2013年クリスマス

半年前。
私は2年付き合った恋人に振られてしまった。
ただ振られるならまだ良かったんだけど、まさか親友だと思っていた子と恋人が浮気をした挙げ句に振られるとは思いもしなかったなぁ。
まあ、今だから言えるんだけども。
いや、当時も対して今とは変わらない態度だったかな?
それでも内心はかなり驚いたし、同時に酷く傷付いた。
正直人間不信になっても何ら不思議ではなかったと思う。
でもそうならなかったのは、彼の存在が大きかったんだろうなぁ、と。
どうにかこうにか半年というスピードで立ち直ったのは、後輩である彼が居てくれたからだと思うわけで。


『先輩。先輩のことを裏切ったような酷い人達のことはもう忘れてしまいましょう。貴女が気に掛ける必要なんて何処にもないんですから』

『……そんな、簡単なことじゃない…っ』

『簡単ですよ』

『……っ、貴方は、部外者だからそう言えるだけでしょう?……お願いだから放っておいて。もう1人にして…』

『嫌ですよ』


そう言って、彼は笑った。
哀しそうに。
けれども、優しく。


『僕は先輩が好きです。誰より好きです。だから、貴女が傷付いて泣いている姿を見ていたくはありません。他の男のことで泣いているなら、尚更見ていたくはありません。先輩には笑っていて欲しいです』

『……笑えない嘘だね』

『嘘じゃないんですけどね』


困ったように彼は眉を下げると、少し考え込んでから、口を開いた。


『それじゃあ一つ、貴女に約束します。破ってしまったら、僕を殺してくれたって構いません』


そう言った彼の言葉があまりにも現実離れをしていて。
約束一つに何とも大きな対価だな、なんて何処か遠くのことのようにその時は思った。


『――僕は絶対に、貴女の味方で居続けます。何があっても貴女を哀しませることはしません』

『……そんなの、』

『不可能だと思いますか?』

『……』

『お約束します』


貴女の側に居て、貴女を守ると。
貴女を絶対に泣かせないと。


『だからどうか、泣き止んで下さい。貴女の泣き顔もとても可愛らしいとは思いますけど、そろそろ貴女の笑顔が見たいですから』

『……、なにそれ』


なにそれ。
なんて言いながら、私はその時、久しぶりに笑みを浮かべた。






「どうしたんですか?」

「ん?」

「物思いに耽ったような顔をしてます。……何か嫌なことでも思い出してしまいましたか?」


ぼうっと当時のことを思い出していたせいか。
私が辛いことを思い出しているとでも思ったのか、彼が心配そうに眉を下げ、そう言ってくる。
それに首を振って違うと答えた。


「大丈夫だよ」

「……貴女が大丈夫だと言うなら信じますけど、何かあったらキチンと僕に言って下さいね?」


何か言いたげな顔をしながらも、私の意思を尊重して何も聞かずにいてくれる彼に「ありがとう」と答えた。


「お礼なんていいですよ。ただ僕は貴女に笑っていて欲しいだけですから」

「うん。それでもありがとう」


側に居てくれて。
そうやって“味方”だと言ってくれて。
どれだけ私が救われているか。
彼が居なければ、誰も信じられず、誰も近くに寄せず。
ただ世界に一人きりだと思いながら過ごしていたかも知れない。
もしかしたら外に出ることさえ出来なくなっていたかも知れないから。


「側に居てくれて、ありがとう」

「だから、……いえ。僕の方こそ、ありがとうございます」

「?」


何が?
そう言おうとして、けれどそれは彼の「そろそろお昼ご飯にしませんか?」という言葉に遮られてしまった。
まあ、別に。特に気になった訳でもないから聞き返す程のことでもないのだけれど。






ずっと見ていた。
先輩が僕ではない男の隣で幸せそうに笑う姿を。
僕ではない人間に頼る姿を。
それは当然のことではあった。
ちょっと交流のある後輩と、恋人や親友では、信頼の度合いなんて秤に掛けるまでもないのは目に見えていたから。

だからといって耐えようだなんて思わなかった。


だって好きなんだ。


逸そこの心臓を抉り出して、頭をかち割って、先輩のことをどれだけ愛しているのかを見せてしまいたいくらい。

どうしようもなく、好きなのだ。
自分でも驚くくらい先輩が欲しくて、欲しくて、欲しくて、欲しくて、堪らなくて。
いつも理由を付けては先輩の教室まで行き、先輩の柔らかく暖かな笑顔を見ては、ほんの少しの充足感を得る。

けれど足りない。
先輩が恋人である男に呼ばれそちらに行ってしまえば、親友である女が興味本意で加われば。
僕に向けるよりも更に優しく笑うから。


悔しくて妬ましくて恨めしくて。
何度殺してやろうと思ったことか。


それでもそんな顔を先輩に見せる訳にはいかないから。
必死に押し殺して、隠し通して、微塵も匂わせないようにした。
そんな感情を抱いているだなんて知られて、もし先輩に嫌われる何てことがあったら。
僕はきっと。生きてなんていけないから。


でも、気付いてしまった。
先輩の居ない所で交わされる視線に。そこに籠められた熱の意味に。


――気付いてしまったら、利用しないわけにはいかないだろう。


ふつり、と何かが切れる音がした。




そこからはもう。
僕の独壇場だ。




(可哀想な先輩)


大切なのだと言った恋人に裏切られて。
唯一の親友なのだと言った女に奪われて。
人間不信寸前に追い込んで、付け入ったのがその元凶になった男で。
いやまあ、元々いつ壊れても可笑しくなかったような関係だったけれど。
それでもあの2人が会いやすいような環境を作ったのは僕だし、あの2人が一夜を明かした場面を目撃させたのも僕だ。
少しだって罪悪感を感じたりはしていないけれど。


「――ねえ、先輩」


もしこの事実を、信頼を寄せている僕が全ての元凶なのだと知ったら。


「なぁに?」


玉葱を切っていた先輩は、きょとんとした顔で隣に立つ僕を見上げる。
その顔が可愛くて、自然と笑みが浮かんだ。


「いえ。調理をする先輩がとても真剣な顔をしていたので、少し妬いてしまいました」

「……良くも恥ずかしげもなくそんなことが言えるね」

「本当のことですから」


例えそれが無機物であろうと、ただの食材であろうと、僕の為に作っている料理であろうと。
貴女が注意を向ける全てに嫉妬する。


「はいはい。そんなことは良いから手を動かそうね」

「そうですね」


早くこんな作業なんて終わらせて、先輩を独り占めしないと暴走してしまいそうだから。





全てを告げてしまったなら、どうなるんでしょうね?
もう誰を信じていいのか分からなくて。
この世の全てが悪意に満ちているのだと思って。
心を閉ざして、誰にも会わず、最後には壊れてしまいますか?狂ってしまいますか?


(――安心して下さい)


まだ先輩を壊す気はないですし。
例え壊れても、狂っても



「愛していますよ。先輩」


だから早く、僕と同じ場所まで堕ちてきて下さいね。
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