2014年クリスマス

久し振りに泊まった恋人の家。
束縛癖の強い恋人のせいでトイレにすらまともに行けないけれど、まあ、何とか躱しつつ夜を迎えた。
その過程で何度、彼は自分の身体を傷付けたのだろう。
……ああ、うん。思い出したくないな。


「はるちゃん?どうしたの?俺の作ったご飯まずい?」

「相変わらずムカつくくらい美味しいわよ」

「じゃあどうしてそんなに難しい顔しているの?」

「そうだねぇ。それはこの状況のせいかな?」

「? 何か可笑しな状況になってる?」

「ええ、それはもう大いに」


足首に鎖の付いた足枷を着けさせられ、その鎖の端は恋人の手に握られている。
幸い足枷にはファーが付いているので痛くはないが、この状況が不快であることに変わりない。
けれどこの目の前でニコニコとそれはもう嬉しそうに笑っている恋人には何一つ響いていないだろう。


「どうしてこんなことになったのかしらね」


ぼそりと呟いた声に溜め息を吐きたくなる。
まさかたったアレだけの事でこんなとんでもない事になってしまうだなんて普通は思わない。
ただ私は、久し振りに訪れた恋人の家で料理を作っていただけだ。
その過程で切れてしまっていた醤油を買いに外に出た。
その時間約10分のこと。
なのに……玄関の扉を開けたその瞬間に思わず顔が引き攣ったよね、うん。
両手首からだらだらと血液を流す恋人の姿。その目は光を失いながら涙を流していた。


「……どこ、行ってたの……?」

「何してるのかなぁ」

「どこ、行ってたの?」


会話が通じない。はあ、と溜め息を吐いて外出していた理由を告げる。


「醤油を買いに行ってたのよ」

「……なんで、黙って行ったの?本当は、違うことをしていたんじゃないの?」

「それは私が浮気でもしてきたとかいうことかな?いい加減怒るよ」


そう言いながら状況を把握する。
廊下に血溜まりが出来ている。
もしかしたら私が外出してからすぐに切ってしまったのかも知れない。
人よりちょっとばかし情緒不安定な恋人のことを甘く見てたなぁ。
大体どうしてここまで好かれているのかが不思議だと今まで何度も思ってきた。
いや、今はそんなことはどうでもいいか。
靴を脱いで醤油が入った袋を廊下の端に置いて彼に近付く。


「私が君のことちゃんと好きなの知ってるでしょ?ほら、そんなことより手当しよう?」

「……『そんなこと』?そんなことって何?俺に黙って何処かに行っちゃうのは、はるちゃんにとってはそんなことで済ませてしまえるようなことなの?」

「落ち着いて。血が止まらなくなっちゃう」

「そんなことどうでもいいよ!!」


バンッと壁を叩き付ける恋人に思わず驚いて、びくりと肩を揺らす。
ぼろぼろと涙を流す恋人はその隙に僅かにあった距離を詰め腕を掴んできた。


「そんな酷いこと言うはるちゃんにはオシオキしなくちゃね?」


虚ろな声で言われたその言葉の意味を脳が理解する前にリビングに連れて行かれて。


――そうして今に至るわけだが。


「いい加減にしてくれないかな?私にも仕事があるんだけど」

「会社には俺が言っておくから大丈夫だよ。文句なんて言わせない」


ああ、そういえば忘れかけていたけれど務めている会社はこの人の会社だったっけ。
そんな事を思い出して、あの会社こんな情緒不安定な人間が運営していて大丈夫かなと彼の右腕である秘書の青年に軽く同情をする。
絶対に口には出さないけれど。
嫉妬に狂った恋人があの青年に何か嫌がらせでもして負担を増やすのは得策ではないと、学習済みだ。


「と、いうかさ。はるちゃんもいい加減会社なんかに行かないで俺の側だけに居てくれればいいのに」


はい、あーん。と差し出された綺麗な色をしたオムライス。
その綺麗な黄色い物体の味は保証されてはいる。あくまでも『味』に関しては。
このオムライスに『何か』が混入されていないという保証な何処にもない。


「どうしたの?もう食べない?折角はるちゃんの為に作ったのに」

「……食べるわよ?」

「じゃあ食べて」


にこりと笑みを浮かべる。
さっきまでの状態が嘘のように機嫌がいい恋人に、大仰に溜め息を吐く。
彼はコレを『オシオキ』だと言った。
が、単純に彼の手のひらの上で踊らされているような気になるのはどうしてだろう。
愛されているのは嫌というほど分かる。
自傷癖さえなければ彼は色々と完璧な男で、恋人だろう。
私と付き合うまでは実力に見合うだけの自信を持っていたというのに……どうしてこうも私のことに関しては自信がないのか。
『俺から離れられないようにしてしまえばいい』なんて、そんな事しなくても、もうとっくに離れるだなんて選択肢はないのに。


(バカだなぁ)


そんな馬鹿が好きな私も、相当な馬鹿なんだろうけど。


「ねぇ、一個いい?」

「なあに?はるちゃんのお願いなら叶えてあげるよ」

「なんでも、と言わないところが君らしいね」

「逃げたい、とか、別れたい、とか、そんな不可能なことは叶えてあげられないんだからしょうがないでしょ」

「安心しなさい。そんな事とっくに思ってすらいないから」

「じゃあ、なあに?」


首を傾げる恋人に眦を下げる。
どうしてそんな選択しかないのかなぁ。
いい加減腹が立ってくる。
でも、まあ。


「私はちゃんと圭人が好きだよ」


そう言うとパクリ、とスプーンに盛られたオムライスを口に含んで飲み込んだ。
誰の手から食べても美味しいが、まあ、恋人に食べさせて貰うというのもい中々いいものね。
まるで狐にでも抓まれたような顔をする恋人を見ながらそんな事を考えて、ふふ、と口角をあげた。
滅多に名前なんて呼ばないから相当驚いているのか、ぽかんと口を開けている。
してやった。そう思った瞬間いい加減盛られていた睡眠薬が効いてきたのだろう。
私はふつりと意識を失った。




それからの記憶は私にはない。
次に意識が浮上した時、気付いたら足枷は外されていて、恋人の腕の中に居た。
穏やかな顔をして眠る恋人の頬を何となくムカついたからという理由で抓り、眉を顰める恋人にふふ、と笑って。
傷だらけの腕を服の上からそっと撫でると、恋人の胸に顔を埋めてもう一度眠りに付いた。
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