刀さに(刀剣)

 そのヒトを愛した理由は、きっと。
 他人にしてみたら大変くだらないことだったのかも知れません。
 それでも私はそのヒトを愛しました。
 ただの人間が、神たる存在を愛してしまった。
 なんという神への冒涜でしょう。許されない罪を犯してしまいました。
 それと同時に思ってしまったのです。
 想うだけ、そう。想っているだけならば自由でしょう? と。
 だから私はこの想いを決して外には零さず、死んだその先。地獄の底まで持っていくつもりでした。
 けれど神という存在はその大罪を見逃してくれなかったのです。
 いとしい神に、私の刀に知られてしまったのです。
 私の卑しい想いを。私の気持ちを。
 武骨な貴方は動揺する私を見て困ったように、それでも気を使ってくれたのでしょう。『何もなかった』ことにしてくれました。
 その気遣いが、なんとも言えない気持ちにさせられましたが私は審神者。
 この本丸を纏める立場の者。
 そう、向けられた背中に言われている気がして。
 やはりこの気持ちは墓場まで持って行こうと、そう思い誓いました。
 なのにどうして邪魔をするんですか?

「同田貫様……? どうして、」

 どうして、私なんかを守ってくださったのですか。
 その日は驚く程の青天であったにも関わらず、急にどんよりと黒い雲が空を覆い雨でも降るのだろうかと思っていれば、その黒い雲が連れてきたのは雨ではなく時間遡行軍。
 時間遡行軍は瞬く間に結界を破り、本丸に入ってきました。
 襲撃にいち早く気付いた刀剣男士達のお陰で撃退こそ出来ましたが、同田貫様が私を庇い重傷を負ってしまったのです。

「お前が、この本丸の将だってこと。忘れてんじゃねぇぞ」

 低い声は何処か怒っていて。戦いの中に身を置き、その中で朽ち果てたいと普段から願うその姿は私を守ってボロボロで。それでもよろけず立ち続ける姿は格好良くて。
 こんな小娘ひとりの命の為にどうして貴方は、という気持ちと。
 あの日は私に背を向けて行ってしまったくせに、どうしてという気持ちがない交ぜになる。
 確かに私はこの本丸の大将で、この首を間違っても敵に取られるわけにはいかない存在だけれども。
 震える声で同田貫様の名をもう一度呼んだ。
 それに同田貫様は答えず、私の身体を自身に寄せるとそのまま本体である刀を時間遡行軍に向けて振り下ろしました。
 黒い雲は晴れ、青空を取り戻した本丸の中。傷だらけの刀剣男士達を手入れし続けながらこんのすけから報告を受け、知ったことではありますが、時間遡行軍による本丸襲撃事件は何も私の本丸だけではなかったそうで、同時多発的な襲撃だったと伝えられました。

 政府の中に間者――スパイが居たのだと。

 こんのすけの話では、本丸を守護する結界が弱い本丸を重点的に狙われていたそうで、私は己が情けなくて仕方がなかった。弱い自分が恥ずかしくもあり、何より悔しかった。
 本丸襲撃事件では、壊滅した本丸も在ったと聞きました。
 私の本丸もそうなっていた可能性があったのだと思えばゾッとしました。
 でもみんな無事で、今は本丸の位置情報を新たに書き替え新しい場所で本丸運営をしています。
 その中でひとつ不安なこと。それは同田貫様が私を庇って重傷になり、手入れをしたというのにずっと眠っていることでしょう。
 どの刀剣男士も平等に手入れをし、どの方々も今は普通に生活して本丸再建の為に動いてくれている程には元気だというのに、何故か同田貫様だけは眠りから覚めなかったのです。

「何か、同田貫様に何かあったのでしょうか……」
「あーるじ。気に病んでいても仕方ないでしょー」
「加州……」
「同田貫はきっと、ちゃんと目を覚ますよ」
「そうだといいのですが……」
「アンタがちゃんと祈って、信じてやらないと。アンタは俺たちの主なんだからさ」
「そう、ですね……。同田貫様にもそう言われました」

 本丸が襲撃された日、私を庇いながら戦ってくれた同田貫様は『お前がこの本丸の将だってことを忘れてんじゃねぇぞ』と言いました。
 まるで恋に現を抜かしている私の気持ちを見透かすかのように。

