人魚に恋されたニンゲン
薔薇香る鉄の檻の中、足枷もなく閉じ込められた美しい少年。
銀糸の肩まで掛かる程の少し長めの髪に、海というよりは空を映したような蒼い瞳。
その少年は退屈そうに欠伸をひとつした。
「まだかよ」
「ごめんね? もうちょっと待って」
「そう言いながらもう数刻は経ってんぞ」
「うん。でも、もうちょっとなんだ」
少年は小さくふぅん、と呟いた。
「オニイサンはオレよりも研究の方が大事なんだな」
「……! シルバー! 何てこと言うのさ!」
「いや、オレ『シルバー』なんて名前じゃないっていつも言ってるけどな?」
「僕にとっての女神。僕の研究の証明。そんな君を大切に思わないわけがないじゃないか!」
「じゃあ、今すぐその研究ほっぽり出してオレを構えよ。なあ? ダーリン?」
シルバーと呼ばれた少年は、ぴちりとその照明器具の下でも七色に輝く尾びれを跳ねさせて、にこりと妖艶に微笑んだ。
その笑みは到底少年とは思えないほどに艶っぽく、夜を思わせる色気を放っている。
研究者――ここではLと呼ばれている――は、ごくりと生唾を飲み込むと、シルバーに近付いた。
その武骨な手をシルバーの日焼けを知らない白く滑らかな肌に這わせる。
――瞬間、シルバーは苦痛に眉を顰めた。
這わされたその手の流れと同じ痕が、火傷のようにシルバーの肌についたのである。
けれどLは気にしない。
シルバーも眉を顰めた以外は別段気にした様子はない。
痛みにこそ眉を顰めるが、Lが自分を構っている。その事実が何よりも嬉しいのだと言うようにその桃色の唇は上がっている。
この二人の関係性を端的に表すのならば、『研究者と研究対象』である。
故に少年。ここでの研究対象名である『シルバー』は檻に閉じ込められているのだ。
その七色の尾びれは何よりもの研究材料。
その血肉は世界中の人間が求めて止まないだろう神より与えられし至高のモノ。
シルバーは俗に言う、人間が勝手に名付けた名で言う『人魚』だ。
人魚自体が大変珍しい。と、いうよりも。何千年も前に滅びた。いや、おとぎ話の中の存在とさえ言われていた存在。
なら何故存在するのか。
そのことを語るにはLの話に入らなければならない。
彼はこの国一番の研究施設で『人魚』の研究をしていた。
馬鹿げた話だと同僚からは言われていたが、彼は諦めなかった。
何が何でも『人魚が存在した証明』をしてやろうと躍起になっていた。
それは彼が人生で一度だけ見たことがあったからである。
何をだって? もちろん。人魚をさ。
それはそれは美しかったことを覚えている。
Lは幼い頃に海で溺れてしまったのだ。
もがく手足。肺に入る海の水。幼いながらに生への諦めと、ここで死んだらどうなるのだろうと言う若干の好奇心の狭間で海の底に落ちていく。
そこで出逢ったのだ。Lの人生を大きく変えてしまう存在に。
「オレの海で死なれたら困るねェ」
そんな声が聞こえたと思ったら、ぐんぐんと暗い海の底から光り輝く水面へと引っ張られていく。
Lは目を開けた。そこに居たのは七色に輝く尾びれを持った、銀髪の少年。瞳の色は空を切り取ったように蒼く、子供心に、ただ「美しい」と思った。
水中に押し上げてくれる身体に感じる海より与えられる死の近くにある冷たさよりも冷たいと思うその手に怯えを抱いた。
(ああ、きれいだ)
けれどやはり目を奪われて。
心臓は急激な水気圧により破裂しそうだが、そんなことはどうでも良くて。
ただ。彼を手に入れられたら。そうしたなら僕は幸せだと、そう直感した。
「オレが運べるのはここまでだぜ」
銀糸の彼はそう言うと、陸に近い場所までLを押し上げた。
ようやく肺呼吸が出来ることに安堵したのか、ぜぇぜぇと荒い息を吐いては吸い、吐いては吸い。
落ち着いた頃には、Lの目の前からは七色の尾を持つ彼は居なくなっていた。
