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小説企画『ライト』さまに参加させていただきました!
お題:雨
**
しゃん、しゃん、と鈴が鳴る。
下に、下に、と声がする。
俯いて地面を見ながら先導するモノに付き従いながら、白無垢を引き摺り歩く。
私は今日、嫁入りをするのだ。
**
「来たね」
「来たわよ」
「来ないかと思った」
「……家の前に大名行列かってくらいのヒトを寄越しておきながら、よく言うわね」
「万が一にも君に逃げられたら、僕はどうしたらいいかわからないからね」
「どうしたらいいかわからない?本当にそう思っているのなら、今ここで舌を噛み千切って欲しいのだけど」
「それは御免こうむるよ」
にこり、狐のような金の瞳を細める男に、はあ、と溜め息を吐き出した。
全く、相も変わらず食えない男だ。
「どうして私を信じてくれなかったのかしらねぇ」
「子供にした口約束ほど信用できないモノはないよ」
「あら?私は無碍には出来ない『約束』を忘れたことなんて一度たりともなかったわよ」
「そう?」
「ええ」
頷いて、もう一度大仰に溜め息を吐いた。
何せこの男は『約束』を交わした日から欠かすことなく、毎夜夢に現れるのだ。忘れようがないじゃないか。
しかも忘れかけようものなら恨みつらみに、終いは「君は僕を捨てるんだねっ」と泣き言を吐いて私に縋り付いてくるのだ。
夢が覚めるまでずぅっと。
それが10年も続いてみせれば嫌でも頭に刷り込まれるというものだ。
今までの10年を思い返して、本当に頭を抱えたくなる10年だったなと思う。
良く気が触れずに今まで生きてこれたものだ。
いや、もしかしたらこんな事態に対応できている時点で、もうとっくに気が触れているのかもしれないけれど。
「でも本当に良かった」
男が金の瞳の眦を下げたまま言う。
「君が逃げなくて、本当に良かった」
「逃げる場所があったのなら、とっくの昔に逃げているわよ」
「ははっ。そりゃあそうか」
軽快に笑う男に米神の辺りが痛くなった。
思わず指で揉んで解す。
(たとえば私が逃げたのなら、地の果てでも地獄の底でも追ってモノにすると言って脅してきたのはどこの誰だったのかしらねぇ)
もしかしたら目の前で腹を抱えて笑っている男だったかもしれない。
ああ、その可能性は限りなく高そうだ。
「ねぇ、つゆり」
「なぁに」
「あれ?そこは僕の名前を呼ぶところじゃないんだ」
「あら、まだ婚姻の儀を済ませていないもの」
言外にまだ私は逃げられるのだと言えば、ピシッと近くにあった屏風が切れた。
わあ、真っ二つ。
関心していれば、ゆらりと私の周りで揺らめく蒼い炎が現れ空気が重くなる。
「イマ、逃げようトした?」
ゆうらり、ゆうらり、行燈の明かりで男の影が大きくなっていくのが分かる。
大きくなったその影はまるで巨大な狐のようで、化け物のようで。
男が怒ったのだと、彼の周りで控えていたモノ達が震えだす。
けれど私は動じない。動じるわけがない。
「ふふ。ねえ、何を悲しんでいるの?」
私は逃げなかった。
――それが答えでしょ?
