鬼灯堂1
数日後、俺は狐の客を連れて狐の店まで歩いていた。
親友である神咲英智(かんざき えいち)も何故か着いてきた。
何故か、という疑問はすぐに解消されたけれども。
「英智くん、あたしのこと彼女にしてよー」
短いスカートに着崩した制服。派手なメイクにキツイ香水の臭いが鼻をつく。
英智の気紛れで彼女候補になったらしい女の子は、客ではないので俺は気にしないことにした。
狐の『客』は女の子に着いてきた、顔に見合っていない大きな黒縁の眼鏡をしている大人しそうな少年。
女の子と英智が楽しそうに話している中、沈黙が続いた為に苦し紛れに聞けば、高校一年生だと言う。
俺の一個下だな、と笑えば、はにかむように微かに笑った彼は、とても良い子なのだろう。
他愛もない話をしていたら俺達は路地の裏にひっそりとある『鬼灯堂』に辿り着いた。
「なんか怪しくなぁい?本当にこんなところで和馬のうっざい言葉消してくれるの?」
「……っ」
キュッと唇を噛み締める和馬くんは悔しそうに手のひらを握り締めていた。
「入るぞ」
俺はそこには触れずに、ただ一言、店に語りかけるように声を掛けた。
軋みもなく開く扉の向こう、甘い匂いが鼻を擽る。番台のようなテーブルに肘をつき、煙管を弄んでいた狐は待ちくたびれたようにこちらを見た。
「おお、来たかえ」
「誰、おばさん」
「ふ、ふふ。『おばさん』とは失礼な言い方よの小娘」
「喋り方も変だしぃ、本当に大丈夫なの?英智くん」
可愛こぶっているのがひと目でわかる程の狐と英知への扱いの差に、俺はハラハラとする。
主に狐を『おばさん』と言ったことについて。
英智はニコニコとしながら「彼女はスペシャリストだよ」と囁いていた。英智は女に甘い。だらしないの域に入るくらいには。
そんなところが狐に嫌われているのだと、こいつも気付いているだろうに。
――いや、気付いていないからこうやって女の子を連れて狐の前に現れられるのだろうけれども。
「この子だってよ」
「……よ、よろしくお願いします」
消え入りそうな声で狐に頭を下げた和馬くん。これからどんなことが起きるかも分からないのに、本当に優しい子なんだな、と思った。
優しいから受け入れてしまったんだな、と。
「小僧、わらわに『売りたいモノ』とは、なんぞえ」
狐が優しく訊く。和馬くんは少し戸惑ったように口をもごもごとさせていた。やっぱり決心なんてつかないよな。
「ちょっと和馬!早く言いなさいよ!」
そんなことを思っていたら、英智の腕に腕を絡ませながら、眉間に皺を寄せて噛みつくように和馬くんに声を荒げる。
おお、怖い。
「ぼ、僕が売りたいものは……」
「うん。ゆっくりで良いぞえ。申してみよ」
「……っ、か、カンナちゃんへの『想い全部』です……」
「……全部、とな」
きょとり、と目を丸くしている狐は女の子を見た。
女の子――カンナちゃん――は泣き出してしまいそうなくらい切ない顔をしている和馬くんのことなどお構い無しに英智に話し掛けていた。
英智も英智でそれに受け答えしたけれども、聞き耳はしっかり立てているのだろう。
そういう男なのだ。神咲英智という男は。
「ほう……。それだけの想いを持ちながら、わらわに売ると申すか。捨てろと言われ、其れを捨てられるか。まあ、わらわに拒む理由はないがの」
しかし小僧。その小娘は理解しておらぬようだが、分かっておるかえ?
