作家せんせーとイケメン彼氏
はあ、と思わず大きな溜め息が出た。
今日も今日とて、偉大なる作家せんせー共の原稿を取り立てに行ったらトンズラこかれたのだ。
場所は分かっている。分かってはいるが……。
「行きたく、ねぇなぁ……」
でも行かないと給料に直接響くしなぁ。
はあ、ともう一度大きな溜め息を吐いて、新調したばかりの革靴をその場所に向けて一歩踏み出した。
**
「いやはや、桜子が私達を匿ってくれてるお陰で助かっているよ」
ズズっと片手で持ったお茶を啜りながら器用にゲームをしているのが、あたしの親友の一人である、夜凪湖夏。
「春馬が鬱陶しいから本当に助かるわぁ」
へらりと笑いながらパソコンをカタカタと音速か?と思うくらい打ちながら言ったのがもう一人の親友たる長月琉衣。
二人の共通点は作家ということ。
そして、あたしの大事な親友であるということ。
「良いのよー!彼氏のせいで本が出なかったら最悪の場合、沈めさせるから」
あたしは二人のファン一号と名乗っても過言ではないくらい、二人の創り出す創作物が大好きだ。
だからソレを邪魔する野郎は許さない。
「お嬢。いつもの御方がいらっしゃいましたが、如何されますか」
「ああ、居れてあげなさい」
黒髪をワックスで撫で上げた長身の男が、開け放した障子の外から声を掛けてくる。
それに応えれば会釈された。
少しだけ時を開けて部屋の中に入ってきたのは、シルバーフレームの眼鏡をしたスーツ姿の美丈夫。
クイッと眼鏡のフレームを中指で上げる仕草が、如何にも神経質そうに見えた。
まあ、中身は神経質とは程遠いのかも知れないけれども。
「お前ら、締切いつだって伝えたっけ?」
「……ん?そのイケボは……おお、東坂さんではないか。どうしたんですか?」
「夜凪せんせー?原稿は?」
「ははは」
「笑って済ませようとすんなよ?」
「いやはや。躾のなっていない大型犬がしつこくてな。桜子に避難させて貰って、今仕事をはじめようとしたところだ」
「とりあえずあの声優をいい加減躾しろ」
東坂さんと呼ばれた男は、遣る瀬無さそうに今度は琉衣を見る。
「夜長せんせー?原稿は?」
「……躾のなっていない大型犬のせいでイチからですが何か?」
「あの俳優はマテを知らんのか」
悟ったような眼差しをする東坂さんは、諦めの色をその眼鏡の奥にある茶色い瞳に滲ませ、
「働け、馬車馬の如く」
……ることなんて、まったくなくて。
冷たく二人にそう言い放った。
「分かっている。東坂さんの顔に泥を塗る行為をする気は無い」
「そうですよー。パパッと書き上げちゃうのでまあ、待っててください」
二人は良い子のお返事とばかりにそう言った。
東坂さんに見出されて作家デビューしたと言っても過言ではないからか、何やかんやと言いつつも、二人は東坂さんにだけは逆らえないのだ。
もっとも、二人が本気で東坂さんのことを嫌だと言うのなら、とっくにこの男を沈めていたかも知れない。
まあ、それも少し前のあたしの話なのだけれども。
「お疲れさまです。東坂さん」
「木嶋さん。毎度毎度問題児共を申し訳ない」
「いえいえ。二人の作品がこの世に出るのならば何だってしますよ!」
ふふ、と笑ってそう言えば、東坂さんは柔らかく微笑んだ。
その笑顔だけで心臓がバクバクと脈打つのを感じる。
「東坂さん。二人の作品が出来るまでお茶でも飲んでくださいな」
それを振り払うように、あたしは東坂さんに向かってそう言うとお茶を出来るだけ丁寧に淹れた。
**
「あー!やっと出来た!」
「私も出来たぞ」
その声が聞こえたのは、ほぼ同時だった気がする。
東坂さんが二人のことをジッと動かず見つめたまま、何時間経過しただろうか?
