継彩―つぐいろ―
「かみさま」
「え?」
彩葉ちゃんがぼそりと呟いた。
「神様は『猫』を愛されていたけれども、『猫』は神様を愛してはいなかったんです」
「何を?」
「全部ぜんぶ、自分の一族を守る為にその身を捧げ。好きでもない男に抱かれ、その胎に種を植えつけられて。誰も彼もが『猫』を憎んで、味方なんて居なかった。――ただひとりを除いては」
彩葉ちゃんは何かを思い出すように瞼を閉じる。
そんなのは昔話にはない。
だからこれはきっと――猫の先祖返りだけが知っている秘密なのだろう。
「継樹殿」
「なぁに?」
彩葉ちゃんがふ、と微笑む。
「あなただけです」
「え?」
「あなただけが、私の言葉を信じてくれた。あなただけが本当に私を愛してくれた。あなただけが神様にも拒絶されてひとりぼっちになってしまった私を守ってくれた」
ぽろぽろと涙を流す彩葉ちゃんは嬉しそうに尚も続ける。
「継樹殿。……私はあなたをお慕いしております」
「……それは、俺が『犬』だから?」
「……最初は、そうでした」
考え着いていた言葉だけれども、さすがにちょっと、かなり、その発言には胸が痛んだ。
けれども先の言葉を聞かないことにはどんな対処も出来ないから。
俺はそこにどんな答えが待っていたとしても、受け入れて、その上でまた求婚をしようと思っている。
「私がはじめて継樹殿を拝見したのは、実は継樹殿が知るよりもずっと前。私が七つの時でした」
兄様の元に遊びに来た継樹殿をこの視界に入れた時、記憶が濁流のように流れ込んで来ました。
「それは悲鳴。それは歓喜。それは……諦念」
私はあまりの悲劇に倒れてしまいました。もう二度とあなたを視界に入れたくないと思うくらいには。
「それでも兄様があなたを連れてくる度、あなたをこっそりと拝見していたのです」
――あの日までは。
私は七つの年が終わる時。突如として現れた神様に破瓜を散らされました。
「は?」
思わず声を出してしまった。神様がこの世に現存していることにも驚いたけれども、その内容に驚いた。
彩葉ちゃんは苦痛そうに眉を寄せている。
「神様は私が、自身が愛された『猫の生まれ変わり』が、他の男に好意を持つことを許さない。そう仰っていました」
「自分が愛した女の生まれ変わりが、犬族の俺に好意を持つことを許したくはなかったと?」
そういうこと?そう訊けばこくんと頷かれた。
わなわなと湧く怒り。それ以上につらかった。彩葉ちゃんが俺に出逢わなければつらい目に合わないで済んだのかと思ったら、つらかった。
けれど俺はこの話を聞いていても。こうなる未来を知っていても。愛した子が酷い目に合ったとしても。
「俺は酷い男だから。それでも彩葉ちゃんを好きになると思う」
「継樹殿……」
眉を顰め、悲痛な面持ちをする彩葉ちゃん。
俺はただ彼女を抱き締めてあげたくて仕方がなくなった。
「彩葉ちゃん。ここから出て来て?抱き締めさせて。ぬくもりを感じさせて?」
「わたし、は……」
「穢れたなんて思わないで。俺に死ぬまで愛されて、そうして彩葉ちゃんのつらい記憶を一緒に共有させてよ」
「どうして……」
「うん?」
「どうして、あなたはそんなにも私を愛してくださるのですか」
「どうして?」
どうして、かなんて。そんなの俺にも分からない。
もしも俺が彩葉ちゃんのことを信じた犬の生まれ変わりだったとしたならそれはそれで合点が行くけれども。
そんなことで左右されるような淡い気持ちでは、もうないから。
「俺が彩葉ちゃんを愛するのに、彩葉ちゃんが俺に愛されるのに、理由なんて要る?」
必要なら今からここで話すけれども。余裕で三日はかかると思うよ。
にっかりと笑ってそう言えば、彩葉ちゃんは白い頬を朱に染めた。
「彩葉ちゃん」
「……はい」
「神様とか犬とか猫とか、生まれ変わりとか先祖返りとか、一旦やめようか」
「え、と……。それはどういう」
「こういうこと」