「……ああ、」
ああ。嗚呼。
――アレに、もう一度会いたい。
そんな想いから、Lは研究者となった。
勉強は元から好きで、変わり者とさえ言われて陰口を言われていたLだが一度も気にしたことはなかった。
実は海に落とされたのも、そのいじめっ子達による、性質の悪い『遊び』の延長戦だったのだ。
姿が見えなくなっていくLに恐怖を抱いて大人達を呼びに行った彼らが目にしたのは、海水に濡れながら、それでも生きていたLの姿。その目は暗く、淀んでいた。
その瞳の色は海の底よりも暗く、彼らはそれから『遊び』をすることはおろか、Lに近付くことすらしなくなった。
Lにとっても好都合である。もう勉強の邪魔をされないのだから。
Lはすくすくと知識を吸収しながら育ち、僅か六年。十六才で難関とされていた研究機関に招かれた。
そこでもLは変わり者だったが、研究者全員が変わり者みたいな場所であったので、浮くこともなく、ただ黙々と自身の与えられた研究をし続けた。
海に落とされ、美しい存在がおとぎ話とされていた『人魚』とわかってから、海には毎日通った。
わざと死にかけてみたりもした。
けれど彼は現れない。
それでもLは研究を続けた。
その間に、おとぎ話の存在とされていた『人魚の骨』なんかも見つけ表彰されたが、Lが求めているのはそんなちゃちなモノではない。
本物の人魚。
それがLの求める存在。
「今日も収穫無しかな……」
海に行って双眼鏡で海原を見る。
研究者になってから八年の歳月が経っていた。
波は嵐の前の静けさ、というように静まり返っていた。
当然だ。言葉通り近く、嵐が来るのだから。
「はあ、仕方がない。今日はもう帰ろう」
狙い目は嵐の日だしね。とLは呟く。
『嵐の日には人魚が打ち上げられる』
そんなおとぎ話と過去の先人達が残してくれたデータと共に、嵐の日は海を見続け、去った後は毎回浜辺を歩き回った。
銀糸の肩まで掛かる程の少し長めの髪に、海というよりは空を映したような蒼い瞳。
その少年は退屈そうに欠伸をひとつした。
「まだかよ」
「ごめんね? もうちょっと待って」
「そう言いながらもう数刻は経ってんぞ」
「うん。でも、もうちょっとなんだ」
少年は小さくふぅん、と呟いた。
「オニイサンはオレよりも研究の方が大事なんだな」
「……! シルバー! 何てこと言うのさ!」
「いや、オレ『シルバー』なんて名前じゃないっていつも言ってるけどな?」
「僕にとっての女神。僕の研究の証明。そんな君を大切に思わないわけがないじゃないか!」
「じゃあ、今すぐその研究ほっぽり出してオレを構えよ。なあ? ダーリン?」
シルバーと呼ばれた少年は、ぴちりとその照明器具の下でも七色に輝く尾びれを跳ねさせて、にこりと妖艶に微笑んだ。
その笑みは到底少年とは思えないほどに艶っぽく、夜を思わせる色気を放っている。
研究者――ここではLと呼ばれている――は、ごくりと生唾を飲み込むと、シルバーに近付いた。
その武骨な手をシルバーの日焼けを知らない白く滑らかな肌に這わせる。
――瞬間、シルバーは苦痛に眉を顰めた。
這わされたその手の流れと同じ痕が、火傷のようにシルバーの肌についたのである。
けれどLは気にしない。
シルバーも眉を顰めた以外は別段気にした様子はない。
痛みにこそ眉を顰めるが、Lが自分を構っている。その事実が何よりも嬉しいのだと言うようにその桃色の唇は上がっている。
この二人の関係性を端的に表すのならば、『研究者と研究対象』である。
故に少年。ここでの研究対象名である『シルバー』は檻に閉じ込められているのだ。
その七色の尾びれは何よりもの研究材料。
その血肉は世界中の人間が求めて止まないだろう神より与えられし至高のモノ。