「せんせー共。良くやった」
「パソコンに送らせて貰った。確認してくれ。そして桜子、私にもお茶をくれ」
「私のもパソコンに送ってあります。あと私にもお茶ちょーだい、桜子」
甘えるようなその言葉に答えるように、お茶を淹れながら二人を労う。
「二人ともお疲れ様!ゆっくり休んでね」
「はあ、桜子は優しい子だなぁ。うちの俺様属性な大型犬に爪の垢でも飲ませてやりたいものだ」
「ふふ、確かに。うちの寂しがり屋わんこも桜子に躾して欲しいくらいだよー」
「二人が望むならするけどね?さて、二人とも。今日は泊まっていくの?」
「ああ、良いな。久し振りに旧知の友と語り明かすのも悪くは無い」
「さんせー。三嶋さんの料理も久し振りに食べたいしね」
「なら、連絡しなくちゃね」
そう言った途端に二人の動きが止まった。
どうしたのだろう?と首を傾げれば、二人はスマホを眺めたまま、硬直していた。
「湖夏?琉衣?」
呼び掛けには何故か応えない。
疑問に思っていたら原稿のチェックを終えた東坂さんがスっと動く。
「作家せんせー共。躾のなってない大型犬でも上手く使えと言ってるだろうが」
「いやはや、面目ない」
「まさかこんなに連絡来てるとは……引くわ……」
二人の言っている意味がよく分からなくて、とりあえず東坂さんに助けを求めるように顔を向けた。
東坂さんはそのシルバーフレームをクイッと中指で上げ、私の問いに答える。
「作家せんせー共の躾のなっていない大型犬が、連絡ツールが一切繋がらない二人を心配して探し回っているらしい」
「どこでそんな情報を……?」
「会社からメールが来ていた」
なるほど?では二人が固まっているのは、探されたくないから?
でもこの場所を突き止めるのは早々簡単に出来ることではない。
「安心してください、東坂さん」
「木嶋さん?」
「この木嶋組の名にかけて、二人の原稿は決して落とさせやしませんから!」
「……木嶋さんは、」
「はい?」
「桜子!私は家に帰る!私の大切なゲーム達が危険に晒されようとしているからな!」
「え?湖夏?」
「私も帰るわー。ちょっとこれは……あの馬鹿犬を躾に戻らないと」
「ええ!琉衣まで!」
「すまないな!お泊まり会はまた今度しよう!」
「匿ってくれてありがとうね、桜子!それじゃ!」
そう言って二人は風のように去って行った。
「ええ……」
後に残されたのはあたしと東坂さんだけ。
東坂さんは、はあ、と大きな溜め息を吐きながら二人を見送って言う。
「桜子」
「ぅ、……と、東坂さん!まだどこかに居るかも……!」
「二人なら追いやったから大丈夫」
「東坂さん……あの……なんで、急に呼び方……」
「二人きり、だからな?」
「……卑怯な」
ぷぅ、と唇を膨らませたら、男は卑怯なものなんですよ。とその場に東坂さんは座る。
「さて。邪魔者は居なくなったことだし、桜子。久し振りにイチャイチャしよう」
「直球ですね!?」
「あの作家せんせー共の原稿も上がったからな。それとも、桜子は嫌か?」
「嫌じゃ……ないですけど……」
「なら良いだろ。おいで。桜子」
手を広げてあたしを迎え入れるようにする東坂さんに、あたしは飛び付いた。
そう。そうなのである。
あたしと東坂さんは、あたしの立場上大っぴらには言えないが、そういう関係なのである。要は恋人同士だ。
胸の痛みも、ドキドキするのも、東坂さんだから。
東坂さんだから、鼓動がドキドキして止まないのだ。
「二人と久し振りに会えたのに……」
「俺とも久し振りだろうが」
「そうですけど……」
それにしたって、お泊まり会くらいは許して欲しかった。
滅多にない機会だと言うのに。
「そんなに拗ねるな。可愛い顔が台無しだ」
「分かってますよ。東坂さん」
「……いつまで苗字で呼ぶつもりだ?」
「……薫さん」
「いい子」
そう言って撫でられた頭に触れた大きな手のひらに身を委ねていたら、そういう雰囲気にもなるわけで。
「薫さん、あの、まだ、シャワー!」
「後で一緒に入れば良いだろう」
「そ、れは……」
「今は俺だけ感じてろ、桜子」
「ぅ、……はい」
そうして意識は溶けて、とろけて。
**
「だから嫌なんだよ、ここに来るのは」
眠る桜子の顔を見ながら、煙草を吸う。
サラリとした黒髪を優しく撫でれば、むず痒そうに俺の手に擦り寄ってきた。
