黒バス

チームなんてどこにもないバスケで、勝つ事が全てなのだというチームメイト達。
笑いあった過去をどうしても拭い去ることが出来なくて、それを受け入れる事がボクにはどうしても出来なかった。
仲間の信頼は疑念へと変化し、いつしか自分の全てを懸けても良いほどに好きだった筈のバスケを、ボクは受け入れられなくなってた。


――認めたくなかった。


差し出しても届かない拳を。呆然と見つめるだけしかできない彼らの去っていく背中を。
チームの中で薄れていく『ボク』の存在を。
必要とされなくなっていくパス。
心も身体も、とっくに悲鳴をあげていた。
それを無理矢理誤魔化して、誤魔化して、最後まではと歯を食い縛り気力で耐えて。
そうして全中は終わった。
荻原くんの涙。残酷なまでに綺麗に並んだ点数。
そこに、過去に覚えた感動はなかった。
そこに、ボクの居場所はなかった。


――ナニかが壊れていく音が、静かに響いた。


それを静かに甘受していた時だっただろうか? 
その男が嗤いながらボクに手を差し伸べたのは。


「ああ、お前か。クソつまらねぇ試合見せつけやがったのは」


鼻で嗤ったその男はボクを見下ろしながら続け様にいう。
つまらない試合。
確かにそうだろう。
自分は出られていなかったけれど、確かにつまらなかっただろうとは思う。
バスケットがあんなにもつまらない競技とは思ったこともなかった。
ボクが黙り込んでいるのをいいことに男はまだ言葉を続ける。


「ふはっ。しかしザマァ、としか言い様がねぇな」


独特な笑い方で、嘲る。


「面白くもねぇ試合をして、挙げ句大事な大事なお仲間の一人が、こんな薄暗い廊下の階段の隅で膝抱えて蹲ってんのにも気付かねぇとは……天才サマは随分と身勝手だよなァ」


耳に障る声だった。
胸に刺さる言葉だった。
ここは控え室に一番近い階段の隅だから、見付けようと思えば簡単に見付かる場所なのだ。
閉会式も終わり、帰る為に誰かが探しに来ても不思議ではない。少なくとも一年前だったなら探しに来てくれただろう。
僕が居ないことに気付いた黄瀬くんが騒いで、青峰くんがうるさいとどやしながらボクの姿を収めようと探して、緑間くんがまたかと呆れて、紫原くんがお菓子を片手に気だるげに。そして赤司くんが、みんなを連れて。
影の薄いボクがはぐれたことにみんなして騒いで、探しに来てくれたのだろう。
けれど今は、一向に控え室の扉が開く気配はない。ボクを探しに来る足音も、声もない。
――それは、つまり、


「捨てられたか」

「……っ」

「ふはっ。なんつー顔してんだよ。お前だって分かりきったことだったんだろうが」


男の言う通りだ。
分かりきったことだった。
ボクがもう彼らにとって必要ではないと。
ボクの存在を気にかける人なんて今のチームにはもう居ないのだと。


――ボクは彼らに捨てられたのだと。


『才能のないお前が悪い』


そうハッキリ言われた訳ではない。
けれど彼らの雰囲気は、自覚していようと自覚してなかろうと、そう告げていたから。


「オレだったらお前をもっと上手く使ってやれる。お前の影の薄さを最大限利用してやれる」


お前の存在で、オレの『蜘蛛の巣』は完璧になる。
そう愉しげに嗤う男に、普段ならば不快を顕にしたのかも知れない。
けれどその時のボクは疲弊していた。
男が誰なのか。どんなプレーを好むのか。
キチンと理解していたというのに。
ボクはその手を、『悪童』の手を取った。
大好きだったバスケ。
退部届けを出した瞬間に嫌悪の対象に変わってしまった。
今ではなんの感情すら浮かばない。
花宮さんに誘われ入った霧崎第一高校。
そこで繰り広げられるプレーは、瞳に絶望と憎しみ、嫌悪、怒りを宿した相手選手とそれらを淡々と与える非道なラフプレー。
それをボクは無感動に見つめ、時には加わり、翻弄しながら傷付け、憎悪と畏怖の籠った瞳に捉えられることなくパスを回す。
どれだけ相手選手を傷つけてもやはり感情は動かず、無感動に相手を見るだけで。
行っている行為が如何に非道であるか。麻痺した脳でも一応は理解出来ているのだけれども、ここには確かにボクの求めていたチームがあったから。
『ボク』を必要としてくれる仲間が居たから。