「加州……私は、同田貫様へのこの気持ちをどうしたら良いか分からなくなってしまいました……」

 眉を下げ、心臓の上に手のひらを宛てがい困ったように口角を上げて笑った、つもりでした。
 それでも想いを込めて手に取り顕現した初期刀である加州には、私の胸の内などすべて分かっているとばかりに頭を撫でられます。

「主はさ、同田貫が好きなんだよね」
「……その気持ちは、地獄まで持って逝くつもりですけれどもね」
「そっか。でもさ? それって同田貫にちゃんと言って、そうして決めたことなの?」
「……それは、……でも……」
「同田貫が本当にそれを望んでいるの?」
「……同田貫様は、私のような小娘など相手にもしたくないと思うんです」
「それは同田貫にちゃんと聞いた言葉なの?」
「そ、そんなこと! 聞けません……!」
「そうやって、うじうじグジグジ逃げ回るから、だから同田貫もどうして良いか分からないだけなんじゃないの?」

 そういう加州は優しい眼差しを私に向けて言う。

「主は同田貫とどうにもなりたくないの? 好き合いたくないの?」
「す、っ、……好き合う⁉ 私と同田貫様がですか⁉」
「そうだよ? ……まさか主、一度も考えたことがなかったなんて言わないよね?」
「そ、それは……っ」
「あのね、主? みんな主の動向にモヤモヤしてるんだよ。なのにどうして主はそうも臆病なのかなぁ⁉」

 加州はついに怒ったとばかりに吠えますが、私はと言うと、もう内心キャパオーバーです。
 同田貫様とどうこうなりたいと、そう夢想したことがなかったわけではありません。けれども私はやはり加州の言う通り臆病者で、何処かで一歩を踏み出せないのです。
 もっと強くなりたいのに。もっとみんなが誇れる審神者で在りたいのに。
 臆病な自分はいつだって言い返されるのが怖くて、何を言われても耐えれば良いと眉を下げて笑うだけで。
 そんな私を叱ってくれたのが同田貫様だった。
 悔しくないのか? と。言われっぱなしで良いのか? と。
 そう言って叱ってくれた。私の為に怒ってくれた。
 その声はどこまでも凪いだ海のように静かで、戦場で強く戦う姿とは似ても似つかないその姿に、私は確かに心を鷲掴みにされたのを良く覚えていて。

「ねえ、もう一度訊くよ?」

 ――主は同田貫と、どうなりたいの?

 そう言われて、口をついて出ていたのは審神者としての建前でも、臆病者の嘘でもなんでもなく。
 ただの人間である『私』の言葉でした。

「同田貫様と、す、好き合いたい……っ。私は、同田貫様が好きだから……もう二度と、失いたくない、から……。だから、ううん。そうでなくても――同田貫様の一番近くでお傍に居たい、から……」
「なんだ、主。ちゃんと言えるじゃん」
「加州……」
「うんうん。それ聞いて同田貫はどう思ったの?」
「……えっ?」
「……よぉ」

 加州が一体何を言っているのか分からなかった。けれども加州の視線の先には同田貫様が居て、見たところとてもお元気そうで良かった。……ではなくて!
 頭が追い付かない中、同田貫様が目覚めたことだけはとても嬉しいのに。この世の何よりも嬉しいのに、一体これはどういうことでしょうか。

「か、加州……? どういうこと?」
「主も同田貫も煮え切らないから、こっちで色々動かせて貰ったんだよ」

 同田貫が眠りから目覚めない設定とか、眠り姫感あって良いと思わない? ちなみにこれは乱からの案だよ。

「だ、だまし……っ」
「騙したのは謝るよ。でも主はこうでもしないと本当の自分と向き合うこともしなかったでしょ?」
「それは……」
「だーかーら! さっき言ったことをもう一度ちゃんと同田貫にも言うんだよ?」
「えっ⁉ ま、待って⁉ 加州!」
「あとは若いお二人で……ってね?」

 そう言って加州は部屋をあとにする。
 残されたのは私と同田貫様の二人だけ。ドキドキと心臓の音が鼓膜を揺らす。

「……お前は、俺とどうなりてぇんだ」
「わ、私、は……っ」

 ギュッと胸の前で手を組んだ。目を瞑って逃げ出したくもなった。
 けれども出来なかった。ううん。したくなかった。
 折角加州が作ってくれたチャンスを逃して良いのかと自分に問う。
 皆が私を思い考えてくれた好意を無下にしていいのかと。
 そこまで考えれば、逃げるなんて選択肢はなかった。