俺は彩葉ちゃんの意志で出て来て欲しかったけれども、もう限界だ。
今すぐにでも彩葉ちゃんに触れたい。触れて、それから、貪りたい。
獣のような感情が溢れて止まらなくて。
俺は彩葉ちゃんを囲っている紅い格子を壊した。
「は、……え?」
パラパラと木くずが舞う。きっとこれは神様避け。
神様が入ってこられないように、二度と彩葉ちゃんに触れないように。そんな思いで彩都が作ったのだろう。
ごめんね、と感情のこもっていない謝罪を入れて、俺は戸惑いと怯えを隠せていない彩葉ちゃんを抱き締めた。
「あったかい」
「……そ、れは、生きてますから……?」
「うん。生きてるね。彩葉ちゃん、結構体温低いんだ」
「自分では分りかりませんが……」
「でも、あったかい」
「継樹殿の方が、あたたかいです」
「うん。俺、体温は高めだからね」
「兄様は継樹殿よりも体温が低いので、なんだか新鮮です」
「彩都は彩葉ちゃんに触れてるの? 俺は駄目だったのに?」
「……族長として、私の安否を確かめる為です」
「ただの親愛行動だと思うけどなぁ」
「兄様が抱いてくださっている私への想いを疑ったことはありませんが、負担ではないかといつも考えてしまうのです……」
「うーん。そんなことはないと思うよ」
「何故、継樹殿が分かるんです?」
だって、と俺は彩葉ちゃんに微笑んだ。
「形は違えど、俺も彩都も彩葉ちゃんを愛してるからね」
そこに大きな差異はないよ。
そう言って、彩葉ちゃんの顔を見た。
俺の視線に気づいたのか、恥ずかしそうに俯いてしまう。
ああ、そんなところまで可愛いなぁ。なんて考えながら、俺は彩葉ちゃんを押し倒した。
「継樹殿? 何を……?」
「ん? ちょっとだけこのままで居させて?」
彩葉ちゃんの身体をすっぽりと覆うように抱き締めて、スリスリと顔を擦り付ける。
彩葉ちゃんは擽ったいと身を捩ったけれど、それを許さないとばかりに更に抱き込んだ。
――背後に居る、何者かの気配には気付かせないように。
『ソレ』は恨めしそうな感情を俺に送って来る。
どうして彩葉ちゃんを抱き締めているのが自分ではないのか。
それは可笑しなことではないのか。
あまりに酷い扱いではないのか、と。
自分で仕出かしておいて、何をと思う。
彩葉ちゃんはお前のモノじゃない。お前が愛した『猫』はここには居ない。お前が権力を使って手に入れておきながら、お前が勝手に手放したんじゃないか。
その音にしてはいない思いは相手も伝わったらしい。
悔しそうに、恨めしそうに、俺に抱かれて戸惑いながらも受け入れている彩葉ちゃんを見つめていた。
ソレは私のモノだ。
そんな声が聞こえてきた。
「誰が渡してやるもんか」
「継樹殿?」
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
安心させるように笑えば、彩葉ちゃんは少し不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞いては来なかった。
「ねぇ、彩葉ちゃん」
「はい」
「さっきの言葉、もう一度言ってよ」
「さっき、ですか?」
「俺のことをどう想っているか、俺にもう一度教えて」
「……継樹殿も物好きなお方ですね」
「ふふ。そうかな。彩葉ちゃんが手に入るならそれでもいいけど?」
彩葉ちゃんは少しだけ口を引き結んで、それから俺を真っ直ぐと見て、言った。
「十年前から継樹殿をただひとりの男性として、」
――お慕いしております。
彩葉ちゃんは言った。神の前で。神に愛されたその身体から発した。
俺を慕っていると。それ即ち、俺を愛していると。
彩葉ちゃんは確かにそう言った。
絹を裂くような音が聞こえた。それはきっと神の悲鳴なのだろう。
俺はそんなもの知らないとばかりに彩葉ちゃんを抱き締めると、蒼い瞳と視線を合わせ、その下にある柔らかそうな桃色の唇にそっと口付けた。
