此のこころ、桔梗に帰す【歌さに】

 私がそのヒトに恋をしたのは、四つの時でした。

「俺みたいなのが突然来て驚いたか?」

 その方を初めて見た時、真白い雪の妖精だと例えてもなんら可笑しくないような色を纏ったそのヒト。彼の方の言葉通り幼い私は確かに驚いて、そうしてこの目も心もその方に奪われてしまったのです。
 そこから私はそのヒト――鶴丸国永様にべったりと懐くようになりました。
 その懐きようは初期刀の歌仙さんを呆れさせるほどだったと懐かしそうに今でも言われます。
 今思えば、私のその言動は本当に浅はかだったと思えるようなものばかりでした。
 本丸の主たる者がただ一振りに傾倒するなどあってはならない愚行だと言えるのに。それでも私は愚かにも鶴丸国永と云う刀剣男士に傾倒したのです。

「たまたまきみの本丸の神様方は心が広い方達ばかりだったから良かったものの、そうでなければ今頃きみの鶴丸国永は八つ裂きだったんじゃないかな?」

 そう言われたのは十六の時、新しく来た政府の担当さんは軽やかな声でそう仰りました。
 新しい担当さんは以前は私と同じ審神者を務めていたらしいのですが、訳あって審神者を辞め、今は政府に勤めていると不意に漏らされたことがあります”
 その時に右目を怪我したんだよねー、と眼帯で覆われた右目を指しながら猫のようににんまりと笑っていました。きっと私が気にしていたから教えてくださったのでしょう。
 お優しいですね、とそう言えば担当さんはこちらから見える澄んだ青空のような左目を悲しそうに歪めていらっしゃいましたが、どうしてそのような顔をなさったのでしょうか?

「どうして私にそのお話をしてくださったのですか?」
「んー……、もう悲劇を作りたくないからかなぁ」
「すみません……、仰っている意味が分からないのですが……」
「いつかきみにも分かるかも知れないし、もしかしたら一生分からないのかも知れない。こればかりはあたしには何も言えないかな」

 先程の悲し気な色を瞳から消し去り、打って変わってにこにこと笑う担当さんは、私には上手く理解できない言葉を連ねます。
ますます以て意味が分からないと首を傾げそうになった時、担当さんは不意に私の背後を見やりました。そうして、ああ、と一言呟くと担当さんはその人間には珍しい桜色の長い髪を揺らしながら静かに立ち上がります。

「うちの姫さんにナニを吹き込んでいるんだ?」
「おやまあ、とてもじゃないがその『姫さん』に見せられないようなこーわい顔をしているね? 鶴丸国永?」
「つ、鶴丸様! その呼び方は人前ではやめてくださいとお願いしたじゃないですか!」
「ああ、……俺としたことが、っはは。ついつい、姫さんがいじめられてると思ってな」
「……もう、仕方のない御方ですね」

 私を抱き寄せるように包み込む鶴丸様をそう言いながら見上げる。
 まるで鶴丸様が何か怖いものから私を守るような体勢だな、と不思議に思う。けれども不思議に思うのみで、私は担当さんが居るにも構わず私の肩に触れている雪よりも白い鶴丸様の手に触れました。

「なるほど、ね」
「政府の人間。お前の仕事はもう此処には何もない。お前は――遅すぎた」
「そうだね。あたしは止められなかった。それは仕方のないことだね」
「なんのお話をされているのですか? お二人共」
「姫さんは知らなくてもいいことだ」
「そう、なのですか?」
「ああ、そうだ」

 いつものように柔らかに微笑む鶴丸様。私が好きになった時から何も変わらないその笑顔が私はやはり大好きなのです。

「さてさて。お邪魔な虫はさっさと帰るかなぁ」
「ああ、そうすればいい」

 二人が何を話しているのか分からなかった。でも、私は鶴丸様を信じているから。だから私は何も気にせずに今を過ごせるのです。
 いつか鶴丸様のお嫁さんになれたなら、そうして良い審神者として生きられたなら、どれだけ幸せか。
 そう思う私は自分がどれほど愚かな人間であったのか。
 死ぬまで、いいえ――死んだそのあとでさえ、気付けなかったのですが。


*****


「あの子はもう手遅れだったねぇ? こーちゃん」
「……ええ、あの審神者には、怨念のような糸が絡められていました」
「怨念、かぁ」
「何か、違いましたか?」
「ふふ。アレはねぇ、この世でもっとも純粋な――呪いだよ」

