刀さに短編集

 賑やかな大広間の喧騒から少し離れた縁側で徳利を傍らに置き、猪口を持ちながら酒を煽っていれば、不意に現れたこの本丸では古参の刀剣男士——鶴丸国永が己の本体である刀をぬらりと抜いて私の首に宛がった。
 少しでも反応を違えればすぐにでも斬ってやる。そんな殺気を感じて昔を思い出す。
 そう言えば過去にも同じようなやり取りをしたような気がするなぁ、と少しだけ笑ってしまった。

「その姿が俺にとって何を意味するのか、お前は分かって居るのか?」

 殺気の籠ったその言葉。鶴丸国永の言葉の真意に気付き、なるほどとひとつ頷いた。

「きみがきみのままで居てくれるのであれば、私は喜んでその刃を受け入れようじゃないか」

 分かったからこそ、そう発した。
 暗に気に食わなければ斬れ、と。そう言ったのだ。
 しかし鶴丸国永という刀剣の付喪神は一瞬驚いたように息を止め、そうしてハッと可笑しそうに笑った。

「鶴丸国永? どうした。不法侵入者である私をその刀で斬らないのか?」
「まさか。俺は幽鬼のように現れたきみを今すぐにでも斬ってやりたいと思っているぜ?」
「なら、それは早い方がいいだろう」

 誰かが勘付く前に、早く私を斬るといい。
 そう言うわりに呑気に酒が入った猪口に口を付けているのだから言動が見合っていない。
 鶴丸国永もそう思ったのであろう。
 だがそれでも狼狽える様子はない。さすがは歴戦の刀剣男士だ。この本丸で長らく戦ってきているだけはある。

「刀が恐ろしくないのか?」
「それを私に言うのかい?」
「きみにだから言うんだ」
「……そうさねぇ。別に恐ろしくないわけではないよ?」

 そう。若い頃の私ならば恐ろしかったことだろう。
 命を簡単に奪えてしまう刀に怯えていたことだろう。
 大事な者達を簡単に傷つけてしまうその刀の美しさに畏敬の念を覚えたことだろう。
 けれども今の私はあまりに恐怖から遠くかけ離れた存在になってしまった。
 それは悲しいことなのか、良いことなのか、今ではもうそれすらも分からないが。

「少し時間を経て、そういうところが鈍くなっただけさ」
「……相変わらず可笑しな子だ、きみは」
「そうか。きみの目には変わらず可笑しく見えるか」

 鶴丸国永は「ああ、変わらずきみは変人だ」と言って笑うと、私の首に宛がった刀を退け腰に下げた鞘に納める。
 そうして雪のように白い睫毛を一度伏せて、再度開ける。
 その動作は普通の人間がやればただ単調なことなのに、この神がやるからなのか。あまりに神々しく映った。
 瞼を開けたその先、甘い金色の瞳が私をまっすぐと見つめる。その瞳の色は――悲しみに満ちていた。

「――きみ。どうして戻って来た」

 しかも、その姿で。どうして。
 鶴丸は後悔するかのようにそう言って私を見下ろす。

「そうさねぇ?」

 その言葉に少しだけ考える素振りを見せて、そうしてふっと口元だけで笑って見せた。

「想い人にもう一度。ただそれだけだよ」

 ポンポンと隣を叩きながらそう言えば、鶴丸は少しだけ悲しそうな瞳を緩めた。

「そうか。……そうか」

 鶴丸は納得したかのように頷き、どかりと隣に座る。その動作が拗ねている時の所作だったから思わず笑ってしまう。

「主に一人で酒を飲ませるわけにはいかない。しかもきみは際限なしの蟒蛇だ。俺が注ごう」
「おや? きみは今でもまだ私のことを主だと、そう言ってくれるのかい? それに蟒蛇であることを覚えてくれていたことも驚きだ」
「当たり前だろう。きみはこの本丸のはじまりの主なんだ」
「ふふ、それは嬉しいものだね」