「あいしてるよ、永遠に」
「え?」
彩葉ちゃんがぼそりと呟いた。
「神様は『猫』を愛されていたけれども、『猫』は神様を愛してはいなかったんです」
「何を?」
「全部ぜんぶ、自分の一族を守る為にその身を捧げ。好きでもない男に抱かれ、その胎に種を植えつけられて。誰も彼もが『猫』を憎んで、味方なんて居なかった。――ただひとりを除いては」
彩葉ちゃんは何かを思い出すように瞼を閉じる。
そんなのは昔話にはない。
だからこれはきっと――猫の先祖返りだけが知っている秘密なのだろう。
「継樹殿」
「なぁに?」
彩葉ちゃんがふ、と微笑む。
「あなただけです」
「え?」
「あなただけが、私の言葉を信じてくれた。あなただけが本当に私を愛してくれた。あなただけが神様にも拒絶されてひとりぼっちになってしまった私を守ってくれた」
ぽろぽろと涙を流す彩葉ちゃんは嬉しそうに尚も続ける。
「継樹殿。……私はあなたをお慕いしております」
「……それは、俺が『犬』だから?」
「……最初は、そうでした」
考え着いていた言葉だけれども、さすがにちょっと、かなり、その発言には胸が痛んだ。
けれども先の言葉を聞かないことにはどんな対処も出来ないから。
俺はそこにどんな答えが待っていたとしても、受け入れて、その上でまた求婚をしようと思っている。
「私がはじめて継樹殿を拝見したのは、実は継樹殿が知るよりもずっと前。私が七つの時でした」
兄様の元に遊びに来た継樹殿をこの視界に入れた時、記憶が濁流のように流れ込んで来ました。
「それは悲鳴。それは歓喜。それは……諦念」
私はあまりの悲劇に倒れてしまいました。もう二度とあなたを視界に入れたくないと思うくらいには。
「それでも兄様があなたを連れてくる度、あなたをこっそりと拝見していたのです」
――あの日までは。
私は七つの年が終わる時。突如として現れた神様に破瓜を散らされました。
「は?」
思わず声を出してしまった。神様がこの世に現存していることにも驚いたけれども、その内容に驚いた。
彩葉ちゃんは苦痛そうに眉を寄せている。
「神様は私が、自身が愛された『猫の生まれ変わり』が、他の男に好意を持つことを許さない。そう仰っていました」
「自分が愛した女の生まれ変わりが、犬族の俺に好意を持つことを許したくはなかったと?」
そういうこと?そう訊けばこくんと頷かれた。
わなわなと湧く怒り。それ以上につらかった。彩葉ちゃんが俺に出逢わなければつらい目に合わないで済んだのかと思ったら、つらかった。
けれど俺はこの話を聞いていても。こうなる未来を知っていても。愛した子が酷い目に合ったとしても。
「俺は酷い男だから。それでも彩葉ちゃんを好きになると思う」
「継樹殿……」
眉を顰め、悲痛な面持ちをする彩葉ちゃん。
俺はただ彼女を抱き締めてあげたくて仕方がなくなった。
「彩葉ちゃん。ここから出て来て?抱き締めさせて。ぬくもりを感じさせて?」
「わたし、は……」
「穢れたなんて思わないで。俺に死ぬまで愛されて、そうして彩葉ちゃんのつらい記憶を一緒に共有させてよ」
「どうして……」
「うん?」
「どうして、あなたはそんなにも私を愛してくださるのですか」
「どうして?」
どうして、かなんて。そんなの俺にも分からない。
もしも俺が彩葉ちゃんのことを信じた犬の生まれ変わりだったとしたならそれはそれで合点が行くけれども。
そんなことで左右されるような淡い気持ちでは、もうないから。
「俺が彩葉ちゃんを愛するのに、彩葉ちゃんが俺に愛されるのに、理由なんて要る?」
必要なら今からここで話すけれども。余裕で三日はかかると思うよ。
にっかりと笑ってそう言えば、彩葉ちゃんは白い頬を朱に染めた。
「彩葉ちゃん」
「……はい」
「神様とか犬とか猫とか、生まれ変わりとか先祖返りとか、一旦やめようか」
「え、と……。それはどういう」
「こういうこと」
