2018年バレンタイン

二月十四日。
世間では所謂、バレンタインデーというやつである。
徹夜で作ったガトーショコラは可愛く包装出来た。
普段はしないお化粧を少しだけして。
普段より少しだけスカートの丈を上げて。
それだけで、ほら。
気持ちは物語の中の主人公。

「なんて、馬鹿だなぁ……」

好きな人が居ます。
その人は『太陽』という言葉が似合うような、底抜けに明るい人。
私みたいな図書館に籠りきりの、地味で根暗な女の子にも気さくに声を掛けてくれるような。

「期待しちゃって、馬鹿みたい……」

いつから、だったかな?
彼が図書館に来るようになったのは。

彼を最初に見掛けた、と言うよりも。
認知するようになったのは、夏だった。

この学園に併設された図書館の図書委員。
地味なくせに大変な作業も多いからとやりたがらない人が多かった図書業務。
委員会決めの際に中学から図書委員をしているわたしの挙手は即座に受け入れられた。
大きな図書館に浮かれながら、当番じゃない日も毎日通った。
本が好きで、本の中の物語の世界だけがわたしの世界だったから。

だから、彼を認知した時は驚いた。
あんなにも目立つ人、気付かないわけがないのに。

机は普通の図書館よりも大きめなのに、彼はその大柄な身体と長い足をきちんと整え、姿勢良く座っていた。
窓際の日当たりの良い席を陣取っているのは、どういうことか分からなかったけれども。

「ねぇねぇ。あの人、バスケ部のエースなんだって!」

「そ、そうなんだ……」

数少ない友達が興奮気味に話し掛けてきたのを、反芻する。
彼は、バスケ部。
だからあんなに身体が大きいんだと納得した。

「ネクタイの色が青だから、ひとつ上の学年みたいだね」

「うん」

「とは言え、うちの伝統柄学年なんて分からないけど」

「……っ」

その言葉にハッとした。
名前も知らない彼が、一年先輩だと言うのはネクタイの色を見たから知っていたけれども。
この学園のちょっとしたジンクスを思い出す。

『恋人同士でネクタイを交換すると、一生幸せになれる』

誰が作ったジンクスかなんて分からないけれども、それはこの学園に半月も在学していれば自然と分かること。

「あーあ。あたしもあんなイケメンとネクタイ交換したーい」

「あ、亜美ちゃんは……彼が、好きなの?」

「んー。好きっていうか、あたしはイケメンと付き合いたい!」

そのさっぱりとした性格に、わたしは少しだけ笑ってしまった。
クスクスと笑い合っていたら、スっと影が出来た。

「あんたら、一年の図書委員?」

「え、」

「はい!一年B組の亜美でっす!」

「ふはっ、元気がええなぁ」

「元気だけが取り得なんで!」

「その元気を仕事に使ったらどぉ?」

その言葉にまたもやハッとした。
周りの先輩方は静かに黙々と図書業務をこなしていると言うのに、私達ときたらお喋りばかり。
亜美ちゃんもそれに気付いたのか、目に見えて気まずそうな表情をする。

「気ぃつけぇや。生徒会と風紀、同時に目ぇ付けられたら大変やで?」

「はい……」

「そない困った顔せんといて。責めとるわけやないんやから」

「……はい、すみませんでした」

頭を下げれば、彼はもっと困ったといった雰囲気を出す。
彼としては同年生があくせく働いている中、お喋りに興じているのが嫌だったから声を掛けて注意をしてくれたのかも知れない。
もしかしたら先輩達に後で怒られたかも知れない。
そう考えれば考えるだけ、申し訳なくて。
泣きそうになったわたしの頭が突然重力を感じて、その後にわしゃわしゃと掻き混ぜられる感覚を感じた。

「泣かせるつもりやなかったんやけどなぁ」

困った、そんな表情をする彼はわたしの髪をひとしきり掻き乱した後に、ああそうや!と声を上げる。

「これ食べや。三人だけの内緒やで」

「……先輩、賄賂ですか?素直に受け取っておきます!」

「亜美ちゃんは素直でよろしい!きみは?」

声を掛けられて、私は慌てて手のひらを上に向ける。
コロンと落とされた飴は透明なビニールに包まれて、見ただけで甘そうな乳白色をしていた。

「ナイショ」

彼は人差し指を口に宛てがい微笑んだ。
ドキリ、と胸の中心で音が鳴った。
この日、芽生えた気待ちは彼に渡された乳白色の飴と同じ。
まっさらな淡い想いだった。


そこからわたしと亜美ちゃんと、その後に名乗ってくれた小松先輩は良く喋るようになった。
もちろん、図書業務の合間に。
バスケ部が休みの日はいつも図書館に来ているのだと笑う先輩に、どうしてですか?と聞いたら少し悩んだ後に「ナイショ」とまた微笑まれた。

