いとしいとしとなくこころ

「だってずっと、貴女が好きだったから」


坊の言葉の一つ一つの意味を理解するのに、少しばかり時間を要した。


まずこの家に遥か昔に捕らわれて以降、良いように使われている気さえする私の身からしたら、成る程確かに良い迷惑だ。
しかも護るようにと私を捕らえた者の言葉に渋々と従えば、私を化け物やらモノノケやらと騒ぎ怯えて、その癖何か起きれば泣き付いてくる。
そんなどうしようもなくも甘ったれでヒトらしいと云えばそれまでの子等に辟易としていた。


そんな時であった。
坊がこの世に生まれ出たのは。


私を見て泣くばかりであった赤子が、私を視界に入れて泣くどころかむしろ無邪気に笑い掛けてきたのだ。
小さな腕を目一杯伸ばして私を求めてくれた。
触れないと気付いたのか今まで笑っていた赤子は突然雷鳴の如く泣きじゃくり、慌てて近寄って抱いてやればピタリと涙を止めて、また嬉しそうにニコニコと笑みを浮かべる赤子。

たったそれだけのことにどうしようもなく泣き出したくなった。
産着を着たまだ小さな赤子が何故だかとてもいとおしく思えた。
きっと私はこの時の事を、決して忘れる事はないのだろうと、妙な確信さえもしたもので。


坊の云う『好き』と同じ類いの感情なのかは分かり兼ねるけれど。
私も、確かに貴方をいとおしいと思って居るのです。
貴方に特別な感情を抱いてしまっているのです。


ですが、坊?


「坊は何か勘違いをしていませんか?」

「、は?」

「私はそれこそ坊の母君よりもお側に居ました。それが私の役目でしたから。だからこそ坊は勘違いをしてしまったのです」

「っそんなこと!」

「いいえ坊。坊は本来母に感じる愛を私に向け、あまつさえ私を好いているのだと錯覚してしまっただけなのです」


だから坊が抱いているその想いは、勘違いなのですよ?


諭すように、言い聞かせるように。
坊の目を見て話し掛ける。
全ては錯覚であり、勘違いであるのだと。
母のように側に居たからといって、異形に抱いていいモノではないのだと。


「……そんなこと、ない。僕は確かに貴女を好いて、愛してるんだ!なのに、この気持ちを嘘偽りだと言われたら、僕はどうすればいいの…?」


今にも泣き出してしまいそうな程に顔を歪めてしまった坊。
私を拘束していた力などもう無いに等しくて、私は坊の下から這い出ると坊の頬にソッと両手を宛がい、なるだけ優しく声を発する。


「坊、私は貴方がいとおしい」

「っ!」

「貴方は私の子のような存在ですから」

「……」


そう言うと坊の顔から表情が抜け落ちる。
坊?と呼んでも坊は答えない。
肩を落とし項垂れる坊にどうしてやれば良いのかと思わない訳ではないけれど。


(これで諦めてくれれば上々でしょうか)


ヒトである坊がヒトならざる者である私に惚れた腫れたの感情など持って良い訳がないから。


「……な、……よ、」

「はい?」

「なら、しょうがないよね」

「坊…?」


分かってくれたのかと思った。けれど何かが違うと思った。
坊の瞳からは光が失われ、ゆらりと揺れている。
本能的に後ずされば、腕を掴まれまた畳に縫い付けられた。


「蛇さまが僕のことを見てくれなくても、蛇さまへの気持ちが偽りだと言われようと、僕はもう。蛇さまへの気持ちを抑えきれない」

「ぼ、坊?何をする気ですか?」

「蛇さま?」


―――僕は貴女を愛しています


「だから大人しく、僕のものになって下さい」

「な、……っ!?」


体中に電流が走るような衝撃を受けた。
なんだと失いそうな意識の中、坊の視線の先を追うと掴まれた腕に札が貼られていた。
その札の文字に、見覚えがあった。


「懐かしい?蛇さまを捕らえたご先祖様が残しておいてくれた、蛇さまを動けなくするお札だよ」

「ど、して」

「蛇さまが悪いんだよ」


僕の気持ちを分かってくれないから。
偽りだなんて言うから。


「力づくで分かって貰うしか、方法がないじゃない」


困ったように、今にも泣き出してしまいそうな顔で、それでも唇だけは吊り上げてそんな事を言う坊に何かを言おうと口を開いた。
けれど再度身体に走った電流にも似た衝撃に何も言えぬまま、私の意識は黒く染まった。
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