梅雨空に紫陽花
下校の時間も終わり、職員室の灯りもまばらになった頃だった。
私もそろそろ帰りましょうかと鞄に必要な物を仕舞い、席を立った時でした。
「あれ?柴ちゃん?」
「……どうして加納くんがこんな遅い時間に居るんですか?」
「俺は忘れ物を取りに」
誤魔化すような笑みを浮かべる加納くんに、私は溜め息を吐き出しました。
それはもうこれ見よがしに。
加納くんは恐らく女の子とイイ事でもしていたのでしょう。
まったく。若いというものですね。
私にまったく覚えがないというわけではありませんので特に言及はしないであげましょう。
「柴ちゃんはこれから帰るの?」
「仕事も片付きましたし帰りますよ」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
「おやおや。夜道が怖いんですか?」
「何言ってんの柴ちゃん。柴ちゃんだって仮にも女の子なんだから、痴漢とか変質者とかと遭遇したら大変デショ」
「一丁前にナイト気取りですか。若いって良いですねぇ」
「柴ちゃんは年齢に何か恨みでもあるの?」
まあ、いいや。と言いながら加納くんは私が職員室の扉近くまで来るのを待っています。
本当にナイト気取りなんですかねぇ?
そんなことを考えながら私は加納くんの傍に寄ります。
「柴ちゃん」
「なんですか」
暗い廊下の中を歩いていると加納くんが私を呼ぶ。
それに応えれば、加納くんは、ふふ、と笑って言いました。
「明日のデザートはマフィンが良いなぁ」
「ああ、いいですねぇ。マフィン」
甘い香りを発する焼き菓子の名称を言われた瞬間に、今日は寝坊していつものケーキ屋さんでおやつを買えず用意していなかったことを悔やんだ。
人生八十年の時代とはいえ、食事やおやつは大事です。
食べられる機会があるのならば積極的に食べなくては損というもの。
カロリーは美味しいもので出来ています。
「柴ちゃんはあんなに食べてるのになんでそんな細身なの?」
「女性の体形に口出しするものではありませんよ。先生だって食べる代わりに気を使って運動しているんですから」
「なぁんだ。生まれ持って痩せやすいとかじゃないんだ」
「努力は大事ですよ。運動も大事です。何せ運動したら次の日に美味しいお菓子が食べられるんですから」
そんな話ばかりをしていたらお腹が空いてきました。
切なく鳴くお腹の音に、今夜は何を食べましょうかねぇと考えます。
「ね、柴ちゃん」
「なんですか加納くん」
「柴ちゃんの胃袋掴む人って、今まで居た?」
「はい?」
ピタリと止まった足。
私も止まれば、そんなことを聞かれました。
私はにっこりと笑って言います。
「この世界に一人だけ、居ましたよ」
あの人の料理は優しくて、美味しくて。何より愛情が籠っていて。
とても大好きでした。
そう言えば加納くんは興味無さげに「へぇ」と答えるだけで。
あとは会話なんてなくて。
電気の付いた廊下から見えたグラウンドを月明りが照らしていたのを見つめながら、私は加納くんを迎えに来た車を笑顔で見送り岐路につきました。
「そう言えば加納くんは何を忘れたんでしょう」
忘れ物があると言っていた彼の手には学生鞄すら持っていなくて、一緒に帰ると言いながら途中で車を呼んで。
一体彼は何をしにきたのやら。
私には皆目見当もつきません。
私もそろそろ帰りましょうかと鞄に必要な物を仕舞い、席を立った時でした。
「あれ?柴ちゃん?」
「……どうして加納くんがこんな遅い時間に居るんですか?」
「俺は忘れ物を取りに」
誤魔化すような笑みを浮かべる加納くんに、私は溜め息を吐き出しました。
それはもうこれ見よがしに。
加納くんは恐らく女の子とイイ事でもしていたのでしょう。
まったく。若いというものですね。
私にまったく覚えがないというわけではありませんので特に言及はしないであげましょう。
「柴ちゃんはこれから帰るの?」
「仕事も片付きましたし帰りますよ」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
「おやおや。夜道が怖いんですか?」
「何言ってんの柴ちゃん。柴ちゃんだって仮にも女の子なんだから、痴漢とか変質者とかと遭遇したら大変デショ」
「一丁前にナイト気取りですか。若いって良いですねぇ」
「柴ちゃんは年齢に何か恨みでもあるの?」
まあ、いいや。と言いながら加納くんは私が職員室の扉近くまで来るのを待っています。
本当にナイト気取りなんですかねぇ?
そんなことを考えながら私は加納くんの傍に寄ります。
「柴ちゃん」
「なんですか」
暗い廊下の中を歩いていると加納くんが私を呼ぶ。
それに応えれば、加納くんは、ふふ、と笑って言いました。
「明日のデザートはマフィンが良いなぁ」
「ああ、いいですねぇ。マフィン」
甘い香りを発する焼き菓子の名称を言われた瞬間に、今日は寝坊していつものケーキ屋さんでおやつを買えず用意していなかったことを悔やんだ。
人生八十年の時代とはいえ、食事やおやつは大事です。
食べられる機会があるのならば積極的に食べなくては損というもの。
カロリーは美味しいもので出来ています。
「柴ちゃんはあんなに食べてるのになんでそんな細身なの?」
「女性の体形に口出しするものではありませんよ。先生だって食べる代わりに気を使って運動しているんですから」
「なぁんだ。生まれ持って痩せやすいとかじゃないんだ」
「努力は大事ですよ。運動も大事です。何せ運動したら次の日に美味しいお菓子が食べられるんですから」
そんな話ばかりをしていたらお腹が空いてきました。
切なく鳴くお腹の音に、今夜は何を食べましょうかねぇと考えます。
「ね、柴ちゃん」
「なんですか加納くん」
「柴ちゃんの胃袋掴む人って、今まで居た?」
「はい?」
ピタリと止まった足。
私も止まれば、そんなことを聞かれました。
私はにっこりと笑って言います。
「この世界に一人だけ、居ましたよ」
あの人の料理は優しくて、美味しくて。何より愛情が籠っていて。
とても大好きでした。
そう言えば加納くんは興味無さげに「へぇ」と答えるだけで。
あとは会話なんてなくて。
電気の付いた廊下から見えたグラウンドを月明りが照らしていたのを見つめながら、私は加納くんを迎えに来た車を笑顔で見送り岐路につきました。
「そう言えば加納くんは何を忘れたんでしょう」
忘れ物があると言っていた彼の手には学生鞄すら持っていなくて、一緒に帰ると言いながら途中で車を呼んで。
一体彼は何をしにきたのやら。
私には皆目見当もつきません。