瞬きの日々

何年も、何十年も過ぎ。
子供達はひとり立ちして各々家庭を築き、幸せに暮らしている。
妻は先に逝ってしまった。
清水は妻と、ある約束をしていた。
妻を看取ったら、清水は好きなように生きて良いと。
清水はその言葉を何処か哀しく思いながらも、妻の葬儀が諸々済んだ後に家を引き払い、静の住処に移り住んだ。静は何も言わずに受け入れてくれた。

「ねぇ、静?」

「なんじゃ」

皺くちゃな掌を包む静の手は初めて触れられた時同様に冷たい。

「静にたくさんのことを教えて貰ったから、俺、幸せになったよ」

「そうじゃのう。ほんの少し前までは考えられなかったことではあるなあ」

静はあやすように清水の手の甲を撫でる。

「全部、静のお陰だよ」

「お主が諦めなんだ。ただそれだけの話よ」

「ふふ。それでも、ありがとう。俺に手を差し伸べてくれて」

「単なる気紛れに礼とは、奇特な人間よな。お主も」

静はゆったりとした口調になっていく清水の、皺の刻まれた瞳を見る。
その瞳は出会った当初とは比べ物にならないくらい輝いていた。
静はそれが嬉しくて、眦を下げた。

「静」

「うん?」

「俺、静を愛してる」

「……そうか」

「うん。すごく、すごく、愛してるんだよ」

「旅路の前に呪いのような言葉を吐くとは、お主もやりおるなぁ」

清水はしてやったりと言わんばかりに、にっかりと笑った。

「あいしてるよ。静」

「何度も聞いたわい」

「良い足りないよ。六十年分あるんだから」

「随分と人の子にしては長い想いよのう」

静はただ真っ直ぐと清水を見つめた。
清水はゆったりとその眦を下げたまま。

「……のう、清水」

「なぁに?」

眠たそうに、清水は返す。


「わらわを愛していると言うのなら……」


――……なぜ、死ぬ?


黒いセーラー服にぼたりと大粒の雫が染みを作った。
清水はそれを拭おうと腕を上げる。しかし、それは叶わなかった。
力なく布団の上に落ちる腕。静がそっとその日焼けした腕を撫でた。
泣いている子供を憐れんだ。ただそれだけのことから始まった関係。
静は清水のことを愛おしく思っていた。
それが清水と同じ気持ちかは、もう知る術はないけれど。

確かに愛しく想っていた。だからこそ、清水が幸せな家族を作れたことが嬉しかった。


冷たくなっていく清水の躰。
止まらない涙は誰が拭う?


「清水よ。わらわは寂しいぞ」


数百年生きてきた妖狐は、生まれて初めて「寂しい」と口にした。
これからも抱いていくのか?この、言い知れぬ感情を。
たった六十年しか共に居なかった、ただの人間に植え付けられた、この、消し難い想いを。

「呪いじゃのう」

静は零れ落ちる涙と共に呟いた。そっと清水の冷たい頬を撫でる。

「お主を忘れられぬ、これは呪いじゃ」

これから静はまた何百年と生きていく。
それでもこの想いは決して忘れられないだろう。

「仕方がない。仕方がないのう」

仕方がないから、気紛れが続く限りずっと待っていてやろう。
いつかまた、お主と出会う、その日まで。
瞬きの間に見た想いを抱えながら。
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