だからそれでいい。


それだけで、いい。

***

壊れてしまえば天才だろうが凡人だろうがただの人だ。
どれだけ身体能力を誇っていても、足を壊されれば意味はないし。
どれだけ頭脳明晰でも、目と耳と両腕を壊しちまえばただの役立たず。
けれどコイツは違うのだ。
頭一個分は小さな少年。
少し転んだだけで壊れてしまいそうな、繊細な硝子細工のような見た目の少年、黒子テツヤは、見た目に反して頑固で妥協を知らず、非道なことを拒み、嫌悪する。


――それがオレが集めた、『壊れる前』の黒子テツヤの姿であった。


けれど今はどうだ。
ラフプレーなんて一番スポーツマンシップから掛け離れたもんを目の前で見せられても、時にはやらせても。
その人形のような表情はピクリとも変わらない。


(厄介なもんを盛大に壊されたもんだな)


オレが肉体を壊しても、相手は別に死ぬ訳じゃねえ。
まあ、バスケが出来なきゃ生きる意味がねぇっていう奴なら話は別だが。
だからってオレには関係ない。
オレはあくまでも身体を壊しただけだ。
そこから先までオレが気にかけてやる必要がどこにある。
だけどこいつは、身体ではなく、心を壊された。
他ならぬ、信頼していた仲間とかいう奴等の手によって。
オレから言わせたら、あんな場所で一人呆然と能面のような顔で泣いていたテツヤに気付くこと出来なかった奴等を、まだ仲間だなんて言っていたテツヤの神経を疑ったが。
いや、だからこそ壊れてしまったのだろう。
それはもう見事に。修復は恐らく不可能だろうほど、完璧に。


「テツヤ」

「なんですか? 真さん」

「楽しいか?」

「はい。とっても」


何が、とは聞かない。テツヤも、何をとは聞かない。
テツヤにとってバスケは最早楽しい球技ではない。
だからと言って人を壊すことが好きな訳でも無い。
けれど壊されたテツヤは気付けない。
うっすらと微笑むその顔が、泣き出しそうなことに。
それを見ていたくなくてテツヤの頭を撫で回す。
髪の毛をグシャグシャにしてやれば、「縮んだらどうするんですか。やめてください」とひ弱な力ではね除けられた。


「ボクの髪、癖が付きやすいんですよ?」

「ふはっ。知ってるっつうの。撫でやすい位置にあるから悪ぃんだよ」

「160cm台に喧嘩売ってます? その喧嘩買いますよ」

「誰がんなめんどくせぇことするかよ」


クッと喉で笑って、更に髪を掻き雑ぜた。
ぐしゃぐしゃの髪はきっと原か古橋が整えるのだろう。
あいつらはテツヤのことに関してのみ過保護だ。
いつの日かそう言ったなら、「花宮も変わんないだろ」と瀬戸に返された覚えがある。


(んなもん当然だろ)


自分で拾ってきたもんなんだ。過保護にもなる。




**



「次のIH、テツヤは出さねぇ。つってもアイツは何とも思わねぇだろうがな」


IH間近のミーティングルーム。テツヤを欠いたその場所には古橋と原が座っている。瀬戸と山崎は念の為にテツヤに付かせている。
そんな場所で発したオレの言葉に、意義の声は当然のようにあがらなかった。
きっとここにテツヤが居ても、バスケへの情熱を根こそぎ無くしちまったようなもんだから、きっとこの話を聞いても興味もない顔で、そうですかの一言で終わらせるのだろう。
だが念には念を入れて、準備はしとかねぇとなァ?


「なあなあ。花宮」


原がやる気のない声と態度で手を挙げる。


「なんだ」

「もしさぁ、インハイでテっちゃんとあいつらが会っちゃったらどうする?」

「そんなの黒子を監禁した後にあいつらの記憶を徹底的に無くすまでリンチだろ?」

「馬鹿か。んなもんすぐにバレんだろ。もっとマシな案を言え」


古橋が常の死んだ魚のような目を更に濁らせながらそんなことを口走る。
同意してやりたいのは山々だが、こればっかりはまだ時じゃないし、それにあいつらには肉体的に傷を付けるなんてことはしたくない。


「つうか、会ったってなんも変わんねぇよ。テツヤはあいつらのことなんざ、もうどうでも良い奴等だとしか認識してねぇからな」


テツヤを壊した張本人共。
そいつらはどうやら行方を眩ませたテツヤを、今頃になって文字通り血眼になりながら探しているらしい。
馬鹿な奴等だ。
失ってから行動しても、もう遅いのだと何故気付かないのか。
それだけテツヤが側に居すぎて気付かなかったか?
ハッ、と鼻で嗤う。
そんなの単なる言い訳だ。
いい加減認めりゃいいのになァ。
テツヤはお前達が自分のことでいっぱいいっぱいになっている時に傷つけて、そんなことには一切気付かず気付いたら居なくなっていました。ってさァ。


