刀さに短編集

鶴丸、あの約束覚えてる?
突然、主に呼ばれてみればそんな言葉を吐かれた。
あの約束? なんの約束だ?
この前知らずに食べてしまった主のプリンなら新しいものを買ってきたし、その前にやらかした落とし穴は、しばらく掘る気にもならないくらいに長谷部に叱られ、そのあとも反省の色のない俺を見兼ねた光坊と伽羅坊が俺を引き摺りながら一緒に埋めた記憶なら久しいが……。
しかして一体なんの約束だ?
うーんと首を傾げながら考えていれば、主はクスクスと鈴の鳴るような声で笑いながら言った。

「やっぱり、覚えてないわよね」
「いや、きみと約束したことは覚えている。ちょっと待ってくれ。今思い出す」

まったく覚えてません、と言っているようなものだが本当に分からない。一体なんだと言うのだ。
けれどその思考を遮るように主は俺の名を呼ぶ。

「鶴丸国永」
「なんだ?」
「あなたは、あなたのまま。そのままで居てね」
「俺は俺のままだぞ」

何を言っているんだとばかりにそう返せば、主はやはりクスクスと軽やかに笑った。


その数日後だった。
主が病で倒れたのは。


「きみはどうしてそんなに笑っていられるんだ」
「そうねぇ。あなたが居てくれるからかしら」
「そんな理由で、人は生きていけるのか?」
「そんな理由で、人は生きていけるのよ」

たったひとつ、約束をするだけでも生きていける程度には、人間ってすごいのよ。

「……きみは、死ぬのか」
「そうだね、たぶん、死んじゃうわね」
「どうにもならないのか?」
「どうにもならないわ」
「諦めるのか?」
「諦めたくなくても、諦めが肝心な時ってあるのよ。鶴丸」

諦めが肝心と言いつつ、どうしてその澄んだ美しい瞳の中には確かな光があるのだろうか。
俺には分からない。俺が人の熱を持たない玉鋼から生まれたからだろうか?
知りたいと思った。知ってしまえたなら、きっともっと素晴らしい驚きを得られると思った。

けれどもその感情を知る前に、夜に急変し、朝には氷の如く冷たくなっていた。
呆気なく黄泉の国に逝ってしまったのだ。

悲しむものは多い。だが俺達は無情にも戦場の世の中に居る。
練度の高い刀剣男士の不足を理由に本丸は主の葬儀を済ませた明日の朝には解体され、本丸の皆は例外以外は他の本丸に行くことになっている。

「結局、約束を思い出せなかったな……」

主との約束なんてした覚えがなかった。
否、色々な約束をし過ぎて埋もれてしまっているだけかもしれないが。
どの約束だったか、なんて考えている間に時間が過ぎて、夜が白み始めていた。もうすぐ朝が来る。
時の政府の連中が来るの間もなくだろう。
主が望んでいた約束を思い出せないままに俺は他の本丸に行くのか。

「それは少し、嫌だなァ」

とはいえ、顕現したまま居て欲しいと願ったのも主で。それは主の遺志で。その遺志を継ぐ気持ちが多い刀の方が多くて。
本当に主は好かれる人であった。人徳者というのは、ああいう子を言うのだろうか?
いつも穏やかで、にこにこと見守っているけれども、言う時はしっかり言う。

「俺達がきみのお願いに逆らえないのを知っている筈なのに、まったくきみときたら」

そこに付け込んだ政府の連中も連中だが。
小さくなった主が入った白い箱を目の前に、俺は主に問い掛ける。
今はもう何も応えてはくれない主に、困ったように問い掛ける。

「何が望みだったんだ?」

俺は何も思い出せない。
そうして欲しいと、主が思っているからだろうか。

「まーだ、主のところに居たの? 鶴丸さん」
「お、加州。なんだなんだ。傷心のじじいでも慰めにきてくれたのか」
「傷心なのはみんな一緒。というか、そうじゃないし」
「じゃあ、一体どうし……」
「鶴丸さん。驚かないで聞いて欲しい」

そう言って加州は突然真面目な顔をして勝手に話はじめた。

「鶴丸さんは、この本丸では一振り目だと言われているよね?」
「まあ、俺が来たのはつい最近だったからな」

鍛刀運に恵まれたこの本丸で、鶴丸国永という個体がこんなにも遅く来るのは珍しいとは思ったが。

「本当は違うんだ」

鶴丸さんは、一振り目じゃない。二振り目の『鶴丸国永』なんだ。

「何を言って……?」
「一振り目の鶴丸国永は、一度折れている」

鶴丸さんが来る、少し前にね。

「そうしてその鶴丸国永は、主と恋仲でもあった」
「……そいつは、驚きだな」
「主は一振り目の鶴丸国永が折れてから、ずっと笑っていたんだ。ずっと。誰にも弱みを見せないように。あんなに泣き虫だったのに」
「俺は主が泣いたところなんて一度も見たことがないが」
「アンタが来るまで、いや、来たあともか。ずっと笑っていたからね」

加州が話すことは驚きの事実が続き過ぎて、頭が痛くなってきた。

「つまり俺は、本丸のみんなに嘘を吐かれていたということか」
「そういうことじゃない。みんな嬉しかったんだよ。主が、仮初の笑顔しか浮かべていなかった主が、嬉しそうに笑うようになって」

