人魚に恋されたニンゲン

それからしばらく経った。
時間にして三年くらいだろうか。
少年だったシルバーは、未だに少年の姿のまま。そのソプラノの声も健在である。
変わったこと。それは冒頭でもあった通り、シルバーがLに対して女王様のような態度を取るようになったことと、Lが謎の胸の痛みに襲われることになったことだろうか。
Lは胸を抑え、首を傾げる。その様をシルバーは愉快そうに見ていた。

「シルバー。君はこの胸の痛みを知っているのかい?」

シルバーの剥き出しの胸に顔を埋めながらLは問う。

「ああ、知ってるよ」

シルバーはにんまりと桃色の唇を釣り上げて、Lのくすんだ金色の髪を撫でた。
その胸の火傷すらも、シルバーは愛おしいといった顔をする。
爛れた姿を見ても、Lは「美しい」と恍惚の表情を浮かべるから、この体質で良かったとさえ感じている。
Lはそのことを知らない。きっと知らずに居るままなのだろう。

「早く、その時が来ればいいなァ」

「ん?なんのことだい?」

「こっちの話だよ。変態科学者」

「変態なのも科学者なのも本当だから、否定のしようがないね。でも、変態なのはシルバー限定だから」

「オレ以外にこんなことする相手が居たら、オレはお前の前から姿を消すぜ?」

「……っ、ダメだよ」

「L?」

「ダメだ。僕の前からシルバーが消えるなんて、そんなことはダメ。あっちゃいけないことなんだ」

「ふ、ふふふ。なァ?哀れにもオレに狂ったニンゲン。L?お前はオレが居なくなることが恐怖なんだな?」

「当たり前だよ!」

「……なのに最後の答えには辿りつけず、か」

天才ってのは、お飾りなのかねェ?
シルバーは笑ったまま、いや。その蒼い瞳の奥は薄暗い海底のような色を滲ませながら、Lを見下ろす。
ちゅ、とシルバーはLのつむじに口付けた。
これはLの胸の痛みが始まった頃からのシルバーの気紛れである。
Lはその度に幸せな感覚に陥り、もっとシルバーに触れられたいと、触れたいと願って、その身体をまさぐる。
性行はしたことがない。真似事は何度かしたが。
身体的繋がりがなくとも、Lは幸せだった。

「なァ?L」

「なんだい。シルバー」

「人魚に惚れられちまったニンゲンの末路を、お前は知ってるか?」

「何!それ!」

シルバーの胸の中で微睡んでいた頭が一気に冴えた。


『人魚に惚れられた人間の末路』


そんなもの、文献でも見たことがない。

「教えてシルバー」

性行の真似事をした時の、シルバーが啼く時のような甘い声をLは出す。

「知りたいか?」

「知りたい」

シルバーは首をこてんと右に傾げる。長めの銀髪がさらりと揺れた。
Lは爛々とした目でシルバーを見上げる。

「もうじき、お前自身が実感するよ。L」

「……それじゃあわかんないよ」

「はは。まあ、慌てなさんな」


お前はもう、どうにもならねぇとこまで来ちまってんだからな。


「意味がわからないよ、シルバー」

「だぁかぁらぁ。意味なんてその内わかるってぇの」

「今が良い!」

「お前も頑固だなァ」

ガシガシと頭を掻けば、シルバー。と低い声。

「言ったよね?シルバーを傷付けていいのは僕だけだって」

「頭掻いたくらいでうるせぇな」

「ダメだよシルバー。その綺麗な銀色に触れて良いのも、僕だけなんだから」

「……はあ。お前はそれでも気付かねぇのな」

「え?」

「直にわかるさ、L」

シルバーはただその蒼い瞳の眦を下げ、桃色の唇を上げるのみで、Lの欲しい『答え』はくれなかった。
ドクン、と心臓が高鳴る。
シルバーを見ていると、触れていると、触れられると、いつもこうだ。
最近シルバーと居なくてもこうなのだから、困った。

もし変な病気だったら?
シルバーはどうなるのだろう。
他の研究者の手で研究される?

考えただけで腹の奥底がムカムカとしてきた。
心臓もじくじくとしてきて、なんだろう。本当に病気かな?
明日、医者にでもかかろうか。
ああ、でもその間シルバーと離れるのはとても惜しい。


世界でただひとりの人魚の少年。


僕が見つけた、僕を救った、僕を撫でる、ただひとりの存在。
ああ、なんて……なんて?この感情は、一体なんと表現するのだろう?
観察対象に対する庇護愛だろうか?
まさか実験対象にそんな『愛』だなんて言葉がつく感情を持つなんて。
僕もまだまだ一人前になれきれていないようだ、とシルバーの檻から出て、研究所を歩く。所長に呼ばれたのだ。
その間もじくじくと胸が痛んで、止まなくて。
シルバーはこの胸の痛みが「直にわかる」だなんて言っていたけれども、本当だろうか?

彼は実は結構な嘘つきなので、わからない。
深海にはお宝が眠ってるとか、魚達はみんな自我を持って話すんだとか、神様に出逢ったことがあるとか。
前半二つは、まあ、わからないでもないけれど。神様なんてこの世には居ない。
人魚が居て何を言うんだと思うかもしれないけれど。
Lが死にかけたあの時、Lを救ったのは神ではなく人魚のシルバーだったから。

「ということは。僕にとってのカミサマは、シルバーってことになるのかな?」

なんだか変な感じだけれど、悪い気はしないなぁ。
Lはにこにこと、スキップでもするんじゃないかという勢いで所長室に入った。



「どうした?浮かねぇ顔して」

「うん……うん」

「本当にどうしたんだ?」

シルバーはLを心配そうな顔で見る。
Lはそんなシルバーをギュッと抱きしめた。

「っ……!」

痛いのだろうに抵抗しないシルバー。
Lは静かな声で、本当に静かな声で、言った。

「所長がね?シルバーを今度の博覧会に出せって言うんだ」

「はくらんかい?」

「簡単に言うと、見世物だね」

「……別に、オレは構わねぇけど」

「僕は嫌なんだよ!」

Lは抑えていた感情を振り絞るように叫んだ。

「君を、シルバーを僕以外が見る?もしかしたら触るかもしれない?王族に気に入られるかも知れない?そんなの……耐えられない」

「なら、どうするんだ?」

シルバーは静かに問うた。その双眸は何かを見極めようとしているようだった。

「僕は……僕は……」

Lはゆっくりと瞬きをする。
その言葉は、数瞬の後に放たれた。

「僕は、シルバーと一緒に、海に行きたい」

「行って?どうするんだ?」

「シルバーと一緒に、」


――死にたい。


シルバーは口角をクッと上げると、ははっと笑った。

「欲しい言葉じゃねぇが。まあ、良いか」

なァ?とシルバーはLに問い掛ける。

「人魚に恋された人間の末路、まだ知りたいか?」

「……え」

「それはな」

シルバーはLの答えを待たずに、Lのうなじから鎖骨、そうして心臓の上に唇を持ってくると、その上で囁く。
Lはバクバクという今までで一番激しい心臓の音を何処か遠くで聞いていた。
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