 その言葉を皮切りに、少しの沈黙が訪れる。
 元々喋るのは得意な方ではないので沈黙自体は苦ではないが、それでも昔は本丸の主として気を使うことも多々あった。
 しかし個人的な話をするのであれば、この鶴丸国永との間にどれほど長い沈黙が訪れたとしても特に気まずさなどは感じたことがない。
 そう思うと私は随分と長いこと彼の傍に居たことになるなぁ、とまた一口酒を含む。
 今では酒好きな私ではあるが、鼻腔に広がっていく感覚も最初は苦手であったし、この酒の味が分かるまでにも随分と時間が掛かった気もしたなぁ。
 初めて酒を飲んだ時のことを皆の笑い話として酒の肴に受け継がれているのはまったく笑えないが。

「なぁ、きみ」
「なんだい? 鶴丸」

 不意に、鶴丸が声を発する。そちらに視線を向ければ、そこには昔と変わらない彼の姿。
 私と出会った頃と何ひとつ違わない――神の姿。

「――きみが居なくなってからの百年は、俺にはあまりに退屈だった」
「……そうか」

 昔そうしていたように鶴丸に酒を注いでやりながら、答える。

「それはすまなかったね」
「ああ、大いに謝罪してくれ」

 そうしてこれは、俺からの再度の頼みだ。

「きみの旅路に、今度こそ俺を――」

 鶴丸は真剣な顔をしていたが、私はその唇に人差し指を宛がい其れ以上は決して言わせなかった。

「……そうか」

 鶴丸はそれだけで私が何を言いたいのか悟ったのだろう。悲しそうな色を声音に乗せ、もう一度「そうか」と呟くと、ぐいっと猪口に入った酒を煽った。

「またきみは俺に無為な歳月を過ごさせる気だということだな」

 恨み事のようなその言葉に思わず苦笑する。

「それもまた、面白そうだな」
「きみなぁ……」

 まだ何か言いたそうな鶴丸の言葉は聞かないフリをして。私は不意に空が赤く燃えたのを見て、ああ、と呟いた。

「さて。馳走になった」
「……行くのか?」
「迎えが来てしまったからね」
「そうか……」
「そう悲しい顔ばかりを見せてくれるな。鶴丸、私はこれでも結構幸せなんだ。それに、お陰で可愛い孫娘の晴れ姿も見れた」

 この本丸を任された孫娘は山姥切長義を隣に置き、緊張した顔で、しかし堂々たる態度で酒宴の主賓としてしっかりとした振る舞いをしていた。
 角隠しを纏った孫娘は本当に美しかったし、今着ている晴れ着もとても良く似合っている。
 私が遺したお古なんぞ着なくても良かったというのに、わざわざ孫娘が引っ張り出して着てくれたことがとても嬉しくて。
 それに何より、普段の仏頂面を緩めて山姥切長義の隣ではにかんでいる孫娘の憂いが晴れた顔。喜ばしいと思わずなんと言うのか。
 孫娘はどうやら私と鶴丸の間に生まれた息子と違って、私の血を色濃く受け継いだらしい。
 随分と私に似てしまったと嘆く声を煩い程に聞くものだからわざわざ見物しにくれば、まったく生き写しとはこういうことか? と思わず腹を抱えて笑ってしまったのは記憶に新しい。
 それでも今日はめでたい日。存分に宴を楽しんで欲しいもの。
 そこに私という異物は存在してはいけなかったのだがね。つい、楽しそうな雰囲気に釣られて来てしまった。

「鶴丸。私は本当に幸せものだ。まさかこの目で孫娘の晴れ姿を見ることが叶うとは。……この本丸を守り続けてくれてありがとう」
「礼なら、俺にだけでなく皆に言いに行けばいい。皆、きみに逢えたら喜ぶぞ」

 鶴丸の声は喉に引っ付くような声だった。絞り出した言葉がそれであっただけで、なんでも良かったような、そんな声。
 きっと私を引き留めたい気持ちでもあるのだろう。
 けれどもそれは、決してあってはいけない心なのだ。

「鶴丸、知っているかい?」
「何を……?」
「死人には口がないそうだ」
「……っ、」
「だからそれでいいんだよ」

 死人に口なし。私が彼らと言葉を交わすことは叶わない。
 そう自分で言った癖に、名残惜し気に鶴丸や宴会が行われている大広間をちらりと見てしまうのだから未練というのは困ったものだ。
 誤魔化すように前を向き、立ち上がる。

