いとしいとしとなくこころ

蛇さま。蛇さま。
そう云っては後ろを付いて歩いた坊はいつからか、私を避けるようになっていた。
私の姿が見えなければ泣いて騒いだあの坊が。
これも月日の流れなのかと思うと、何とも遣る瀬無い。
ヒトはこうして自立していくのかと思うと、なんとも哀しい。
けれども受け入れなくてはいけないとも思った。
ヒト為らざる私とヒトの坊とでは、何れ敵いようもない時の流れに別たれる事になるだろうと分かっていたから。
坊の中に私と云う存在を少しでも薄めて、最期の時に坊が少しでも悲しまないようにしてあげたい。


(いえ、私がですかね)


自分が少しでも傷付きたくないから、だから距離を置こうとしている坊に内心ホッとしている。
死んでそこで終わり、と云う訳では無いことを私は知っているけれど、坊が死んでからも私の側に居てくれるかは分からないから。
たった十数年の関わりで終わってくれることに安心しているのだ。
別れはどうしたって辛いから。



だからこれは、少々予想外。



「蛇サマ?震えてるよ。どうしたの?寒い?それとも、」


――僕が怖い?


「坊?戯れは止しなさい。このような事をしても、坊には何も良いことはありませんよ…?」


床に縫い付けられる様に手首を掴まれ、押し倒された状態で私の身体の上に馬乗りになっている坊にそう言えば、坊は苦々しそうに眉根を寄せる。


「……っ、その『坊』っての止めてくれない?僕にはちゃんと貴女が付けてくれた名前があるんだよ?どうして呼んでくれないの?」

「どうしてと云われましても、私にとって坊は坊でしかありませんから…。それよりも退いて下さいな」

「嫌だと言ったら?」

「言わせなくさせます」

「……優しい優しい蛇サマはそんなことしないよ」

「私を優しいだなんて云うのは、坊くらいですよ」

「貴女は優しいよ」


ヒトなんかより、ずっと優しい。


ヒトに畏怖の感情を抱かれている私に優しいだなんて言葉を掛けるのは坊くらいです。
そう言ったなら、坊は首を振ってそう口にした。
そう言ってくれる坊こそを、優しいと云うのですよと、こんな状況でなければ言ってやりたかったのだけれど。
坊は私の手首を床に縫い付けたまま、何かをするでもなく、ただ静かに私を見下ろすだけ。
けれどその縫い付ける力が強く、力を使えば振り払えない事もないけれど、逆に言ってしまえば力を使わなければ振り払えないということで。
幼い幼いと思っていた坊がいつの間にか体つきもしっかりとした男になってきているだなんて気付かなかった。
この数年は何故だか余所余所しかったせいだろうか。
坊のあのまろい顔は他の子よりか格別に愛らしかったのに、今では要らぬ肉の無い端正な面立ちをしていて、少しばかり残念に感じてしまう。


「蛇さま」

「なんですか、坊?」

「……何故僕を見て下さらないのですか」

「はい?」

「僕はこんなにも蛇さまを思っているのに、どうして貴女は僕を見ない」

「何を言って、ちゃんと見ていますよ?まだ耄碌した覚えもありませんし」


一体どうしたのだろうかと坊を伺い見ると、坊はそうじゃないと首を振る。


「僕はね、蛇さま。貴女が僕を護ってくれる神様だと教えられた時、とても嬉しかったんです。この家に生まれて良かったと心の底から喜んでしまった。囚われている貴女にとっては迷惑でしかない事だろうけど、嬉しかったんだ」
1/3ページ