ハイドランジア
ハイドランジアに逢いに行く前に、ハイドランジアの身辺を調べた。
そうしたら『海人』と言う男がハイドランジアに付き纏っているということが分かった。
今すぐにでも殺してしまいたい程の衝動と、これはハイドランジアを揺らがせる道具になるのではないのかと思った。
結果的には、俺の思うようになった。
――途中までは。
まさかハイドランジアが俺の心にまで触れるとは思わなかった。
あの、他者にも、俺にも、自分にさえ興味の薄いハイドランジアがだ。
ムカついた。それはもう、心底ムカついて、嫉妬でどうにかなってしまいそうだった。
でもね?少しだけ。ほんの少しだけ。期待をした。
俺の心に触れたハイドランジアが、俺のことを少しでも信じてくれるのではないのかと。
でも、そんなことはなかった。
ハイドランジアは、あまりに自分勝手で、あまりに、残酷な優しさを持っていた。
「ここ、は……」
目が覚めたら、そこには妻が居た。
「ギルバート様……!お目覚めになられましたか!?」
「……どうして、きみがここに居るの?」
この女は確か追放した筈なのに。
――どうして?
自分の妻を、どうして?
「ギルバート様?どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない。少し、疲れているみたいだから、今日は早めに寝るよ」
「そうですか……。あの、ギルバート様」
「どうかした?」
「いつものように、わたくしの名を呼んではくださらないのですか?」
「名前……?」
どうして自分の妻の名を呼びたくはないのだろう。
どうして俺は彼女の名前を思い出せないのだろう。
「ギルバート様?」
艶やかな灰色の髪は人狼族として当然の色で、黄金の瞳だって俺と同じもの。人狼族なら持っていて当然の其れにけれども異様な違和感を抱く。
チラリ、と脳裏に淡いアメジストのような色が浮かんだ。
「……っ」
「ギルバート様!?大丈夫ですか!お辛そうに見えますが……」
「大丈夫、気にしないで。ハイド……ラン、」
ハイドランジア?誰、だ。
――誰だ、其れは。
誰?いや、知っている筈。
だって、そうでなければこんなにも胸が締め付けられるわけがない。
「どなたですの?」
「……ねえ、きみはさ。どうして自分が捨てられたか、知っている?」
「……何を?」
妻は何を言われているのか分からない顔をしていた。
俺はそれがなんだかおかしくて、俺は少しだけ笑ってしまった。
「本来、人狼族の婚姻は生涯を添い遂げるのが絶対だ。けれども俺は、他の女を選んだ」
「……」
「どうしてだか分かる?」
訊けば、妻は分からないといった顔をしていた。
その顔に見覚えがあって、嬉しく思った。
「俺はね?自分の妻が他の男と内通していると、知っていたんだよ」
「な、いつう……?」
目の前の女の容姿より幼い声が響く。
彼女の声だ。俺の求める彼女の声。
「ねえ、ハイドランジア」
確信を持ってそう呼んだ。目の前で俺に気遣う女の皮を被っているのは――ハイドランジア。俺が求める、俺だけの女の名。
「どうして、分かったの……」
掛けられていた幻覚が解けていく。
心に触れられた状態で、俺が気付かなければあの幻覚は現実になっていただろう。
それほどの力をハイドランジアは持っている。
魔女王はどうやら、自分の娘たちの力を見誤っていたようだが。
「ハイドランジア。俺が、きみの存在に気が付かないわけがないでしょ?」
「どうして……」
「どうして、夢に浸かっていないのかって?」
震えるような声でハイドランジアは言う。
淡いアメジストの瞳が揺らぐように泳ぐ。
紡ぐ言葉は「どうして」としか言わず、それほどに信じられないのだろう。
「確かにね、俺は彼女のことを一瞬くらいは愛していたよ。彼女が、俺の親友と浮気をしていなければ、ハイドランジアのことを迎えることさえしなかったかも知れない」
それが、人狼族の婚姻だ。
本来、婚姻すれば浮気というのは処罰される程のことだ。
「でも俺は泳がせた」
何度も、何度も、彼女が他の男に抱かれるのを見送った。
「もうその時には俺の心も動いてはいなかったんだろうね」
そんな時に、ハイドランジア。きみが現れた。
「きみは陰気で死んだ目をしているし、なんだか貧乏くじを引いた気がしたなぁ、と思ったんだよ」
でも、と続ける。
「きみが、あまりに暖かかったから……」
「あたたかい?」
ハイドランジアは驚いたように目を丸くする。
「ボクは、ギルバートに何かをしたことはないよ」
「してくれたよ。して、くれたんだよ」
瞼を伏せて、その言葉を紡いだ。
きみは、ハイドランジアは、俺を救ってくれた。動かなくなった心を動かしてくれた。それが良いか悪いかはもう分からないけれども。
「俺にとってハイドランジアは無くてはならない、大事な奥さんなんだよ」
「どうして……そんな風に言うの?」
「俺がきみを愛しているから。それだけだよ」
「分からない。ボクには、何も……」
――ギルバートの心を知ることが出来ない。
「ボクには、心がないから」
「心ならあるでしょ?もう、止まっていた時が動いているんでしょ?」
あの男のせいとはいえ、俺のハイドランジアの心を動かしてくれたのは悪くない誤算だ。
「俺には出来なかったからね。止めてしまったハイドランジアの心を動かすことは」
「ギルバート……」
「どうか、俺の手をもう一度取ってよ」
それが、願い。たったひとつの、俺の願いだよ。
そうしたら『海人』と言う男がハイドランジアに付き纏っているということが分かった。
今すぐにでも殺してしまいたい程の衝動と、これはハイドランジアを揺らがせる道具になるのではないのかと思った。
結果的には、俺の思うようになった。
――途中までは。
まさかハイドランジアが俺の心にまで触れるとは思わなかった。
あの、他者にも、俺にも、自分にさえ興味の薄いハイドランジアがだ。
ムカついた。それはもう、心底ムカついて、嫉妬でどうにかなってしまいそうだった。
でもね?少しだけ。ほんの少しだけ。期待をした。
俺の心に触れたハイドランジアが、俺のことを少しでも信じてくれるのではないのかと。
でも、そんなことはなかった。
ハイドランジアは、あまりに自分勝手で、あまりに、残酷な優しさを持っていた。
「ここ、は……」
目が覚めたら、そこには妻が居た。
「ギルバート様……!お目覚めになられましたか!?」
「……どうして、きみがここに居るの?」
この女は確か追放した筈なのに。
――どうして?