シルバーは俗に言う、人間が勝手に名付けた名で言う『人魚』だ。
人魚自体が大変珍しい。と、いうよりも。何千年も前に滅びた。いや、おとぎ話の中の存在とさえ言われていた存在。
なら何故存在するのか。
そのことを語るにはLの話に入らなければならない。
彼はこの国一番の研究施設で『人魚』の研究をしていた。
馬鹿げた話だと同僚からは言われていたが、彼は諦めなかった。
何が何でも『人魚が存在した証明』をしてやろうと躍起になっていた。
それは彼が人生で一度だけ見たことがあったからである。
何をだって? もちろん。人魚をさ。
それはそれは美しかったことを覚えている。
Lは幼い頃に海で溺れてしまったのだ。
もがく手足。肺に入る海の水。幼いながらに生への諦めと、ここで死んだらどうなるのだろうと言う若干の好奇心の狭間で海の底に落ちていく。
そこで出逢ったのだ。Lの人生を大きく変えてしまう存在に。
「オレの海で死なれたら困るねェ」
そんな声が聞こえたと思ったら、ぐんぐんと暗い海の底から光り輝く水面へと引っ張られていく。
Lは目を開けた。そこに居たのは七色に輝く尾びれを持った、銀髪の少年。瞳の色は空を切り取ったように蒼く、子供心に、ただ「美しい」と思った。
水中に押し上げてくれる身体に感じる海より与えられる死の近くにある冷たさよりも冷たいと思うその手に怯えを抱いた。
(ああ、きれいだ)
けれどやはり目を奪われて。
心臓は急激な水気圧により破裂しそうだが、そんなことはどうでも良くて。
ただ。彼を手に入れられたら。そうしたなら僕は幸せだと、そう直感した。
「オレが運べるのはここまでだぜ」
銀糸の彼はそう言うと、陸に近い場所までLを押し上げた。
ようやく肺呼吸が出来ることに安堵したのか、ぜぇぜぇと荒い息を吐いては吸い、吐いては吸い。
落ち着いた頃には、Lの目の前からは七色の尾を持つ彼は居なくなっていた。
「……ああ、」
ああ。嗚呼。
――アレに、もう一度会いたい。
そんな想いから、Lは研究者となった。
勉強は元から好きで、変わり者とさえ言われて陰口を言われていたLだが一度も気にしたことはなかった。
実は海に落とされたのも、そのいじめっ子達による、性質の悪い『遊び』の延長戦だったのだ。
姿が見えなくなっていくLに恐怖を抱いて大人達を呼びに行った彼らが目にしたのは、海水に濡れながら、それでも生きていたLの姿。その目は暗く、淀んでいた。
その瞳の色は海の底よりも暗く、彼らはそれから『遊び』をすることはおろか、Lに近付くことすらしなくなった。
Lにとっても好都合である。もう勉強の邪魔をされないのだから。
Lはすくすくと知識を吸収しながら育ち、僅か六年。十六才で難関とされていた研究機関に招かれた。
そこでもLは変わり者だったが、研究者全員が変わり者みたいな場所であったので、浮くこともなく、ただ黙々と自身の与えられた研究をし続けた。
海に落とされ、美しい存在がおとぎ話とされていた『人魚』とわかってから、海には毎日通った。
わざと死にかけてみたりもした。
けれど彼は現れない。
それでもLは研究を続けた。
その間に、おとぎ話の存在とされていた『人魚の骨』なんかも見つけ表彰されたが、Lが求めているのはそんなちゃちなモノではない。
本物の人魚。
それがLの求める存在。
「今日も収穫無しかな……」
海に行って双眼鏡で海原を見る。
研究者になってから八年の歳月が経っていた。
波は嵐の前の静けさ、というように静まり返っていた。
当然だ。言葉通り近く、嵐が来るのだから。
「はあ、仕方がない。今日はもう帰ろう」
狙い目は嵐の日だしね。とLは呟く。
『嵐の日には人魚が打ち上げられる』
そんなおとぎ話と過去の先人達が残してくれたデータと共に、嵐の日は海を見続け、去った後は毎回浜辺を歩き回った。