 あたしは首を傾げる江雪左文字に向かってへらりと笑う。
 あの審神者はもう何もかもが手遅れだった。
 前任の担当者があの本丸の刀剣男士に呪い殺された件で『確認』の為に審神者の本丸へ行けと上から命令された。もしもの時は放棄しろ、との有難いお言葉も添えられて。
 各本丸に与えられたパスコードを慣れた手つきで打ち込み、ゲートが開いた瞬間に感じた驚くほどの澄んだ神気に満ちた本丸。
 その空気は久し振りに全身に鳥肌が立ったのを感じる程であった。
 時の政府管理下である土地に戻ってきた今でさえ、己の身体に残っている澄みきった神気の残り香に若干の眩暈を覚えるくらいなのだから余程だね。

(人ひとりを呪い殺して尚、あの神気を纏うのかぁ)

 あの本丸の審神者は愛され過ぎた。
 清いものが好きな神々が幼い子供を育て慈しみ成長を喜んで過ごしているだけならまだ救いはあったのかも知れない。
 けれども審神者はただ一振りに恋をした。それは審神者にしたら甘酸っぱい可愛らしいものだったのかも知れない。けれども他の神からしたらあまりにもその想いは憎らしかったことであろう。
 慈しみ、愛していた存在がたった一振りの刀に恋をしたのだから。
 けれども他の神――刀剣男士達はその感情を置いてでもあの審神者のことをただ一心に、純粋なまでに愛していたのだろう。
 審神者に恋された刀もそれは変わらず、自分を特別に愛してくれる存在を愛おしく想わない筈がない。
 現にあの審神者は鶴丸国永が本丸以外の人間に向ける殺気に一ミリも気が付かなかった。
 彼女は審神者とはいえ人間。幾ら清い霊力を持っていても何れは死出の旅路に着くのは必然の流れであったというのに。

「あの本丸の鶴丸国永、……いや。あの本丸の刀剣男士全員、そこだけは意見が一致しちゃったみたいだね」

 はあ、と溜め息を吐いてしまった。
 いけない、いけない。幸せが逃げちゃうねえ? でも溜め息も吐きたくなるっていうものだよ。優秀な成績を残していた審神者がまたひとりこの世界の何処からも消えてしまうことになるのだから。
 せめて審神者としては居て欲しかったなぁ。残念だなぁ。

「あの娘に絡められた神気は、ひとつやふたつ、そうして一日や二日の出来事ではないでしょう」
「そうだねぇ? きっと、あの白い神様が来たその日から目をつけられていた。あの本丸すべての刀の神様によって絡められた神気の糸は、あの審神者の身体に巻き付いて、もう、鶴丸国永が言ったようにあたし達が行った時には手遅れだったね」
「……和睦の道は、ないのでしょうか」
「――あの審神者は愚かにも気付かなかった。忘れてしまっていた。己があの本丸を統べる君主であることを。それがきっと、悲劇の引き金だろうね」
「主、あなたは……」
「つらくはないよ。もう、慣れちゃったからねぇ」
「……そう、ですか」
「うん。だから大丈夫! それよりこーちゃん? 報告書を書く前に甘味処に行かない? 今日は無性に甘いものが食べたい気分だなぁ」
「あなたが私の主です。どこまでも、着いて行きましょう」
「そうこなくっちゃ」

 あたしは江雪左文字の空いた手のひらをしかと握り締めながら、にっこりと猫のように笑う。
 あの審神者が死のうが生きようが神域に取り込まれて死すらない生活を送ろうが、正直あたしにとったらどうでも良かった。
 あたしにとって今大事なのは、握った手のひらを握り返してくれる、あたしにとっての神様達だけだから。

「こーちゃんは何が食べたい?」
「……あんみつ、ですかね」
「こーちゃんホントに好きだよねぇ、あんみつ」
「ええ、好んでいます」
「あたしもね、あんみつ好きなんだー」
「……存じていますよ」

 こーちゃんの言葉に昔々本丸で食べたあんみつの味が口内に一瞬だけ広がった、……ような気がした。
 それらはすべて気のせいなのだと頭を振って、こーちゃんの手をギュッと握り歩き出す。
 空は炎のような茜色をしていて、少しだけ胸がギュッと痛んだ。
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