自分の妻を、どうして?
「ギルバート様?どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない。少し、疲れているみたいだから、今日は早めに寝るよ」
「そうですか……。あの、ギルバート様」
「どうかした?」
「いつものように、わたくしの名を呼んではくださらないのですか?」
「名前……?」
どうして自分の妻の名を呼びたくはないのだろう。
どうして俺は彼女の名前を思い出せないのだろう。
「ギルバート様?」
艶やかな灰色の髪は人狼族として当然の色で、黄金の瞳だって俺と同じもの。人狼族なら持っていて当然の其れにけれども異様な違和感を抱く。
チラリ、と脳裏に淡いアメジストのような色が浮かんだ。
「……っ」
「ギルバート様!?大丈夫ですか!お辛そうに見えますが……」
「大丈夫、気にしないで。ハイド……ラン、」
ハイドランジア?誰、だ。
――誰だ、其れは。
誰?いや、知っている筈。
だって、そうでなければこんなにも胸が締め付けられるわけがない。
「どなたですの?」
「……ねえ、きみはさ。どうして自分が捨てられたか、知っている?」
「……何を?」
妻は何を言われているのか分からない顔をしていた。
俺はそれがなんだかおかしくて、俺は少しだけ笑ってしまった。
「本来、人狼族の婚姻は生涯を添い遂げるのが絶対だ。けれども俺は、他の女を選んだ」
「……」
「どうしてだか分かる?」
訊けば、妻は分からないといった顔をしていた。
その顔に見覚えがあって、嬉しく思った。
「俺はね?自分の妻が他の男と内通していると、知っていたんだよ」
「な、いつう……?」
目の前の女の容姿より幼い声が響く。
彼女の声だ。俺の求める彼女の声。
「ねえ、ハイドランジア」
確信を持ってそう呼んだ。目の前で俺に気遣う女の皮を被っているのは――ハイドランジア。俺が求める、俺だけの女の名。
「どうして、分かったの……」
掛けられていた幻覚が解けていく。
心に触れられた状態で、俺が気付かなければあの幻覚は現実になっていただろう。
それほどの力をハイドランジアは持っている。
魔女王はどうやら、自分の娘たちの力を見誤っていたようだが。
「ハイドランジア。俺が、きみの存在に気が付かないわけがないでしょ?」
「どうして……」
「どうして、夢に浸かっていないのかって?」
震えるような声でハイドランジアは言う。
淡いアメジストの瞳が揺らぐように泳ぐ。
紡ぐ言葉は「どうして」としか言わず、それほどに信じられないのだろう。
「確かにね、俺は彼女のことを一瞬くらいは愛していたよ。彼女が、俺の親友と浮気をしていなければ、ハイドランジアのことを迎えることさえしなかったかも知れない」
それが、人狼族の婚姻だ。
本来、婚姻すれば浮気というのは処罰される程のことだ。
「でも俺は泳がせた」
何度も、何度も、彼女が他の男に抱かれるのを見送った。
「もうその時には俺の心も動いてはいなかったんだろうね」
そんな時に、ハイドランジア。きみが現れた。
「きみは陰気で死んだ目をしているし、なんだか貧乏くじを引いた気がしたなぁ、と思ったんだよ」
でも、と続ける。
「きみが、あまりに暖かかったから……」
「あたたかい?」
ハイドランジアは驚いたように目を丸くする。
「ボクは、ギルバートに何かをしたことはないよ」
「してくれたよ。して、くれたんだよ」
瞼を伏せて、その言葉を紡いだ。
きみは、ハイドランジアは、俺を救ってくれた。動かなくなった心を動かしてくれた。それが良いか悪いかはもう分からないけれども。
「俺にとってハイドランジアは無くてはならない、大事な奥さんなんだよ」
「どうして……そんな風に言うの?」
「俺がきみを愛しているから。それだけだよ」
「分からない。ボクには、何も……」
――ギルバートの心を知ることが出来ない。
「ボクには、心がないから」
「心ならあるでしょ?もう、止まっていた時が動いているんでしょ?」
あの男のせいとはいえ、俺のハイドランジアの心を動かしてくれたのは悪くない誤算だ。
「俺には出来なかったからね。止めてしまったハイドランジアの心を動かすことは」
「ギルバート……」
「どうか、俺の手をもう一度取ってよ」
それが、願い。たったひとつの、俺の願いだよ。
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