此のこころ、桔梗に帰す【歌さに】

 審神者を担当する政府職員として何が重要視されるか。
 それは幾つかあるだろうが、何よりも審神者と公平な立場であり続けなくてはいけないことだろう。
 審神者に対して私情を挟み、恋慕し、殺された職員も少なくはない。
 だから俺はそうならない為にも、自分の命恋しさに誰よりも何よりも厳しく審神者に接してきた。
 怖がられていたのも、嫌われていたのも知っていた。けれども審神者に肩入れするとどうなるかは少し前、自分にとっては先輩にあたる、とある本丸の担当職員が呪い殺されたことでよぉく分かっているつもりだ。
 まあ、あの男に関してはそうなっても仕方がなかったのかも知れない点はめちゃくちゃあったけれども。
 神々に寵愛された審神者に愚かにも恋慕の情を抱くなど愚の骨頂。到底信じられるものじゃない。しかも相手は十六の小娘だというではないか。

「あのロリコンくそ野郎が……」

 思わずデスクで零れた声に、慌ててきょろきょろと辺りを見回したが他の職員は忙しく動き回っていたお陰かどうやら誰にも聞かれていなかったらしい。ホッと息を吐いた。
 ロリコン野郎とはいえ一応政府の職員が死亡した。しかも原因は刀剣男士によっての呪殺行為だということで政府の中でも調査をすることになった。そこで分かったことである。

「しっかし、見れば見るほど酷い死に方だな……」

 グロテスクな内容がびっしりと書かれた書類を見ながら不味いコーヒーを飲んでいたら、ひょこっと急に桜色が視界に入った。

「ねぇ、きみ。きみはあの消えた本丸のことを調べているの?」
「……うわっ!? だ、誰だ!?」
「それ、やめた方がいーよ? 呪い殺されたくなければさ。それともきみは呪いを受けてみたい派?」
「いや、そんな派閥にはいねぇし、……つーかお前誰だよ」
「えー? んー。誰って言われると、きみと同じ政府の職員だよ?」
「んなこたぁ、分かってるよ」

 ここは時の政府の管理下にある職場なのだから、政府に関わりのある人間以外が居るのはあり得ない。あり得てはいけない。けれどもこんな見事な桜色の髪色をした人間、一度でも見たら忘れそうにもないが。
 その思いが伝わったのか、はたまた不審な目で見過ぎたのか、その女は猫のような動作でこちらを覗き込みながら笑った。

「はは。そんな警戒しないでよ。あたしは普段違う部署に居るから、きみとは滅多なことじゃあ会うことはないと思うんだよねぇ」

 のほほんとした声を発しながらその女は俺の持っていた筈の不味いコーヒーをグイッと飲み干していた。その後に小さく「まっずー」と顔を顰めていたが。
 いつの間に奪われていたんだ俺のコーヒー。……というか今のは間接キス!? まだ彼女も居ないのに!?

「え、きみ彼女居ないの?」  
「なんでそんなに驚くんだよ。というか居たらソレめちゃくちゃ気まずいやつだからな!?」
「きみは情緒が豊かだねぇ。普段は審神者達から鬼と恐れられているレベルの鉄面皮なのに」
「当たり前だ。というかこっちが素だっての」
「どうしてそんなことするのさ。恨みを買うことも覚悟の上なんでしょう?」

 それこそきみが恐れる刀剣男士達からだってさ。
 そう言った女は何もかもお見通しだと言わんばかりの顔だ。

「誰だって死にたくはねぇだろ……」
「ふぅん。なのに自分から死には近付いていくんだね?」
「は? 何言ってんだ、お前」

 まるで俺が悪いみたいな言い方じゃないか。俺はただ仕事をしているだけだってのに。なんだ、この書類が悪いんか?

「というか、お前。消えた本丸って言ったな? どういうことだよ」
「そのままの意味だよー? 消えた本丸は消えた本丸。無くなったって意味」
「……どういうことだ?」
「どういうこと、かぁ。それにヒントをあげるなら、きみが調べている男のせいになるのかな?」
「アイツは審神者に恋慕して呪殺された自業自得ペド野郎だろ」
「はは。幾ら死んでても同僚をペド呼ばわりする?」
「その通りの人間だったからな」
「ふぅん。まあいいけどさ? その自業自得の人間はどうして呪殺なんてされたんだっけ?」
「だから、それは審神者に恋慕して……刀剣男士に……っ、」

 そこでハッと気付いた。この書類には『審神者に恋慕した担当職員が刀剣男士の呪詛により殺害され死亡』とだけ書かれている。
 そしてその職員を殺した刀剣男士と寵愛を受けた審神者が居る本丸は七日前にこの世界から忽然と消えた。まるでそんな本丸など最初からなかったかのように。
 つまるところそれは。

「――神隠し」
「ご名答」
「だ、からって。なんで俺がこの書類を調べると死ぬんだよ」
「神様ってのはね? とっても慈悲深い生き物なんだよ。けれどもそれは己が懐に入れた者にのみ発動される感情。彼らは顕現されて十年以上経って居た……にも関わらずその心は純粋な審神者と同じく無垢だった」
「無垢だから……ひと一人を呪い殺してもいいってか?」
「あの本丸の経緯を知っているかな?」
「……一般人だった審神者の母親が、霊力が高かった幼い娘を恐れたのと、金欲しさに政府に売ったっていう胸糞案件ならまあ、見たけど……」
「はは。胸糞なのは置いておいて。……幼いうちから霊力が高いっていうのはさ。神様に愛された証拠なんだよ。そんな純粋な子のことを過保護通り越していっそモンペな刀剣男士達が好まないわけがないんだよね」
「つまるところ?」
「おさるさんでも分かるくらい簡単に教えてあげよう。きみはまだ【神隠し】という現象を知らないみたいだしね」
「馬鹿にされてるってのが分かるから腹立つんだよなぁ……」
「じゃあこのまま死んどく? 正直きみが死んで悲しむ人の方が確実に少ないと思うんだけどなぁ」
「おっまえなぁ……」