「さて、次はどうきみを驚かせようか?」
「こういう出方は肝が冷える。やめてくれ」
「はは。そういうところはきみに似てしまったのだろう。……ああ、そうだ鶴丸? 皆をあまり困らせないでやっておくれよ」
「今でも困らせているような言い方じゃないか。何も言えなくなるからやめてくれ」
「はは、そうか。お喋りな鶴丸が言葉をなくすのが私だけなら、それもまた良いものだ」

 ではまた会おう、いとしき我が夫君よ。

「今度相見えるのがいつになるかは……私でも分からないがな」

 にやりと笑ってそれだけを言うと、鶴丸はああ、と一言だけ返した。
 私はその言葉を聞いて、瞼をゆっくりと伏せる。伏せる瞬間に最後に見た鶴丸は百年前と変わらず優しくて、百年前と変わらず――悲しそうな瞳をしていた。

(そんな顔で見られるとまた未練が残ってしまうな)

 そこもきみの策略かい?
 なんて、言おうとしてパチリと瞼を開ける。
 視界一面に広がるのは業火。
 ――此処は地獄。生前罪を犯したものが呵責を受ける場だ。
 私は審神者として時には神に、時には人間に、非道な判断や決断をした。
 如何に戦争に勝つ為に必要であったからといって、其れは許されていいことではない。本来なら極楽浄土に行ける道もあったのだが、私は甘んじて此処に堕ちた。

「こんなところに、愛しい夫を連れては来られないよ」

 そう一言呟いて、私はまた極卒からの呵責を受ける為、地獄の業火に一歩、足を向けたのであった。



 ◆◇◆



「きみがきみのままで居てくれるのならば、私は喜んでその刃を受け入れよう、か……」

 先程まで確かに居た彼女の言葉。それを繰り返すように呟きながら酒の入った猪口を持つ。
 その言葉は百年は昔。審神者としてこの本丸に来たばかりの彼女に刃を向けた鶴丸国永という刀に対して彼女が放った言葉だ。
 なあ、きみ。そう言ってくれるのであれば。

「いい加減、俺をその旅路の供にしてくれてもいいんじゃないのか?」

 誰に語り掛けるでもない。ただ、何もない空に向かってそう言った。
 きっとこの本丸誰もが認めた変人たるきみのことだ。穏やかな場所になんぞ行っていないのだろう?

「まったく、俺の妹背はあと何代、子孫を見送らせる気なんだか」

 きみが居るのも地獄かも知れないが、きみの居ない地獄というモノもあるんだぞ?
 そう言ってやりたかった。言ってやりたかったけれども出来なかったのは、彼女が俺と出逢った時と同じ歳の頃の姿で現れたからか。
 その姿に懐かしさが先に込み上げて、次に妖モノならばと考えた。
 この本丸は刀剣男士である俺と人間の彼女から成った本丸。何が現れても不思議ではない。
 現に孫娘たる今の審神者も昔から不可思議なモノを良く見た。良く見て、そしてそれを心底楽しんでいた。もっとも表情にはあまり出なかったが。
 まったく、どこからその変人具合と鉄面皮を受け継いだんだか分からないな、と古くから彼女を支えていた奴らは言っていたが。
 人間と番えばいつか別れが来ることなど分かっていた。けれども俺は、人間である彼女を愛してしまった。それ故に、彼女に人間であることを辞めろとは終ぞ言えなかったが。
 俺の傍に居て欲しかった。
 本当はずっと、未来永劫、傍に居て欲しかった。

「それも、今は叶わぬ夢か……」

 主たる彼女が死んでから百年。この百年、驚きが欠乏し過ぎて死にそうだ。
 こんな思いをするくらいならいっそ折れてしまえたならと思うのに、彼女がくれたお守りを壊したくなくて、折れることすら出来ずに居る。

「こんなモノに悩まされるくらいなら、」

 すべて持って逝ってくれたなら。俺の前に二度と現れないでくれたなら。
 そう思うのに。
 いつかきみがまた現れてくれるのではないのかと、そう期待しながら俺はまた次の百年を生きるのだ。

「愛とは、重いものだなぁ」

 なあ、そう思わないか? 我がいとしき妹背の君よ。
 彼女が居た場所をそっと撫でて、そうしてひとり、また酒に口付けた。
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