俺達はね、本当に嬉しかったんだ。

「でも、そのツケか、はたまた一振り目の呪いかな。主がきみと仲良くなるほどに、主の精神は蝕まれ、主の心も身体もどんどん生気を失っていった」
「そんなこと、俺には感じなかったが……」
「隠してたからね。俺達に気取られないように、ずっと」

初期刀である俺にもなんにも教えてくれなかった。

「なぜ、俺にそんなことを今更伝えたんだ?」
「さあ、なんでだろうね?」
「おいおい、ここまで言っておいてその言い草はないだろう」
「ただ、」

俺の追求を無視して、加州は一度言葉を切ると、一言だけ静かに告げた。

「俺は主が大好きだったし、前の鶴丸国永も今の鶴丸国永も嫌いじゃないから。だから、伝えたのかもしれない」
「これから他の本丸に行くのに、か」
「俺は主の初期刀だからね。このまま刀解してもらうつもりだよ」
「それは狡いな」
「初期刀の権限ってやつかな」

茶目っ気のある顔なのに、その紅い瞳を縁取る瞼は腫れていた。
いつも主の為に、ひいては自分の為に可愛く在ろうとしていた加州清光が。
かなり泣いたのだろう。
それでも加州清光は初期刀だった。
主亡き今、この本丸のすべてを担っているのもまた初期刀である加州清光なのだから。

「鶴丸さんは違う本丸に行きたくないなんて言わないよね」
「……言いたくても、というやつだな」
「はは、まあ、そうなんだけどねぇ」

俺は、と加州は独り言のように言う。

「別に、我が儘を言ってもいいと思うんだよね。主の為に働き、主の為に折れる。それが刀の本懐だとも思っているから」
「そうだな」

その通りだ、と言えば、加州はゆっくりと瞬きをして、そうして言った。

「だから、鶴丸さん。鶴丸さんも、我が儘言いなよ」
「はは、言いたい相手は、今は居ないからな」

明日には主は墓の中。
その中に共に、と願っても彼女は望まないだろう。
彼女には好いた刀が居たのだから。
その刀は別個体だとはいえ、俺だと思えば、なんとも言い難い感情が襲ってくるが。
俺という存在が彼女にとって一生二番手ならば、鶴丸国永という個体の居ない本丸で幸せになった方がいいのではないかと。
きっとそれが刀としても刀剣男士としても幸せなのだと。
幸せだと、その筈なのに。

「俺は、主と共に墓に入りたい」

零れ落ちていたのはそんな言葉で。
きっと加州は分かっていた。分かっていて、待って居てくれた。

「加州、俺は他の本丸には行きたくない」

主との短くも尊い程の日常を、忘れたくはない。
加州は一度瞼を伏せて、そうして仕方がないとばかりに微笑んだ。

「それでこそ、鶴丸さんだね」
「何を、」
「主との約束、やっぱり守ってくれた」
「俺は、主と約束したことなんて……」
「あるでしょう。たくさん」

そこまで言われて、考える。考えても出てこない。
でも、何かが引っかかったように引き出しが開きかけた時、俺の頭の中に『誰か』の声が聞こえた気がした。


『鶴丸、約束ね』
『おいおい、神と軽率に約束なんて言うもんじゃないぞ、きみ』
『私が死んだら一緒のお墓に入って』
『だから、……まあ、そんな願いくらい幾らでも叶えてやるぜ』


『他でもない、きみの願いだからな』


「……嗚呼、」
「鶴丸さん?」
「そうか」
「ちょっと、急に泣いてどうし……」
「主は、」

そうか。主は。

「前の俺を溶かして、俺を作ったのか」
「……」
「だから、いつも彼女は『俺は俺らしく在れ』と言ったのか」

別個体でも、どんな個体でも。
前の個体の俺が遺し遺志に負けるな、と。
俺という個体は俺で居て欲しい、と。
自分は好いた相手を求めたくせに。
それはなんて、

「愚かで、甘やかな呪いだなぁ」
「……そうだね」
「加州」
「なに?」
「それでも、俺は主と同じ墓に入りたい」

俺の中に眠っている前の俺の想いも、今の俺の想いも、ぜんぶ主のモノだから。
他の誰にも渡したくはない。
そう言って、心の臓辺りをトンっと叩いた。



◆◇◆



「好いた人と共に眠れるのは、どれだけ幸せなことなのかな」

俺は主が好きだった。友達や戦友、そう言った意味で好きだった。
何より俺は主の初期刀だったから。だから、というわけではないけれども、俺を選んでくれて、苦楽を共にした主のことが、大好きだった。
主も一生懸命に勉強して共に戦ってくれていた。
そんな頑張り屋の主を飛び抜けて愛したのは、戦場に似つかわしくない真白い衣を纏った鶴だった。

鶴はひとりの女性として主を愛した。
主もひとりの男として鶴を愛した。

きっと、その時から運命の歯車はねじ曲がっていたんだろうね。

「ねえ、どんな気分?」

一度は護れなかった命と、共寝する気分は。
そんな嫌なことを考えて、俺は少しだけ笑った。
そうして空を見上げた。
空の色は馬鹿みたいに青くて、雲ひとつない綺麗な晴天。
きっとあの世というものがあるのなら、天国はこういう色をしているのだろう。

「幸せにね」

雀の鳴く声を聞きながら、加州清光というこの本丸の最初の刀は、緩やかに顕現が解けていき、この本丸最後の一振りとなった今、最初からそこにあったかのように、主人たる審神者の部屋に鎮座していた。
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