 半分以上それ脅しだからな? と怒鳴らなかっただけまだマシだと思って欲しい。自分はそこまで成熟しきった大人ではないという自覚はある。何せ感情の制御というのが実はあまり得意ではないのだ。

(だから政府職員になったんだっけな)

 審神者の適正テストで落とされて、でも半端に実力はあったからそのまま。
 政府職員にはよくあるパターンだ。どうせこの女も同じなのだろう。
 女は青い瞳をにんまりと歪めていた。それがまるで実家で飼っている猫のようで、少しだけ、本当に少しだけ親近感を覚えた。

「で? なんなんだ。どうしてこんな不毛な会話を続けてるんだ? お前は」
「んー……。なんというかねぇ? きみが似てたからかな。うん。たぶんそう」
「? 一体、誰に」
「あたしの――大事な大事な家族かな」
「家族……?」

 なんだその言い方。まるで居なくなったみたいな言い方じゃないか。
 そう思ったが、女はそれ以上何も言わなかった。何も踏み込ませなかった。だから俺も踏み込まなかった。

「……で、話を戻すと?」
「え、きみ自分で考える脳もないの?」
「お前いい加減怒るぞ」
「はは。ごめんごめん」

 全く以てすまないとミジンコ程も思っていない謝罪を聞いて頭を抱えそうになった。根本的にこの女とは合わない気がする。というか全人類こいつと気が合うやつが居る気がしねぇ。それこそ、神様でもない限り。

「神隠しされたその領域はね? この世界とまったく離れているわけではないんだよ。むしろこの世界にあると言っても過言ではない。でもこの世界の人間からは見えない。さて、どうしてでしょう?」
「……隔離された神域が、こちら側から見えないように細工されているから?」
「まあ、そんなもんだよ」
「つまり、その本丸は消えてないって、そう言いたいのか?」
「おお、少しは考える脳があるみたいで安心したよー」

 女は桜のような長い髪の先端をくるくると弄りながら一言だけ、まるで最後通告のように呟いた。

「彼らは常にこちらの世界の動向を監視しながら審神者を囲って居る。だから少しでも大切な審神者に近付こうものなら……」
「……呪い殺す、ってか」
「うん。だいぶマシな感性になってきたね」
「いや、これがだいぶマシな感性って言うならわりと政府終わってんな」
「あれー、そんなことには気が付かなくても良かったのになぁ」

 へらりと笑うその女は長い髪を揺らしてくるりとその場で回る。まるで何か楽しいことでもあったかのように。その仕草に覚えがあった。

「なあ、お前。もしかして……」
「あ、ごめんごめん。お迎えだー。また生きてたら会おうねぇ」
「不謹慎なことを言うな!」

 俺の叫び声など気にもならないとばかりに女は猫のように部署の扉を開ける。
 扉の前に立って居たのは宗左左文字であった。宗左左文字は俺を一目だけ見て、けれども興味もないとばかりにすぐに視線を逸らす。

「そーちゃん。今日の晩御飯は何かな?」
「少しは落ち着きというものを覚えなさい。今日はお小夜と作った栗ご飯に江雪兄様が焼いた秋刀魚ですよ」
「わぁい、みんなが作ってくれたんだねぇ。嬉しいなぁ」
「そうですか。それは良かったですね」

 女と宗左左文字のそんなありきたりな会話を聞きながら、俺は呆然と書類に目を落とす。そうしてその書類をビリっと破いた。
 俺はまだ死にたくない。
 仮にも戦争中に、仮にも一度は審神者を志した人間が、死にたくないと願うのはいけないことなのだろうか?
 左文字兄弟を侍らす、桜色の髪の女。アイツは怖くはないのだろうか。
 しかしどこかで聞いたような、見たことがあるような女だったな。
 ――そう思った瞬間、パチンと視界が弾けたような感覚に陥る。

「……なるほどな?」

 そんな声だけが、賑やかな部署に響いた。今思えばあの女が居た間だけ結界が張られていたかのように静かだった。というか、結界が張られていたんだろうなぁ。アイツは優秀だったから。

「まったく、生きてたならそう言えよな」

 一応、審神者養成学校では同期だったんだから。目眩ましの術か何かを使われていたのだろう、気付くことが遅れた俺も悪いが。
 いや、そんな術を使うアイツが何より悪い。
 しかし、あの宗左左文字の瞳……警戒の色バリバリだったな。
 正直怖いから何も俺の話をしないで欲しい。そう願いながら俺はまた別の仕事に戻ったのであった。


*****


「あの男は知り合いですか?」
「そーだよ。審神者養成学校での同期くん」
「そうですか。あなたはただでさえお尻が軽いんですから、一度拾った命をもう無くさないようにくれぐれも気を付けてくださいね」
「そーちゃんは優しいねぇ」
「そう言うのはあなた達くらいですよ」

 懐かしい顔が呪殺されそうだったから助けた。その程度のことではあるのだけれども、そーちゃんには心配をかけてしまったらしい。
 気を付けないとなぁ、とそーちゃんの隣を歩きながら考える。

「あなた、聞いてるんですか?」
「聞いてる聞いてるー」
「ああ、まったく。これだから主は……」

 そーちゃんは溜息をひとつ吐くと「まったく聞いていないでしょう?」と言って、あたしの鼻を摘まむと、ふふんと笑った。
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