そう言って、狐は目を細めて煙管で和馬くんを指した。
「『全部』ということは……」
「良いんです!……もう、良いんです……!何をしても伝わらないのなら、何を言ってもダメなら、もう……構わないんです……!」
「……そうかえ。野暮なことを言うた。許しておくれ」
「いえ……。僕こそ声を荒らげてすみませんでした……」
狐は「お主が気にするでない」と言い、そうしてチラリと英智を見た。いや、正確には英智の腕に絡み付くカンナちゃんを。
「小娘よ」
「何よ」
「惜しい者を無くすことになったのう」
「は?なんのこと?」
哀れみを含んだ瑠璃色の眼差しを向けて、首を緩く振った狐は煙管の吸口に口をつけた。
「ああ、始まるね」
英智が楽しそうに言った。
何が楽しいんだお前は、と思いながらも口にはしない。
和馬くんの中からとある『モノ』が『消える』時が来たからだ。
狐はふぅ、と煙を吐いた。その煙は和馬くんを包み込み、まるで食べるように蠢く。
それが収まった時、煙が消えた時。和馬くんの日本人らしい黒い瞳から『感情』という色が失われていく。正確には『カンナちゃんを想っていた感情』が、だ。
「か、和馬?」
その異変に真っ先に気付いたのは思った通り、カンナちゃんだった。
和馬くんは色を失った瞳で、声で、冷酷なまでに告げる。
「これから最低限しか近付かないから安心して。僕も、もう君みたいな下品な女の子には興味ないし」
「は?ナニ?何言ってんの?本気?アンタ、あんだけあたしのこと好きって……」
「なんのこと?」
本当に意味が分からないと言った風に和馬くんは首を傾げた。
「用は済んだし、僕もう帰らなきゃ。宿題しなきゃだし」
「べ、勉強はあたしと一緒にする約束してるじゃん!あたしの言うこと破る気!?」
「どうして?」
「え、」
「好きでもない女の子と二人きりで居て、好きでもない子の命令を聞いて、何が楽しいの?僕になんのメリットがあるの?」
「……え、」
カンナちゃんの顔はまさに驚愕、といったような顔だった。
そうしてその感情は狐に向く。
「な、何したのよ!和馬に何したの!?」
「お前様の願い通り、消してやったのよ。お前様を『想い想い苦しい心』すべてをのう」
「何言って、」
「小娘に良いことを教えてやろう。ここ、『鬼灯堂』はのう。『何でも屋』じゃ。特に人間の『想い』を売り買いする場所での。どんな想いも売られ買われてゆく店とうことよの」
小娘、今ならまだ間に合うぞえ?
お前様を想うてくれる男の『想い』を、今ならまだ誰にも売ってはおらぬ。
この『想い』の熱は良きものじゃ。暖かくて優しくて。
――きっと、
「高く売れるでなぁ」
にんまりと笑った狐に怖気付いたのか、カンナちゃんは「そんなもの要らない!」と言って絡めていた腕を離して、店から去って行った和馬くんを追って行った。
親友である神咲英智(かんざき えいち)も何故か着いてきた。
何故か、という疑問はすぐに解消されたけれども。
「英智くん、あたしのこと彼女にしてよー」
短いスカートに着崩した制服。派手なメイクにキツイ香水の臭いが鼻をつく。
英智の気紛れで彼女候補になったらしい女の子は、客ではないので俺は気にしないことにした。
狐の『客』は女の子に着いてきた、顔に見合っていない大きな黒縁の眼鏡をしている大人しそうな少年。
女の子と英智が楽しそうに話している中、沈黙が続いた為に苦し紛れに聞けば、高校一年生だと言う。
俺の一個下だな、と笑えば、はにかむように微かに笑った彼は、とても良い子なのだろう。
他愛もない話をしていたら俺達は路地の裏にひっそりとある『鬼灯堂』に辿り着いた。
「なんか怪しくなぁい?本当にこんなところで和馬のうっざい言葉消してくれるの?」
「……っ」
キュッと唇を噛み締める和馬くんは悔しそうに手のひらを握り締めていた。
「入るぞ」
俺はそこには触れずに、ただ一言、店に語りかけるように声を掛けた。
軋みもなく開く扉の向こう、甘い匂いが鼻を擽る。番台のようなテーブルに肘をつき、煙管を弄んでいた狐は待ちくたびれたようにこちらを見た。
「おお、来たかえ」
「誰、おばさん」
「ふ、ふふ。『おばさん』とは失礼な言い方よの小娘」
「喋り方も変だしぃ、本当に大丈夫なの?英智くん」
可愛こぶっているのがひと目でわかる程の狐と英知への扱いの差に、俺はハラハラとする。
主に狐を『おばさん』と言ったことについて。
英智はニコニコとしながら「彼女はスペシャリストだよ」と囁いていた。英智は女に甘い。だらしないの域に入るくらいには。