ふふ、と白無垢の袖で口元を隠して笑えば、控えていたモノ達は更に震えあがったけれど、目の前で化け物となった男は、ふ、と気が緩んだようにな顔をして、裂けた口は元に戻り、私の周りを囲うように漂っていた蒼い炎は掻き消えた。
「そっか。……そうだよね。つゆりが僕から逃げてない今が、全てなんだよね」
「そうね」
微笑んでやれば、男は私に焦がれるように手を伸ばしてきた。
「ねえ、触れてもいい?」
「あら?聞いてくれるのね」
「君の許可がなければ触れないよ」
「そう。なら、いいわよ」
その言葉と同時に抱き締められた。
(抱き締めていい、とは言っていないのだけれど)
まあ、いいかと内心で苦笑して、抱き締め返してあげた。
「つゆり、つゆり」
「なあに?」
「僕の名を呼んで」
「ふふ。まだ契ってもいないの状態の、ただの人間である私では貴方の名前は呼べないわねぇ」
「なら早く契ろう。君に早く、名前を呼ばれたい」
「契るのはおまけみたいね」
「契るのはいつでもできるからね」
「名を呼ぶのもいつでもできるわよ」
「なら呼んでよ。つゆり」
切なそうな色を含んだ金の眼差しが私を射抜く。
けれど私は「だぁめ」と囁いた。
「私はまだ人間だもの」
貴方が私を人の理から外さない限り、私は貴方の名前を口が裂けても呼んではいけない。
だって貴方は――
「神様との『約束』を破ったら、その代償は私にくるのよ?それは少し嫌ねぇ」
眉を下げて微笑んだ。
男は思い出したように、ああ、と呻く。
普通の人間には見えないモノが見えた私は、あの日もヒトならざるモノの手によって山で迷わされていた。
暗くて、じめじめして、動物の鳴き声も、風の音も聞こえない空間に置き去りにされて、寂しさと恐怖で泣きわめく私。
そんな私の前に現れた美しい男は言ったのだ。
『君を無事家に帰してあげる。その代わりに、君が16歳になったら僕のお嫁さんになること』
『僕のお嫁さんだけが僕の名前を呼べるから、僕が満足するまで、たくさんたくさん呼んでね』
狐のような顔をしたその美しい男は、にっこりと笑って私のうなじに口づけをした。
私には見えないけれど、それが消えない痕として残ったのか、それからはヒトならざるモノに遊ばれることもなく、むしろ恭しく頭を下げられるようになった。
全てが全て、目の前の男の仕業に見えて仕方がないけれど、それでも。
私は結局のところ逃げなかった。逃げるということすら思わなかった。
それが私の中での答えであり、全てだ。
「なら早く契ろうか。この10年。君に名前を呼ばれたくて呼ばれたくて、仕方がなかったんだ」
凡庸な、ヒトならざるモノが見えるだけの私に名を呼ばれるということが、男にとってどれだけの意味をもたらすのか分からないけれど。
男にとってそれは私が破瓜を散らすよりも重要なことらしい。
なんということだと憤るべきなのか。
(……ああ、でも結局、逆らえないのよねぇ)
逆らうと何かがあるということでもないのに。
先ほどみたいな変容は怖くもなんともないのに。
やっぱり、私にとってこのヒトは――
(かみさま、なのねぇ)
この、本当は神でもなんでもない、ただの化け物が。
私にとっては神様のような存在なのだ。
私にしか見えないナニかに脅かされる日常が怖くて。
いつも傍に居るナニかに怯えて暮らす日々が恐ろしくて。
誰に言っても信じて貰えず、ただただ耐えるだけしかできなかった子供の頃。
耐えきれずにこのまま消えてしまいたくなった時に助けてくれた、大切な私の『神様』。
あの出逢いが故意か偶然かだなんてどうだっていい。
私には、この化け物との約束だけがこの10年を生きる糧でもあった。
脅かされる不安がなくなった後。
――それでも見えなくなることはなかったソレらは怖かった。
嘘つきと呼ばれなくなった後でも。