「私は……同田貫様と、共に在りたい、です……」
「……そうか」
「あ、……は、はい……」

 あー、とか、うー、とか。同田貫様は悩むように言葉を発する。
 それでも前みたいに背中を向けられることはなかった。
 障子戸の前に居た同田貫様は意を決したように足を前に進めると、私の前にどかりと無造作に座った。獲物を射抜くような黄金の瞳は、今は少しだけその鋭さを潜めている。私をしっかりと見つめて言うのだ。

「俺は、刀だ」
「はい……」
「この身は鉄で出来てる。お前の方が良く知ってそうだけどな」
「……はい」
「だけど、」

 ふと、同田貫様は何かを思い出すかのように目を細めると、続けて言葉を放つ。

「俺は刀で、この身は鉄で出来ている。なのにどうしてか、お前のことを思うと『ここ』が熱くなる」

 そう言ってドンっと自分の胸を叩く同田貫様。そこは人間でいうところの心臓の位置だった。

「この熱さを、お前は知ってるか?」
「……っ、はい……! はい……っ」

 知っています、存じています。
 私も貴方を思うと其処が熱くなるから。心臓が早鐘を打つように早くなるから。
 貴方に焦がれて、この身が溶けるのではないのかと、そう思うほどに。

「同田貫様……私は、貴方様が好きです」
「……おう」
「好きで、好きで、苦しくて……。加州の案とはいえ、騙されたというのにまだ好きで……」
「それは、……悪かった」
「いいんです。ああでもされなければ私は未だに迷って、何も出来ていなかったでしょうから」

 だから、良いんです。

「私は同田貫様がお元気なことが何よりも嬉しい」
「……お前は、いつもそうだな」
「え?」
「前は、誰かが怪我しただけでビービー泣いてたのに、いつの間にか将の顔になってた。誰よりも優しい心ってやつを持って居たのに、そうならざるを得なかった。なのにお前は、お前を騙した俺や、他の奴等でさえ平気で許す。いつか誰かにかっ攫われえるんじゃねぇかって……」

 そう思ったら、俺は自分が戦場に立てなくなるより怖くなっていやがった。だから加州の案にも乗っちまった。お前を傷付けるのは分かってたのに。

「お前が傍に居たいと言ってくれたように、俺もお前を傍に置きたい。目の届く場所に居て欲しい」

 この鉄の身でそんなことを思われるのは嫌ではないのかと疑うような眼差しで。けれども同田貫様はしっかりと口に出してくださった。

「俺も、お前が好きだ」

 この身に実体を受け、お前を主と思い付き従ってきたが。此れは反旗の感情ではないのかと恐れたりもした。

「それでも俺は、お前を誰にも渡したくはねぇ」
「……はい」
「……あー、やっぱり、嫌か」
「い、いえ⁉ そうではなくて……! 実感が、その、湧かなくて……」
「どうすりゃその実感ってのは湧くんだ?」
「え、ええと……ど、どうと言われましても……」
「お前は……まあ、でも。そうだな」
「ええ、っと。同田貫様?」
「俺はもう、何も我慢しなくていいってことか」
「我慢、ですか?」
「ああ。お前を取られるかもしれねぇっていう、そういう焦りは消えたわけじゃねぇけど。でもお前はもう俺のもんでいいんだろ?」
「は、はい……っ」
「なら、もう。この身の赴くままにするだけだ」

 同田貫様はにやりと笑うと、腕を伸ばす。その腕は私の後頭部を掴み抱き寄せる。思わず目を瞑れば、こつんと額と額がくっ付いた。驚いて目を開ければクッと喉で笑われる。

「ど、同田貫様……?」

 彼の刀は一体どうしてしまったと言うのだろうか? こんな方だっただろうか? 
 知らない。もっと知りたい。私の知らない同田貫様を。

「もっと、貴方様のことを、私に教えてください」
「ハッ。ほんと、いい度胸してるよ。お前」

 楽しそうに笑う同田貫様の顔はどこからどう見ても優しい顔をしていて。また恋に落ちる音がした。

「同田貫様。お慕いしております」

 そう言えば同田貫様は、とても優しく私の髪を梳いてくださった。




*****




 初めてその女を見た時、とてもじゃないがか弱くてひ弱で、こう言っちゃなんだがハズレくじを引いた気分だった。
 将たるモノの器ではないと、その時は勝手にがっかりしたのを覚えている。
 ある日の演練場でもそうだった。こっちの練度が下で負けたその日、己の弱さと悔しさに腹を立てていた時。演練相手だった男の審神者がニヤつきながら言ってきたのだ。

