刀さに短編集
今にも眠くなってしまいそうになるような春の日。
朝を望んでいただろうきみは瞼を閉じたまま、眠ったままに最期の吐息を吐いた。
長い年月を本丸で過ごした彼女との思い出は多々あれど、ここまで穏やかな終わりが来るとは流石の彼女も思っていなかったのではないだろうか。
「きみを殺すのは俺だと思っていたんだがな」
まさか寿命で死ぬとは思っていなかった。
彼女の強い眼差しはどれだけの切っ先が自分に向けられても変わることはなく、命が惜しくないのかと問うてもきみはいつだって「私はその為に来た」と言って引くことはなかった。
政府の息が掛かった彼女を受け入れる者達は、当然ながら始めは居なかった。
彼女はそれでもめげることも引くこともなかった。
それは別に彼女が聖人君子であったからでも、ドが付く程真面目で優しかったわけでもない。
この本丸すべての刀剣男士から生まれた憎悪を引き受ける為にこの本丸に降り立った。謂わば政府から寄越された生贄だったのだ。
そんな自分を悲観して嘆くことはなかった。仕方がないと諦めていたのだろう。どうせいつか居なくなる。それまでは置いておいてやろう。
皆の間では多少の憐憫の情が湧き、そんな結論が出たのはいつだったか。
いつだって遠巻きに彼女を見ながら、近づく度胸も勇気もなかった。
人間に虐げられた俺達が、人間をもう一度信じる為には時間が要ったのだ。
きみはそんな俺達を、物理的にも精神的にも傷ついた俺達を、何を言われても何をされても、傷が付けば手入れをしたし、必要ならば心のケアをしてくれた。
そんな風に過ごした数十年、彼女は今さっき息を引き取った。
彼女も所詮人間。ただの人間なのだ。寿命には流石に勝てなかったらしい。
彼女を本丸に受け入れてからの数十年。
この本丸に付けられた傷はいつの間にか薄くなり、傷つけられ瘴気が漂う本丸から笑い声が響く本丸まで変化していた。
前審神者が残した鉄錆の臭いも、暴力も、強制的な夜伽すらない。健全な本丸で。誰一人傷はなく、大きな声で笑うような。そんな本丸にしてくれた。
それだけの年月をかけて彼女はこの本丸を癒していった。
それと引き換えに少しずつ老いていく彼女にも気づいていた。
気づいて、それでも『其れ』だけはしなかったのは、きみに嫌われると愚かにも思ってしまったから。
きみを神域に引き込めたなら、きみに俺の神気を注げたなら。きみがどれも望まないと分かっていたのに。
居なくなった今になって後悔するくらいなら、神隠しくらいしておけば良かった。
いつまでも居てくれるのだと不思議と思っていた。
きみがあまりに強いから。本当は憐れな程に弱い、ただ泣き方を知らないだけの普通の人間なのに。
俺達を愛してくれた、この本丸ただひとりの主。
これほどまでに守りたいと願う人間はこれから先、二度と現れることはないのだろう。
「……綺麗だな」
死に顔に綺麗だなどと、なんて咎める人間は居ない。
朝が来てしまえばきっと、政府の人間がやってきてきみを連れて行ってしまうのだろう。
俺達の、俺の手が二度と届かない遠い場所まで。
なあ、それは嫌なんだ。俺はもう、きみを失いたくはない。
「――だから、連れて行く」
静かに呟いたその言葉は、誰の耳にも届かない。身勝手だと罵る人間も居ない。
たまたま俺が寝ずの番をした日に、たまたま死んだきみが悪いんだ。
そう勝手に責任転嫁して、触れたくて堪らなかった彼女に、触れる。
少しずつ体温を失っていくきみは、人間であればもう二度と目を覚ますことはない。――人間で、あるならば。
きみともう一度、話がしたい。
ただ、それだけなんだ。
――それは世界を照らした太陽を堕とした代償か。
「おはよう、主」
人間でなくなったきみは。
「……鶴丸? なの?」
刀剣男士ですらなくなった俺を、それでもその名で呼んでくれるのか。
(恨むのであれば、俺だけを)
他の誰でもなく、俺のせい。
きみの為だなどという戯言は言わない。
すべては俺の欲。俺の為だけの――黒き姿。
きみを失うくらいなら、俺はどんな罪すらも背負う。
時を巻き戻したって、歴史を変えたって。
きみがしてくれたように。
俺はただ、
――きみとまた、笑い合って話したかった。
生き返らせたその先を考えることはなく。
きみが悲しむ顔をするのだと想像すらしなかった。
これは俺の罪で、罰。