――それでもそう呼ばれた過去はなくならない。
たった一度の出逢いが、私の全て。
急くように白無垢を脱がされる中、私はそうっと微笑んだ。
(ああ、ようやく私はこのヒトの傍に居られるのねぇ)
その笑みは狐の目のような弧を描いていたことは、去って行ったヒトならざるモノ達すら居ない、二人きりでしかない今、知るのはただ一人きり。
「つゆり、嬉しそう」
「そりゃ、嬉しいですからねぇ」
「つゆりが嬉しいなら、僕も嬉しいよ」
ザァァ…と、遠くで雨の降る音がした。
まるでこの婚姻を喜ぶような、雨であった。
お題:雨
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しゃん、しゃん、と鈴が鳴る。
下に、下に、と声がする。
俯いて地面を見ながら先導するモノに付き従いながら、白無垢を引き摺り歩く。
私は今日、嫁入りをするのだ。
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「来たね」
「来たわよ」
「来ないかと思った」
「……家の前に大名行列かってくらいのヒトを寄越しておきながら、よく言うわね」
「万が一にも君に逃げられたら、僕はどうしたらいいかわからないからね」
「どうしたらいいかわからない?本当にそう思っているのなら、今ここで舌を噛み千切って欲しいのだけど」
「それは御免こうむるよ」
にこり、狐のような金の瞳を細める男に、はあ、と溜め息を吐き出した。
全く、相も変わらず食えない男だ。
「どうして私を信じてくれなかったのかしらねぇ」
「子供にした口約束ほど信用できないモノはないよ」
「あら?私は無碍には出来ない『約束』を忘れたことなんて一度たりともなかったわよ」
「そう?」
「ええ」
頷いて、もう一度大仰に溜め息を吐いた。
何せこの男は『約束』を交わした日から欠かすことなく、毎夜夢に現れるのだ。忘れようがないじゃないか。
しかも忘れかけようものなら恨みつらみに、終いは「君は僕を捨てるんだねっ」と泣き言を吐いて私に縋り付いてくるのだ。
夢が覚めるまでずぅっと。
それが10年も続いてみせれば嫌でも頭に刷り込まれるというものだ。
今までの10年を思い返して、本当に頭を抱えたくなる10年だったなと思う。
良く気が触れずに今まで生きてこれたものだ。
いや、もしかしたらこんな事態に対応できている時点で、もうとっくに気が触れているのかもしれないけれど。
「でも本当に良かった」
男が金の瞳の眦を下げたまま言う。
「君が逃げなくて、本当に良かった」
「逃げる場所があったのなら、とっくの昔に逃げているわよ」
「ははっ。そりゃあそうか」
軽快に笑う男に米神の辺りが痛くなった。
思わず指で揉んで解す。
(たとえば私が逃げたのなら、地の果てでも地獄の底でも追ってモノにすると言って脅してきたのはどこの誰だったのかしらねぇ)
もしかしたら目の前で腹を抱えて笑っている男だったかもしれない。
ああ、その可能性は限りなく高そうだ。
「ねぇ、つゆり」
「なぁに」
「あれ?そこは僕の名前を呼ぶところじゃないんだ」
「あら、まだ婚姻の儀を済ませていないもの」
言外にまだ私は逃げられるのだと言えば、ピシッと近くにあった屏風が切れた。
わあ、真っ二つ。
関心していれば、ゆらりと私の周りで揺らめく蒼い炎が現れ空気が重くなる。
「イマ、逃げようトした?」
ゆうらり、ゆうらり、行燈の明かりで男の影が大きくなっていくのが分かる。
大きくなったその影はまるで巨大な狐のようで、化け物のようで。
男が怒ったのだと、彼の周りで控えていたモノ達が震えだす。
けれど私は動じない。動じるわけがない。
「ふふ。ねえ、何を悲しんでいるの?」
私は逃げなかった。
――それが答えでしょ?
