作家せんせーとイケメン彼氏

「夜長 累を(よなが かさね)の本が重版されたらしいね」

「何?焼き肉でも奢ってくれるの?」

パソコンと睨めっこしていたらそんな言葉が聞こえて来て、私はパソコンから目を離さないままにそう返す。

「琉衣に奢って俺になんの利益が生じるの?」

「春馬が焼き肉奢ってくれるなら今度の締め切りは破らなくて済みそうなんだけどなぁ」

「締め切りは破らないもんじゃないの?作家先生」

「痛いところをつかれたなぁ」

ぽん、と頭を撫でられながら春馬は「琉衣が気に入るような焼き肉屋あったかな……」と呟いた。
今をときめく若手実力派俳優、志葉春馬。
彼は私が原稿を上げる為ならなんだってすると公言して止まない。
靴の裏を舐めろと言ったら本当にやり兼ねないだろう。
別に春馬がそういう性癖を持った変態なわけではない。
ただたたひたすらに『夜長累』の純粋なまでに不純なファンらしい。

夜長累とは私のことだ。もちろんペンネームである。
本名は長月琉衣。この男のしがない恋人だ。
俳優である彼と付き合う切っ掛けなんて些細なことで。
彼が主演する映画の原作を書いたのが私であっただけである。

「それはそうと、琉衣」

「んー?」

過去に思いを馳せつつ、焼肉に釣られてやる気が出たのかパソコンのキーボードをカタカタと打っていれば、春馬に名前を呼ばれた。
なんだなんだ。珍しく今日は邪魔しかされないな?
普段は忠犬よろしく隣で大人しく台本を読んでいるのに。
琉衣、と再度優しく名前を呼ばれた。その声音に背筋がぞわっとするのを感じて、内心で頭を抱える。
これは私にとって不利益が生じそうな声だ。
そろり、と背にしていたソファから離れようと手をふかふかのカーペットに付けた瞬間、春馬に抱き締められた。

「今日俺が仕事から帰ってきてからちゅーもしてないんだけど、どういうこと?」

「わりと厳しい締め切り内容故にそういうのは勘弁願いたいんだけど……」

「厳しい締め切りになったのは誰のせい?」

「春馬のせいでしょうが」

春馬は締め切り前の私を何だかんだと言いくるめそういう行為にもつれ込み、散々私の邪魔をしたのだ。

「そう。俺のせい。だから、ちゅー」

「意味が分からないんだけど……」

春馬の甘えたスイッチは何処にあるのか本当に良く分からない。
締め切り前なので本当にやめて頂きたい。
担当編集の東坂さんが首を吊りかねないからね!

「琉衣、俺と愛し合お?」

「せめてこの原稿を上げてからにしてくれないかなぁ」

「じゃあ、ちゅー」

「はいはい」

そう言って私は春馬の顔を見ると、その薄い唇に唇を付けた。
びっくりしたように見開かれた瞳が、ぱちくりと瞬きをする。
私は驚いて固まっている春馬を置いて、パソコンを持つとリビングから自室へと可及的速やかに逃げた。
戦略的撤退って例え恋人相手にも大事だよね!

「る、琉衣がデレた……!」

そんな声が響いたけれども、まあ。無視を決め込むとして。
東坂さんからのラブコールという名の催促連絡をしり目にとにかく原稿を上げることに尽力したのであった。
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