そんなところが狐に嫌われているのだと、こいつも気付いているだろうに。
――いや、気付いていないからこうやって女の子を連れて狐の前に現れられるのだろうけれども。
「この子だってよ」
「……よ、よろしくお願いします」
消え入りそうな声で狐に頭を下げた和馬くん。これからどんなことが起きるかも分からないのに、本当に優しい子なんだな、と思った。
優しいから受け入れてしまったんだな、と。
「小僧、わらわに『売りたいモノ』とは、なんぞえ」
狐が優しく訊く。和馬くんは少し戸惑ったように口をもごもごとさせていた。やっぱり決心なんてつかないよな。
「ちょっと和馬!早く言いなさいよ!」
そんなことを思っていたら、英智の腕に腕を絡ませながら、眉間に皺を寄せて噛みつくように和馬くんに声を荒げる。
おお、怖い。
「ぼ、僕が売りたいものは……」
「うん。ゆっくりで良いぞえ。申してみよ」
「……っ、か、カンナちゃんへの『想い全部』です……」
「……全部、とな」
きょとり、と目を丸くしている狐は女の子を見た。
女の子――カンナちゃん――は泣き出してしまいそうなくらい切ない顔をしている和馬くんのことなどお構い無しに英智に話し掛けていた。
英智も英智でそれに受け答えしたけれども、聞き耳はしっかり立てているのだろう。
そういう男なのだ。神咲英智という男は。
「ほう……。それだけの想いを持ちながら、わらわに売ると申すか。捨てろと言われ、其れを捨てられるか。まあ、わらわに拒む理由はないがの」
しかし小僧。その小娘は理解しておらぬようだが、分かっておるかえ?
そう言って、狐は目を細めて煙管で和馬くんを指した。
「『全部』ということは……」
「良いんです!……もう、良いんです……!何をしても伝わらないのなら、何を言ってもダメなら、もう……構わないんです……!」
「……そうかえ。野暮なことを言うた。許しておくれ」
「いえ……。僕こそ声を荒らげてすみませんでした……」
狐は「お主が気にするでない」と言い、そうしてチラリと英智を見た。いや、正確には英智の腕に絡み付くカンナちゃんを。
「小娘よ」
「何よ」
「惜しい者を無くすことになったのう」
「は?なんのこと?」
哀れみを含んだ瑠璃色の眼差しを向けて、首を緩く振った狐は煙管の吸口に口をつけた。
「ああ、始まるね」
英智が楽しそうに言った。
何が楽しいんだお前は、と思いながらも口にはしない。
和馬くんの中からとある『モノ』が『消える』時が来たからだ。
狐はふぅ、と煙を吐いた。その煙は和馬くんを包み込み、まるで食べるように蠢く。
それが収まった時、煙が消えた時。和馬くんの日本人らしい黒い瞳から『感情』という色が失われていく。正確には『カンナちゃんを想っていた感情』が、だ。
「か、和馬?」
その異変に真っ先に気付いたのは思った通り、カンナちゃんだった。
和馬くんは色を失った瞳で、声で、冷酷なまでに告げる。
「これから最低限しか近付かないから安心して。僕も、もう君みたいな下品な女の子には興味ないし」
「は?ナニ?何言ってんの?本気?アンタ、あんだけあたしのこと好きって……」
「なんのこと?」
本当に意味が分からないと言った風に和馬くんは首を傾げた。
「用は済んだし、僕もう帰らなきゃ。宿題しなきゃだし」
「べ、勉強はあたしと一緒にする約束してるじゃん!あたしの言うこと破る気!?」
「どうして?」
「え、」
「好きでもない女の子と二人きりで居て、好きでもない子の命令を聞いて、何が楽しいの?僕になんのメリットがあるの?」
「……え、」
カンナちゃんの顔はまさに驚愕、といったような顔だった。
そうしてその感情は狐に向く。
「な、何したのよ!和馬に何したの!?」
「お前様の願い通り、消してやったのよ。お前様を『想い想い苦しい心』すべてをのう」
「何言って、」
「小娘に良いことを教えてやろう。ここ、『鬼灯堂』はのう。『何でも屋』じゃ。特に人間の『想い』を売り買いする場所での。どんな想いも売られ買われてゆく店とうことよの」
小娘、今ならまだ間に合うぞえ?
お前様を想うてくれる男の『想い』を、今ならまだ誰にも売ってはおらぬ。
この『想い』の熱は良きものじゃ。暖かくて優しくて。
――きっと、
「高く売れるでなぁ」
にんまりと笑った狐に怖気付いたのか、カンナちゃんは「そんなもの要らない!」と言って絡めていた腕を離して、店から去って行った和馬くんを追って行った。