琥珀の瞳は三日月に歪む/寄稿作品
ある日、仕事から戻って家に帰ってきたらそこは血塗れで。
「おい、まぁた悪戯か?」
以前にもこういう悪戯をマモンがしたことがあったから、俺はてっきりそうだとばかり思って。
でも、今日はなんだか違った。空気がまず、血生臭かった。
「おい……」
家の中を見渡したら、どこもかしこも血塗れで。少し焦りながらいつもマモンが寝転がっているソファーに近付けば、マモンがそこにちょこんと座っていた。
そのことに安心した自分が居て少しだけ驚いたけれども。ゆっくりと近付いていけば、マモンがぐるりとこちらを向いた。マモンの琥珀のような瞳は爛々と、いっそ満月のように輝いていた。
「何が、あった?」
「んー……トーマのこと殺しに、人間がたくさん来たから」
「……全員、喰ったのか?」
「ふふ。どうだと思う?」
妊婦のように胎を擦るマモンが酷く蠱惑的に見えた。さすが強欲。強欲の化身とも言える存在。強い欲望を持ったこの悪魔は容赦がない。現に『今までも』そうだった。
「そうか……なら、この家も捨てなきゃいけねぇな」
「そうだよねぇ。トーマならそう言ってくれるって僕は信じてたよ!」
にっこりと笑ってとてとてと近付いて来たマモンは俺に囁くように言う。
「僕の為に生きて、そうして死んでくれるトーマなら。僕の為に動いてくれるって信じてた」
そう言われながら俺は無言で床を見下ろす。あーあ、血塗れだ。こりゃ、敷金礼金返ってくるかな。
なんてそんなことを考えながら頭を掻いている時点で俺も立派にこの強欲な悪魔に毒されているのかも知れない。
「ねえ、トーマ」
「あ? なんだよ」
俺がどうやって大家に言い訳をしようかと考えていたら名前を呼ばれた。
おざなりに答えれば、マモンが背中に張り付いてくる。血液の香りが鼻をついた。
「僕の為にそろそろ死んでくれる覚悟は出来た?」
「そんなわけねぇだろ」
俺がマモンの為に死ぬということは、マモンの元に嫁ぐということは。百は居るマモンの番の中のひとりになるということに過ぎない。
マモンは強欲。強欲故に寂しがりでもあるから気に入った人間を見つけて契約をし、その人間の死後は番になる。それは男でも女でも変わらない。
だからこそ俺は『人間』で居たい。居続けたい。マモンの興味がまだ俺に向いているうちは、まだ。
「トーマ。きみは本当に『強欲』だなぁ」
ふふ、とマモンは笑った。お似合いだろ? なんて、口が裂けても俺にはまだ言えないが。曖昧な笑みを返して、俺はただこの血の海をどうするかだけを考えた。
――その悪魔は出逢ったその日に言ったのだ。
「僕はマモン。悪魔だよ」
ねぇ、憐れにも同業を殺してしまったきみ。その生に必死にしがみついている憐れで愚かで矮小な生き物。
「その生に縋り付いて、まだ生きたいのなら僕と契約しなよ」
そうしたら、僕が飽きるまでは傍に居てあげる。置いて上げる。気が向いたらなんだってしてあげる。
「でも覚えておいて?」
僕は『強欲を司る悪魔』だから、一度手に入れたモノは滅多に捨てたりなんてしないんだ。
「例えば塵ゴミみたいなきみの命だって、ね?」
その悪魔は栗毛の髪に琥珀の瞳をにんまりと三日月のように歪めながら、ボーっと突っ立ている俺に向かって静かに微笑んだ。
ソレはまさに悪魔のような言葉だった。
けれども疲れ果てた俺にはまるで神からの啓示のような、そんな風に感じてしまった。
仲間だった者達の亡骸は視界に入らず、血の海の中で神の忠実なるしもべは悪魔が差し出してきた誘惑の手を、確かに掴んだ。
「おい、まぁた悪戯か?」
以前にもこういう悪戯をマモンがしたことがあったから、俺はてっきりそうだとばかり思って。
でも、今日はなんだか違った。空気がまず、血生臭かった。
「おい……」
家の中を見渡したら、どこもかしこも血塗れで。少し焦りながらいつもマモンが寝転がっているソファーに近付けば、マモンがそこにちょこんと座っていた。
そのことに安心した自分が居て少しだけ驚いたけれども。ゆっくりと近付いていけば、マモンがぐるりとこちらを向いた。マモンの琥珀のような瞳は爛々と、いっそ満月のように輝いていた。
「何が、あった?」
「んー……トーマのこと殺しに、人間がたくさん来たから」
「……全員、喰ったのか?」
「ふふ。どうだと思う?」
妊婦のように胎を擦るマモンが酷く蠱惑的に見えた。さすが強欲。強欲の化身とも言える存在。強い欲望を持ったこの悪魔は容赦がない。現に『今までも』そうだった。
「そうか……なら、この家も捨てなきゃいけねぇな」
「そうだよねぇ。トーマならそう言ってくれるって僕は信じてたよ!」
にっこりと笑ってとてとてと近付いて来たマモンは俺に囁くように言う。
「僕の為に生きて、そうして死んでくれるトーマなら。僕の為に動いてくれるって信じてた」
そう言われながら俺は無言で床を見下ろす。あーあ、血塗れだ。こりゃ、敷金礼金返ってくるかな。
なんてそんなことを考えながら頭を掻いている時点で俺も立派にこの強欲な悪魔に毒されているのかも知れない。
「ねえ、トーマ」
「あ? なんだよ」
俺がどうやって大家に言い訳をしようかと考えていたら名前を呼ばれた。
おざなりに答えれば、マモンが背中に張り付いてくる。血液の香りが鼻をついた。
「僕の為にそろそろ死んでくれる覚悟は出来た?」
「そんなわけねぇだろ」
俺がマモンの為に死ぬということは、マモンの元に嫁ぐということは。百は居るマモンの番の中のひとりになるということに過ぎない。
マモンは強欲。強欲故に寂しがりでもあるから気に入った人間を見つけて契約をし、その人間の死後は番になる。それは男でも女でも変わらない。
だからこそ俺は『人間』で居たい。居続けたい。マモンの興味がまだ俺に向いているうちは、まだ。
「トーマ。きみは本当に『強欲』だなぁ」
ふふ、とマモンは笑った。お似合いだろ? なんて、口が裂けても俺にはまだ言えないが。曖昧な笑みを返して、俺はただこの血の海をどうするかだけを考えた。
――その悪魔は出逢ったその日に言ったのだ。
「僕はマモン。悪魔だよ」
ねぇ、憐れにも同業を殺してしまったきみ。その生に必死にしがみついている憐れで愚かで矮小な生き物。
「その生に縋り付いて、まだ生きたいのなら僕と契約しなよ」
そうしたら、僕が飽きるまでは傍に居てあげる。置いて上げる。気が向いたらなんだってしてあげる。
「でも覚えておいて?」
僕は『強欲を司る悪魔』だから、一度手に入れたモノは滅多に捨てたりなんてしないんだ。
「例えば塵ゴミみたいなきみの命だって、ね?」
その悪魔は栗毛の髪に琥珀の瞳をにんまりと三日月のように歪めながら、ボーっと突っ立ている俺に向かって静かに微笑んだ。
ソレはまさに悪魔のような言葉だった。
けれども疲れ果てた俺にはまるで神からの啓示のような、そんな風に感じてしまった。
仲間だった者達の亡骸は視界に入らず、血の海の中で神の忠実なるしもべは悪魔が差し出してきた誘惑の手を、確かに掴んだ。