「なら、あいつらを壊してもいいか?」

「まだ時期じゃねぇよ」

「……なら、いつならいいんだ?」


焦れたようにいう古橋に、ニィッと口端を吊り上げた。
古橋だけじゃない。原も山崎も瀬戸も、霧崎の奴等は全員がテツヤの味方だ。
何がどうして気に入られたのか、気に入ったのか。
こいつらだって分かってはいないんだろうが。
それでもオレ達はどうしてか身内と認識した奴には甘い。いくら非道な事をしていても。いや、しているからか。
身内として認識した奴が傷付くのをあまり好かない。
傷付ける側が何を言っているんだと言われるかもしれないが、事実そうなんだから仕方がない。
気付つけられたら社会的にも物理的にも抹殺してやる。
それがテツヤだったなら尚更だ。
あんなボロボロのガキを更に傷付けようとする要因は早めに摘み取ってしまった方がいい。
だが、古橋にも言ったがまだその時期じゃないのだ。


「あいつらはな。テツヤがどこに堕ちちまったのかたっぷりと理解させてやってから壊すんだよ。絶望を与えて、助けを求めても無視られて、壊されて。精神がぶっ壊れそうになってもテツヤは見向きもしねえ」


最高だろう?


そう言えば古橋も原もニヤリと笑った。
それは他人から見たら背筋が寒くなるような、正しく『悪童』が率いるチームに相応しいような笑みだった。
お互いの認識を一つに纏めて、ふと時計を見た。
テツヤは今頃ロッカールームで山崎と瀬戸と一緒に制服に着替えている頃合いか。
それが終わったら全員でマジバに行くのも悪くないかもしれない。
たまにはバニラシェイクくらい奢ってやるか。
何を企んでいるんだと疑われそうだが、そんなもん無視すればいい。
テツヤをオレ達と居る事に慣れさせて。オレ達との記憶でいっぱいにして。あいつらとの記憶を薄れさせて。
そうすりゃ、少しは――


(お前の壊れた心も、楽になるだろ)


心優しかったテツヤは壊れた心でも未だにあいつらを忘れられない。
キセキの名に俯き。
時折泣きそうに顔を歪め。
不安気にオレ達を見上げる。


(あんな奴等、さっさと忘れちまえばいいんだよ)


お前を捨てた奴等なんて、いい加減こっちから捨ててしまえ。
オレ達はお前を見捨てたりなんて、決してしないのだから。



***



濃すぎる光の中で存在を掻き消されながら膝を抱えていた。
このまま自分は光に掻き消されてしまうのだろうか。
そう思いながら、膝を抱えることを止めなかった。


そうしたら目の前に差し伸べられた手。


その手を持つ人が居るのは光が全く届かない闇の中だったけれど。
ボクは迷わずその手を取った。


その人の周りの人間はその人と同じくらい闇の中に居て。色々と悪態をつかれもしたが、同じくらい世話を焼かれた。
どんな闇の中でも確かにハッキリと見える彼らの姿。
ボクと同じ立ち位置で、ボクの姿を決して見逃したりなんかしない彼ら。
ボクの疲弊した心はゆっくりと癒されていくのを感じた。
彼らが不器用なりにも癒そうとしてくれたお陰なのだと気付いた時には、転がり落ちるように。彼らの存在が無くてはならないものになっていた。
あの人達は絶対にボクを裏切らない。
ボクを絶対に一人になんかしない。してくれない。
そんな不確かな確信を持てた。
だからボクはボクが出来る精一杯でどんなことでもしようと決めた。
それがボクに出来る彼らへの恩返しであり、感謝の証。




【影は花に導かれ、闇の中へと招かれた】




「テツヤ! この大量のゆで卵はなんだ!」

「僕の得意料理です」

「ドヤ顔すんな!」

「そうか偉いな黒子」

「テっちゃんのゆで卵まじ美味いから花宮も食ってみろって!」

「っんぐ……ん。ふはっ。ゆで卵なんてどれも一緒だっつうの」

「素直に美味いって言ってやればいいん「アレが花宮の精一杯なんだろ」……被せるなっつってんだろォが瀬戸ォ!」


騒ぐ彼らの姿を見ながら、壊れてしまった心で確かに思った。


(幸せですね)


出来ればずっとこの居心地のいい場所に居たい。
そんなことを考えながら、僕は確かに微笑んだ。
それは壊れて歪な笑みだったかもしれないけれど、彼らは嬉しそうに迎えてくれた。
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