歯止めが効かなくなるから、嫌なのだ。
そんな風に思うくらい、桜子が大事だから。
「作家せんせー共は、本当に良い仕事をしてくれる」
クッと口角を上げて、また煙草に口付けた。
あの二人に出会わなければ、桜子に出会うことは永遠になかっただろう。
何せ彼女は極道の組長の愛娘。
彼女と付き合うにあたっては、相応の苦労をしたものだ。
主に彼女を思う者達を説き伏せることに。
けれども手に入ればこちらのもの。
「離さねぇよ、桜子」
未だすやすやと寝息を立てている桜子に向かって、俺は笑った。
今日も今日とて、偉大なる作家せんせー共の原稿を取り立てに行ったらトンズラこかれたのだ。
場所は分かっている。分かってはいるが……。
「行きたく、ねぇなぁ……」
でも行かないと給料に直接響くしなぁ。
はあ、ともう一度大きな溜め息を吐いて、新調したばかりの革靴をその場所に向けて一歩踏み出した。
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「いやはや、桜子が私達を匿ってくれてるお陰で助かっているよ」
ズズっと片手で持ったお茶を啜りながら器用にゲームをしているのが、あたしの親友の一人である、夜凪湖夏。
「春馬が鬱陶しいから本当に助かるわぁ」
へらりと笑いながらパソコンをカタカタと音速か?と思うくらい打ちながら言ったのがもう一人の親友たる長月琉衣。
二人の共通点は作家ということ。
そして、あたしの大事な親友であるということ。
「良いのよー!彼氏のせいで本が出なかったら最悪の場合、沈めさせるから」
あたしは二人のファン一号と名乗っても過言ではないくらい、二人の創り出す創作物が大好きだ。
だからソレを邪魔する野郎は許さない。
「お嬢。いつもの御方がいらっしゃいましたが、如何されますか」
「ああ、居れてあげなさい」
黒髪をワックスで撫で上げた長身の男が、開け放した障子の外から声を掛けてくる。
それに応えれば会釈された。
少しだけ時を開けて部屋の中に入ってきたのは、シルバーフレームの眼鏡をしたスーツ姿の美丈夫。
クイッと眼鏡のフレームを中指で上げる仕草が、如何にも神経質そうに見えた。
まあ、中身は神経質とは程遠いのかも知れないけれども。
「お前ら、締切いつだって伝えたっけ?」
「……ん?そのイケボは……おお、東坂さんではないか。どうしたんですか?」
「夜凪せんせー?原稿は?」
「ははは」
「笑って済ませようとすんなよ?」
「いやはや。躾のなっていない大型犬がしつこくてな。桜子に避難させて貰って、今仕事をはじめようとしたところだ」
「とりあえずあの声優をいい加減躾しろ」
東坂さんと呼ばれた男は、遣る瀬無さそうに今度は琉衣を見る。
「夜長せんせー?原稿は?」
「……躾のなっていない大型犬のせいでイチからですが何か?」
「あの俳優はマテを知らんのか」
悟ったような眼差しをする東坂さんは、諦めの色をその眼鏡の奥にある茶色い瞳に滲ませ、
「働け、馬車馬の如く」
……ることなんて、まったくなくて。
冷たく二人にそう言い放った。
「分かっている。東坂さんの顔に泥を塗る行為をする気は無い」
「そうですよー。パパッと書き上げちゃうのでまあ、待っててください」
二人は良い子のお返事とばかりにそう言った。
東坂さんに見出されて作家デビューしたと言っても過言ではないからか、何やかんやと言いつつも、二人は東坂さんにだけは逆らえないのだ。
もっとも、二人が本気で東坂さんのことを嫌だと言うのなら、とっくにこの男を沈めていたかも知れない。
まあ、それも少し前のあたしの話なのだけれども。
「お疲れさまです。東坂さん」
「木嶋さん。毎度毎度問題児共を申し訳ない」
「いえいえ。二人の作品がこの世に出るのならば何だってしますよ!」
ふふ、と笑ってそう言えば、東坂さんは柔らかく微笑んだ。
その笑顔だけで心臓がバクバクと脈打つのを感じる。
「東坂さん。二人の作品が出来るまでお茶でも飲んでくださいな」
それを振り払うように、あたしは東坂さんに向かってそう言うとお茶を出来るだけ丁寧に淹れた。
**
「あー!やっと出来た!」
「私も出来たぞ」
その声が聞こえたのは、ほぼ同時だった気がする。
東坂さんが二人のことをジッと動かず見つめたまま、何時間経過しただろうか?