ふふ、と白無垢の袖で口元を隠して笑えば、控えていたモノ達は更に震えあがったけれど、目の前で化け物となった男は、ふ、と気が緩んだようにな顔をして、裂けた口は元に戻り、私の周りを囲うように漂っていた蒼い炎は掻き消えた。
「そっか。……そうだよね。つゆりが僕から逃げてない今が、全てなんだよね」
「そうね」
微笑んでやれば、男は私に焦がれるように手を伸ばしてきた。
「ねえ、触れてもいい?」
「あら?聞いてくれるのね」
「君の許可がなければ触れないよ」
「そう。なら、いいわよ」
その言葉と同時に抱き締められた。
(抱き締めていい、とは言っていないのだけれど)
まあ、いいかと内心で苦笑して、抱き締め返してあげた。
「つゆり、つゆり」
「なあに?」
「僕の名を呼んで」
「ふふ。まだ契ってもいないの状態の、ただの人間である私では貴方の名前は呼べないわねぇ」
「なら早く契ろう。君に早く、名前を呼ばれたい」
「契るのはおまけみたいね」
「契るのはいつでもできるからね」
「名を呼ぶのもいつでもできるわよ」
「なら呼んでよ。つゆり」
切なそうな色を含んだ金の眼差しが私を射抜く。
けれど私は「だぁめ」と囁いた。
「私はまだ人間だもの」
貴方が私を人の理から外さない限り、私は貴方の名前を口が裂けても呼んではいけない。
だって貴方は――
「神様との『約束』を破ったら、その代償は私にくるのよ?それは少し嫌ねぇ」
眉を下げて微笑んだ。
男は思い出したように、ああ、と呻く。
普通の人間には見えないモノが見えた私は、あの日もヒトならざるモノの手によって山で迷わされていた。
暗くて、じめじめして、動物の鳴き声も、風の音も聞こえない空間に置き去りにされて、寂しさと恐怖で泣きわめく私。
そんな私の前に現れた美しい男は言ったのだ。
『君を無事家に帰してあげる。その代わりに、君が16歳になったら僕のお嫁さんになること』
『僕のお嫁さんだけが僕の名前を呼べるから、僕が満足するまで、たくさんたくさん呼んでね』
狐のような顔をしたその美しい男は、にっこりと笑って私のうなじに口づけをした。
私には見えないけれど、それが消えない痕として残ったのか、それからはヒトならざるモノに遊ばれることもなく、むしろ恭しく頭を下げられるようになった。
全てが全て、目の前の男の仕業に見えて仕方がないけれど、それでも。
私は結局のところ逃げなかった。逃げるということすら思わなかった。
それが私の中での答えであり、全てだ。
「なら早く契ろうか。この10年。君に名前を呼ばれたくて呼ばれたくて、仕方がなかったんだ」
凡庸な、ヒトならざるモノが見えるだけの私に名を呼ばれるということが、男にとってどれだけの意味をもたらすのか分からないけれど。
男にとってそれは私が破瓜を散らすよりも重要なことらしい。
なんということだと憤るべきなのか。
(……ああ、でも結局、逆らえないのよねぇ)
逆らうと何かがあるということでもないのに。
先ほどみたいな変容は怖くもなんともないのに。
やっぱり、私にとってこのヒトは――
(かみさま、なのねぇ)
この、本当は神でもなんでもない、ただの化け物が。
私にとっては神様のような存在なのだ。
私にしか見えないナニかに脅かされる日常が怖くて。
いつも傍に居るナニかに怯えて暮らす日々が恐ろしくて。
誰に言っても信じて貰えず、ただただ耐えるだけしかできなかった子供の頃。
耐えきれずにこのまま消えてしまいたくなった時に助けてくれた、大切な私の『神様』。
あの出逢いが故意か偶然かだなんてどうだっていい。
私には、この化け物との約束だけがこの10年を生きる糧でもあった。
脅かされる不安がなくなった後。
――それでも見えなくなることはなかったソレらは怖かった。
嘘つきと呼ばれなくなった後でも。
――それでもそう呼ばれた過去はなくならない。
たった一度の出逢いが、私の全て。
急くように白無垢を脱がされる中、私はそうっと微笑んだ。
(ああ、ようやく私はこのヒトの傍に居られるのねぇ)
その笑みは狐の目のような弧を描いていたことは、去って行ったヒトならざるモノ達すら居ない、二人きりでしかない今、知るのはただ一人きり。
「つゆり、嬉しそう」
「そりゃ、嬉しいですからねぇ」
「つゆりが嬉しいなら、僕も嬉しいよ」
ザァァ…と、遠くで雨の降る音がした。
まるでこの婚姻を喜ぶような、雨であった。