俺は彩葉ちゃんの意志で出て来て欲しかったけれども、もう限界だ。
今すぐにでも彩葉ちゃんに触れたい。触れて、それから、貪りたい。
獣のような感情が溢れて止まらなくて。
俺は彩葉ちゃんを囲っている紅い格子を壊した。
「は、……え?」
パラパラと木くずが舞う。きっとこれは神様避け。
神様が入ってこられないように、二度と彩葉ちゃんに触れないように。そんな思いで彩都が作ったのだろう。
ごめんね、と感情のこもっていない謝罪を入れて、俺は戸惑いと怯えを隠せていない彩葉ちゃんを抱き締めた。
「あったかい」
「……そ、れは、生きてますから……?」
「うん。生きてるね。彩葉ちゃん、結構体温低いんだ」
「自分では分りかりませんが……」
「でも、あったかい」
「継樹殿の方が、あたたかいです」
「うん。俺、体温は高めだからね」
「兄様は継樹殿よりも体温が低いので、なんだか新鮮です」
「彩都は彩葉ちゃんに触れてるの? 俺は駄目だったのに?」
「……族長として、私の安否を確かめる為です」
「ただの親愛行動だと思うけどなぁ」
「兄様が抱いてくださっている私への想いを疑ったことはありませんが、負担ではないかといつも考えてしまうのです……」
「うーん。そんなことはないと思うよ」
「何故、継樹殿が分かるんです?」
だって、と俺は彩葉ちゃんに微笑んだ。
「形は違えど、俺も彩都も彩葉ちゃんを愛してるからね」
そこに大きな差異はないよ。
そう言って、彩葉ちゃんの顔を見た。
俺の視線に気づいたのか、恥ずかしそうに俯いてしまう。
ああ、そんなところまで可愛いなぁ。なんて考えながら、俺は彩葉ちゃんを押し倒した。
「継樹殿? 何を……?」
「ん? ちょっとだけこのままで居させて?」
彩葉ちゃんの身体をすっぽりと覆うように抱き締めて、スリスリと顔を擦り付ける。
彩葉ちゃんは擽ったいと身を捩ったけれど、それを許さないとばかりに更に抱き込んだ。
――背後に居る、何者かの気配には気付かせないように。
『ソレ』は恨めしそうな感情を俺に送って来る。
どうして彩葉ちゃんを抱き締めているのが自分ではないのか。
それは可笑しなことではないのか。
あまりに酷い扱いではないのか、と。
自分で仕出かしておいて、何をと思う。
彩葉ちゃんはお前のモノじゃない。お前が愛した『猫』はここには居ない。お前が権力を使って手に入れておきながら、お前が勝手に手放したんじゃないか。
その音にしてはいない思いは相手も伝わったらしい。
悔しそうに、恨めしそうに、俺に抱かれて戸惑いながらも受け入れている彩葉ちゃんを見つめていた。
ソレは私のモノだ。
そんな声が聞こえてきた。
「誰が渡してやるもんか」
「継樹殿?」
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
安心させるように笑えば、彩葉ちゃんは少し不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞いては来なかった。
「ねぇ、彩葉ちゃん」
「はい」
「さっきの言葉、もう一度言ってよ」
「さっき、ですか?」
「俺のことをどう想っているか、俺にもう一度教えて」
「……継樹殿も物好きなお方ですね」
「ふふ。そうかな。彩葉ちゃんが手に入るならそれでもいいけど?」
彩葉ちゃんは少しだけ口を引き結んで、それから俺を真っ直ぐと見て、言った。
「十年前から継樹殿をただひとりの男性として、」
――お慕いしております。
彩葉ちゃんは言った。神の前で。神に愛されたその身体から発した。
俺を慕っていると。それ即ち、俺を愛していると。
彩葉ちゃんは確かにそう言った。
絹を裂くような音が聞こえた。それはきっと神の悲鳴なのだろう。
俺はそんなもの知らないとばかりに彩葉ちゃんを抱き締めると、蒼い瞳と視線を合わせ、その下にある柔らかそうな桃色の唇にそっと口付けた。
「あいしてるよ、永遠に」