「せんせー共。良くやった」
「パソコンに送らせて貰った。確認してくれ。そして桜子、私にもお茶をくれ」
「私のもパソコンに送ってあります。あと私にもお茶ちょーだい、桜子」
甘えるようなその言葉に答えるように、お茶を淹れながら二人を労う。
「二人ともお疲れ様!ゆっくり休んでね」
「はあ、桜子は優しい子だなぁ。うちの俺様属性な大型犬に爪の垢でも飲ませてやりたいものだ」
「ふふ、確かに。うちの寂しがり屋わんこも桜子に躾して欲しいくらいだよー」
「二人が望むならするけどね?さて、二人とも。今日は泊まっていくの?」
「ああ、良いな。久し振りに旧知の友と語り明かすのも悪くは無い」
「さんせー。三嶋さんの料理も久し振りに食べたいしね」
「なら、連絡しなくちゃね」
そう言った途端に二人の動きが止まった。
どうしたのだろう?と首を傾げれば、二人はスマホを眺めたまま、硬直していた。
「湖夏?琉衣?」
呼び掛けには何故か応えない。
疑問に思っていたら原稿のチェックを終えた東坂さんがスっと動く。
「作家せんせー共。躾のなってない大型犬でも上手く使えと言ってるだろうが」
「いやはや、面目ない」
「まさかこんなに連絡来てるとは……引くわ……」
二人の言っている意味がよく分からなくて、とりあえず東坂さんに助けを求めるように顔を向けた。
東坂さんはそのシルバーフレームをクイッと中指で上げ、私の問いに答える。
「作家せんせー共の躾のなっていない大型犬が、連絡ツールが一切繋がらない二人を心配して探し回っているらしい」
「どこでそんな情報を……?」
「会社からメールが来ていた」
なるほど?では二人が固まっているのは、探されたくないから?
でもこの場所を突き止めるのは早々簡単に出来ることではない。
「安心してください、東坂さん」
「木嶋さん?」
「この木嶋組の名にかけて、二人の原稿は決して落とさせやしませんから!」
「……木嶋さんは、」
「はい?」
「桜子!私は家に帰る!私の大切なゲーム達が危険に晒されようとしているからな!」
「え?湖夏?」
「私も帰るわー。ちょっとこれは……あの馬鹿犬を躾に戻らないと」
「ええ!琉衣まで!」
「すまないな!お泊まり会はまた今度しよう!」
「匿ってくれてありがとうね、桜子!それじゃ!」
そう言って二人は風のように去って行った。
「ええ……」
後に残されたのはあたしと東坂さんだけ。
東坂さんは、はあ、と大きな溜め息を吐きながら二人を見送って言う。
「桜子」
「ぅ、……と、東坂さん!まだどこかに居るかも……!」
「二人なら追いやったから大丈夫」
「東坂さん……あの……なんで、急に呼び方……」
「二人きり、だからな?」
「……卑怯な」
ぷぅ、と唇を膨らませたら、男は卑怯なものなんですよ。とその場に東坂さんは座る。
「さて。邪魔者は居なくなったことだし、桜子。久し振りにイチャイチャしよう」
「直球ですね!?」
「あの作家せんせー共の原稿も上がったからな。それとも、桜子は嫌か?」
「嫌じゃ……ないですけど……」
「なら良いだろ。おいで。桜子」
手を広げてあたしを迎え入れるようにする東坂さんに、あたしは飛び付いた。
そう。そうなのである。
あたしと東坂さんは、あたしの立場上大っぴらには言えないが、そういう関係なのである。要は恋人同士だ。
胸の痛みも、ドキドキするのも、東坂さんだから。
東坂さんだから、鼓動がドキドキして止まないのだ。
「二人と久し振りに会えたのに……」
「俺とも久し振りだろうが」
「そうですけど……」
それにしたって、お泊まり会くらいは許して欲しかった。
滅多にない機会だと言うのに。
「そんなに拗ねるな。可愛い顔が台無しだ」
「分かってますよ。東坂さん」
「……いつまで苗字で呼ぶつもりだ?」
「……薫さん」
「いい子」
そう言って撫でられた頭に触れた大きな手のひらに身を委ねていたら、そういう雰囲気にもなるわけで。
「薫さん、あの、まだ、シャワー!」
「後で一緒に入れば良いだろう」
「そ、れは……」
「今は俺だけ感じてろ、桜子」
「ぅ、……はい」
そうして意識は溶けて、とろけて。
**
「だから嫌なんだよ、ここに来るのは」
眠る桜子の顔を見ながら、煙草を吸う。
サラリとした黒髪を優しく撫でれば、むず痒そうに俺の手に擦り寄ってきた。
歯止めが効かなくなるから、嫌なのだ。
そんな風に思うくらい、桜子が大事だから。
「作家せんせー共は、本当に良い仕事をしてくれる」
クッと口角を上げて、また煙草に口付けた。
あの二人に出会わなければ、桜子に出会うことは永遠になかっただろう。
何せ彼女は極道の組長の愛娘。
彼女と付き合うにあたっては、相応の苦労をしたものだ。
主に彼女を思う者達を説き伏せることに。
けれども手に入ればこちらのもの。
「離さねぇよ、桜子」
未だすやすやと寝息を立てている桜子に向かって、俺は笑った。