少しずつ、少しずつ。
わたしの気持ちが大きくなっていく。


そうして季節は夏から秋に、そうして冬に変わった。
わたしと先輩の関係は変わらず。
図書委員とそこにたまに来る先輩。
それだけだ。

「告白しなよ!」

「あ、亜美ちゃん!?」

「紗雪と先輩、絶対お似合いだから!あたしは紗雪の恋を応援するよ!」

ふんっと鼻息荒くガッツポーズする亜美ちゃんに、わたしは戸惑う。
そんなこと思ったこともなかった。

『告白』

成功したら良いけれども、失敗したら?
考えるのはいつだってマイナス思考で、亜美ちゃんのようにプラスに考えられたら良かったのに。

「……ねぇ、紗雪。紗雪はどうなりたい?今のままで本当に良いの?」

「……っ、そ、れは」

良くない。
先輩をもっと知りたい。
季節を二つも過ごしているのに、何も知らない。
何も教えてくれない。

明るいミルクティーのような髪を触りたい。
綺麗な紅茶色の瞳に映りたい。

そんな欲求が芽生えて、止まらなくて。
もしかしたら、が心の中で育ってしまった。
私は亜美ちゃんを見て、こくりと頷いた。
亜美ちゃんは嬉しそうにわたしに抱き着いた。


二月十四日。
世間はバレンタインデー。
私は物語の主人公のような気分で登校した。
お菓子禁止令を出されないこの学園の規律のお陰で、わたしは難なく夜通し作り直したガトーショコラを大事に抱える。


二年生が居る棟に一年生が居ても可笑しくない日だからか、あまり浮くことは無く。
ドキドキとしながら小松先輩を探した。
見付けたミルクティー色に慌てて声を掛けようとして、やめた。
正確には声が出なかったのだ。

「るーりは!今年はチョコレート貰うで!」

「去年もあげた記憶があるのだけれども?」

「アレはカウントしませーん」

「あなたは阿呆なのかしら?」

「せやかて!バレンタインデーに貰ってへんもん!」

「あげたものはチョコレート的な何かなのだから良いでしょう」

「ホットチョコレートと言って!めんどくさがらんといて!」

そこに居たのは、私が知っている大人びた小松先輩ではなくて。
見間違えでなければ、生徒会長である先輩にチョコレートを貰いたがっている――ひとりの恋する男性で。
話を聞くだけで分かる。
あの二人は『そういう仲』なのだと。
ぽとり、と落とした綺麗に包装された箱。
わたしは二人の甘い雰囲気に、背を向けた。逃げたのだ。


その日、泣いて泣いて、泣きじゃくって。
亜美ちゃんは全部聞いて、そうして一緒に泣いてくれた。
そうして、ごめんね、と謝られた。
あたしがけしかけなきゃ紗雪は泣かなくて済んだのに、ごめんね、と。
泣きじゃくりながら言われた言葉に、そんなことない、と答えた。

亜美ちゃんが気持ちに気付かせてくれなくちゃ、この想いはただ静かに沈んで死ぬしかなかった。
それを掬い上げられたのは、亜美ちゃんのお陰だから。

そう言っては泣いて、泣いて。
二人してはじめて図書委員の仕事をサボった。


後から知った話。
生徒会長と小松先輩は一年前から恋人同士だということ。
バスケ部が休みの日いつも図書館に居たのは、図書館の日当たりの良いあの席から生徒会室が見えるから。


バレンタインデーは誰もが主役になれる日。
私は端役にしかなれなかった。


「ねぇ、アンタ」

「っ、は、はい!」

唐突に声を掛けられて、俯きがちに答える。

「あのケーキ?結構美味かったよ」

「……え?」

何を言っているのだと思わず頭を上げれば、そこに居たのはわたしが未練がましくも想っている先輩ではなくて。
A組の問題児として有名な同い年の男子生徒。

「ねぇ、もっと作ってくれない?」

「な、何故でしょう?」

「何故?理由って、居る?」

困ったなぁ、と頭を掻く同級生は何処までもマイペースで。

「俺がアンタの作るお菓子を気に入ったから。じゃ、理由になんない?」

「……意味が良く、」

「要領悪いね、アンタ」

「悪かったですね!」

「はは、怒った。そんな顔もわりと気に入ったよ」

落ち込んでるよりずっとマシ。
その言葉に、わたしは目をぱちくりとさせる。

「香坂花純」

「はい?」

「俺の名前。りぴーとあふたみー?」

「こ、こうさか、かすみ、さん?」

「よく出来ました」

頭を撫でられて、その仕草があまりにあの日の先輩と手つきが違いすぎて。
何が違うのだろう?


それに気付いたのは、新しい恋が芽吹いた頃。



Happy Valentine
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