「その程度の練度で良く勝てると思ったな。特に同田貫。そいつが居なけりゃ勝てたって言うのに。よく連れてきたもんだ」

 その言葉は確かにそうで。俺のせいで負けたようなもんだった。
 けれどアイツはきょとりと目を丸くしながら言ったのだ。

「演練場は審神者同士、刀剣男士同士。互いに己を高め合う場所ですから。それに同田貫様が居なければ、などと私は一度も思ったことはありません。すべては私の采配で負けたことです。それは次に活かせばよいこと。それらに恥ずべきことなど何もありません」

 そこまで言い切ると「本日はありがとうございました」と頭を下げる。
 相手の男審神者は顔を真っ赤にして「ブスが出しゃばるな!」と吐き捨てると踵を返していた。どう考えても負け犬の遠吠えだったが、審神者は困ったように眉を下げていた。けれどその言葉に傷付いた様子はまったくなかった。

「困った方でしたね。……同田貫様? どうかされましたか?」
「……いや、」

 その日、その時。俺は思い知った。この女の強さは見た目で判断するものではなかったと。其れは先程の人間と同じレベルであるということを。浅慮な自分を恥じた。
 審神者を慕い、従う本丸の奴等の目は正しかったのだと。
 この審神者は確かに将としての器があったのだと、この日俺は確かに理解した。
 だからこそ審神者に何かしらの感情を向けられていると分かった時、どうしてだか嫌だったのだ。
 だからなかったことにした。しようとした。

 ――結局、出来なかったけれども。


「同田貫様! 桜がこんなに咲いていますよ! みんなとお花見、楽しみですねぇ」
「……ああ、」

 言葉が上手い方じゃないのは自分で承知している。
 審神者もそれを知っているから、求めてくることはなかった。
 けれども、それではあんまりじゃないかと、乱藤四郎や加州に言われてからずっと考えていた。

「どうかされましたか? 同田貫様?」
「いや……」
「難しい顔をされていますが……」
「……お前、髪を切る予定はあるか?」
「え? いえ、ありませんが?」
「なら、やる」

 そう言って審神者に渡したのは、なんの包装もされていないただの櫛。
 物である俺が、物を渡すだなんて心底嫌ではあったが、男が女に櫛を渡すと言う意味の方が重要で。
 審神者は少しだけ固まって、そうしてゆっくりとそれを受け取った。
 意味が伝わっているのか居ないのか判断し難いが、受け取られたのは事実だ。

「同田貫様」
「な、なんだよ……」
「共に寄り添いながら生きていけたなら、私は何も苦労だなどと思いません」
「……おう」

 大事そうに櫛を胸元に宛てがい、幸せそうに微笑む審神者に、俺も自然と口角が上がっていた。
 その櫛が大事にされ、付喪神になるくらい傍に在るほど一緒に居られたらいい。
 審神者に寿命が来ても、いつか別たれる未来が来ても。
 それでも、それまでは傍に居られたらいい。

「同田貫様。そろそろみんなのところに行きましょうか」
「あー……そうだな。……今度は二人で来るか」
「……はい」

 嬉しそうに微笑む審神者を守っていけたらいいと。この鋼の身が壊れるその日までずっと。
 あの日、身体を張ってでも守って良かった。
 こいつが居なくなる未来がなくて良かった。

「……人間の人生はあっという間に終わってしまいます。だから同田貫様。どうかそれまでは、私をお傍に置いてくださいね」
「お前が嫌がっても、俺の傍に居させる」
「ふふ。……嬉しいです」

 本当に嬉しいです。
 そう言って審神者は柔らかく笑う。
 風がふわりと舞うように俺たちの間を通り過ぎ、地面に落ちた桜が風に巻き上げられる。
 この光景を、きっと俺は幾年経ても忘れないだろう。
 いつか俺と審神者の間に奇跡が生まれたら。
 その時は、そいつも一緒にこの場所へ。
 そんな楽しみを考える程には、きっと。

「同田貫様。今日は良く笑ってくださいますね」
「ああ、お前と居るからな」

 苦楽を共にし、いつかこいつの髪が白くなり、皺くちゃになったその先も。
 ――俺はお前を守り続ける。
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