しかしその矢印は今現在、馬鹿女のお陰で折れ曲がった。
その事実はなんと心踊る事だろう。

僕がテツナに向けて、自分だけはテツナを信じると。僕はテツナの味方だと。
たった一言でも言っていれば。もしくは態度に表していれば。テツナの心は僕に向けられただろう。
いくら口や態度で強がっても、虐めの酷さに参っているのは分かる。

けれども僕はそうはしなかった。
消えるかも知れない一時の甘やかな時間よりも、何年経とうと消える事がないであろう傷をテツナに付ける事を選んだ。


心は移ろい易いから。
感情は変化するから。
それは僕には耐えられなかった。
だからこそ。傷付ける。
顔を合わせれば恐怖で身が震えてしまう程の傷を。
何があっても癒えない傷を。
忘れ去られるのは嫌だ。
いつか来る別れに怯えるくらいならば、逸そ彼女から嫌われたい。憎まれたい。憎悪を抱かれたい。
彼女を傷付けてしまいたい。


それは愛よりも重く彼女にのし掛かるであろう呪縛として、彼女を縛り続けるだろう。それを思うだけで自然と口角が上がる。

「――お前が僕を愛してくれさえしていれば、お前を傷付けずに済んだのにな?」

「……え?」

「残念だよ。テツナ」

でも、これで漸く――お前を手に入れられる。

見開かれた水色の瞳には驚愕の色。眼前に立つ僕から逃げようとしたのか一歩足を下げようとするテツナの手首を掴んで引き寄せる。
そうして今にも唇が触れ合えそうな程に顔を近付ければ、恐る恐る名を呼ばれた。

「あ、かしくん」

「――好きだよ、テツナ」

憎いくらいに、お前を愛してる。


ニッコリと微笑んで、固まるテツナの唇を奪った。


その日。僕は恋い焦がれた彼女の身体を手に入れた。


嫌がるテツナを無理矢理押さえ付け、涙を流す彼女に何度も愛を囁いた。その度に頭を振って否定する彼女に苛ついて一度だけ頬を叩く。
途端に怯えを滲ませた瞳を逃げるように伏せ、唇をギュッと強く噛み締めたテツナは身体を弛緩させた。
それに気を良くして。何度も何度も身体を重ねた。

涙が出るほどに喜びと愛しさを溢れさせながら。
逸そ孕んでしまえと思いながら。


全てが終わり、隣で眠るテツナを見やる。
そっと涙の痕を指で辿った。きっと朝には腫れてしまっているだろう。
そんなことを他人事のように思いながら、ゆるりと口端が上げる。
これで僕はテツナの中に強く根付くだろう。
これから先何があったとしても。
それは深い憎しみとして。逃れられない悪夢として。
テツナの頬を撫で付けて、こめかみに口付ける。

「テツナ。愛してる」

心臓の辺りが酷く痛んだが、それには見ない振りをした。
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