朝を望んでいただろうきみは瞼を閉じたまま、眠ったままに最期の吐息を吐いた。
長い年月を本丸で過ごした彼女との思い出は多々あれど、ここまで穏やかな終わりが来るとは流石の彼女も思っていなかったのではないだろうか。
「きみを殺すのは俺だと思っていたんだがな」
まさか寿命で死ぬとは思っていなかった。
彼女の強い眼差しはどれだけの切っ先が自分に向けられても変わることはなく、命が惜しくないのかと問うてもきみはいつだって「私はその為に来た」と言って引くことはなかった。
政府の息が掛かった彼女を受け入れる者達は、当然ながら始めは居なかった。
彼女はそれでもめげることも引くこともなかった。
それは別に彼女が聖人君子であったからでも、ドが付く程真面目で優しかったわけでもない。
この本丸すべての刀剣男士から生まれた憎悪を引き受ける為にこの本丸に降り立った。謂わば政府から寄越された生贄だったのだ。
そんな自分を悲観して嘆くことはなかった。仕方がないと諦めていたのだろう。どうせいつか居なくなる。それまでは置いておいてやろう。
皆の間では多少の憐憫の情が湧き、そんな結論が出たのはいつだったか。
いつだって遠巻きに彼女を見ながら、近づく度胸も勇気もなかった。
人間に虐げられた俺達が、人間をもう一度信じる為には時間が要ったのだ。
きみはそんな俺達を、物理的にも精神的にも傷ついた俺達を、何を言われても何をされても、傷が付けば手入れをしたし、必要ならば心のケアをしてくれた。
そんな風に過ごした数十年、彼女は今さっき息を引き取った。
彼女も所詮人間。ただの人間なのだ。寿命には流石に勝てなかったらしい。
彼女を本丸に受け入れてからの数十年。
この本丸に付けられた傷はいつの間にか薄くなり、傷つけられ瘴気が漂う本丸から笑い声が響く本丸まで変化していた。
前審神者が残した鉄錆の臭いも、暴力も、強制的な夜伽すらない。健全な本丸で。誰一人傷はなく、大きな声で笑うような。そんな本丸にしてくれた。
それだけの年月をかけて彼女はこの本丸を癒していった。
それと引き換えに少しずつ老いていく彼女にも気づいていた。
気づいて、それでも『其れ』だけはしなかったのは、きみに嫌われると愚かにも思ってしまったから。
きみを神域に引き込めたなら、きみに俺の神気を注げたなら。きみがどれも望まないと分かっていたのに。
居なくなった今になって後悔するくらいなら、神隠しくらいしておけば良かった。
いつまでも居てくれるのだと不思議と思っていた。
きみがあまりに強いから。本当は憐れな程に弱い、ただ泣き方を知らないだけの普通の人間なのに。
俺達を愛してくれた、この本丸ただひとりの主。
これほどまでに守りたいと願う人間はこれから先、二度と現れることはないのだろう。
「……綺麗だな」
死に顔に綺麗だなどと、なんて咎める人間は居ない。
朝が来てしまえばきっと、政府の人間がやってきてきみを連れて行ってしまうのだろう。
俺達の、俺の手が二度と届かない遠い場所まで。
なあ、それは嫌なんだ。俺はもう、きみを失いたくはない。
「――だから、連れて行く」
静かに呟いたその言葉は、誰の耳にも届かない。身勝手だと罵る人間も居ない。
たまたま俺が寝ずの番をした日に、たまたま死んだきみが悪いんだ。
そう勝手に責任転嫁して、触れたくて堪らなかった彼女に、触れる。
少しずつ体温を失っていくきみは、人間であればもう二度と目を覚ますことはない。――人間で、あるならば。
きみともう一度、話がしたい。
ただ、それだけなんだ。
――それは世界を照らした太陽を堕とした代償か。
「おはよう、主」
人間でなくなったきみは。
「……鶴丸? なの?」
刀剣男士ですらなくなった俺を、それでもその名で呼んでくれるのか。
(恨むのであれば、俺だけを)
他の誰でもなく、俺のせい。
きみの為だなどという戯言は言わない。
すべては俺の欲。俺の為だけの――黒き姿。
きみを失うくらいなら、俺はどんな罪すらも背負う。
時を巻き戻したって、歴史を変えたって。
きみがしてくれたように。
俺はただ、
――きみとまた、笑い合って話したかった。
生き返らせたその先を考えることはなく。
きみが悲しむ顔をするのだと想像すらしなかった。
これは俺の罪で、罰。
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