それが間違った方法だとして
いつまで経っても自分の言葉を発さないリアは、それでも私の傍に居てくれる。
王者として育てられ、他者との関わり方なんて知らずに生きてきた私に媚びを得る者以外でこんなにも長い間傍に居た者は居なかった。
たとえそれが義務だったとしても。
私が王子だからではなく。
私だからと一番に見てくれる者が居ただろうか。
リアがずっと側に居てくれればいい。
その何も写さない瞳に写りたい。
そう願うようになったのはいつからだったか。
もしかしたら最初からだったのかも知れない。
けれど、リアが側に居て私を優先するのは、私が“次期国王”であり、リアが“正室候補”であったからこそなのだと。
芽吹き始めた淡い感情に戸惑っていた私は気付いて居なかった。
これは、その報いか?
「父上!どういうことですか!?何故、何故兄上が…っ!」
つんざくような第二王子の声。私を兄と慕ってくれる一番の弟。
けれど今は、その弟の声が何よりも煩わしい。
対面する父上――国王は厳しい顔をしながら、先程聞いた言葉をもう一度言った。
「何度も言わせるな。ワシの後を継ぎ、次代の王となるのは第二王子とする。以後、この決定は変更せん。第一王子は半月後に宰相として隣国へ行って貰う。以上だ」
目の前が暗く染まる。
地面から闇が這って呑まれていく。
今立っている足場すら確かなものなのか、そんな不安感が襲う。
王子として国を継ぐために心血を注ぎ、全てを捨ててきたのに。
これはあまりにもあんまりな事ではないか。
出来すぎな程、惨めだ。
私は一体、今まで何の為に生きてきたのだ。
周囲のざわめきも、動揺も、哀れみの視線も。
今は煩わしいだけだ。
何の情報としても処理されずに、ただ国王からの言葉が思考を黒く染める。
「今まで国の為、心血を注いできた兄上が何故宰相として国を出ねばならないのですか!?私には納得出来ません!」
「話は終わりだ。異議は認めん」
即位宣言をされた第二王子の抗議の声が嫌に耳に付く。
抗議をすればするほど、私が惨めになると何故分からないのか。
――ああ全てが煩わしい。
捨てられたのだ。
もう私は用無しなのだ。
思考はソレばかりに支配されて。
けれど培ったプライド故に表には出さない。
ここで私が何かを云えば、惨めったらしく王位に縋る様を臣下に見せる羽目になる。
そんな事は出来ない。
だから膝を付き、王の前で頭を垂れた。
「陛下のご命令、確かに承りました」
第二王子はまだ何か言いたげにしているが、そんな事は知ったことではない。
国王はただ一言「すまなかった」と何に対してか分からない謝罪を向けたけれど。
最早何も私の心には響かない。
必要なきものとして処理されていく。
結局。培われた王としての勉学は何一つ不要となってしまったな。
(ああ、そう言えば)
リアはどうなるのだろうか?
無表情に淡々とした物言いをする彼女の顔が浮かぶ。
彼女は『正室候補』として私の元に来た。
けれど正確には次期国王の正室候補。
つまりは私が国王になる道が途絶えた今、彼女は必然的に弟の正室候補として役目を果たすようになる。
弟に尽くして、弟だからと好意を向ける?
弟に触れられて、何れは子を為すのか?
――ああ、そんな姿は見たくない。リアにはずっと私の側に居て欲しい。
けれど彼女を私の側に置くだなんて、そんな自分勝手な我が儘は通らないだろう。
彼女には彼女の家の都合がある。
それらを無視して宰相となった私の元に嫁げば、最悪彼女は家に縁を切られてしまうだろう。
どうすれば良いのだろうか。
どうすれば私の元に置けるのだろうか。
そんな事には頭が回らないくせに。
どうやらリアが『王子を鞍替えした女』と言われないようにする為には頭が働くようだ。
「父上、ひとつ私からお願いが――」
これで、リアが傷付かないで済むといい。
何があっても、傷付くのは私ひとりで十分だ。
「ルーク様。私、いつの間にか第二王子の正室にされていたのですけれども、どういった事かご説明頂けますでしょうか?」
部屋に入ってきたリアは普段とは違い少し焦ったような顔をしているのが視界に入った。
それに内心では嬉しく感じながらも、淡々と冷たく見えるように言葉を選ぶ。
「話を聞いたのなら分かるだろう。私は宰相として隣国で暮らすことになった。もう国王を継ぐことはない」
元から『次期国王』の『正室候補』として来ていたんだ。
弟が国王となるのならリアが正室になるのは当たり前の事だろう?
だから、
「お前が私の側に居る理由はもう無い。お前が弟の正室になったのは、単に王になれなかった私のエゴだ。私の力不足で振り回すような事になってしまったが、今度は候補でなく正室に迎えられるようにと進言しておいた」
「……それはつまり。ルーク様にとって、私がもう不要だと云うことでしょうか」
リアの言葉に心臓を掴まれた様な痛みが走る。
宰相よりも、一国の国王に嫁いだ方が良いに決まっている。
家の名も上がるし、何れは国王になる者の母になれるのだから。
それに今度は候補ではなく正室。決定事項としてあるのだ。
そんな立場に居ると知って、リアの家の者がリアに圧力を掛けない訳もない。
今だって決定があってから数日経っている。
何かしらがあったことは想像するに容易い。
だからこそ私はここで不要と言わなければいけないというのに。
リアが私なんて見限ってしまうような言葉を言わなければいけないというのに。
私の口は意思に反して違う言葉を口から滑らせる。
「お前を不要などと、誰が思うか」
思ったよりも圧し殺した声が零れた。
これでは離れたくないと、離したくないと、言っているのと同じじゃないか。
けれど一度口を突いて出た言葉はもう戻ることはない。
いくら自制心で止めようとしても、それを上回るように溢れてくる。
「不要なわけがあるか。私はお前にずっと側にいて欲しいと思うよ。だが私の傍に居て、お前やお前の家の得になるような事は今の私には出来ない」
宰相になってしまった私では、彼女に不便はさせない迄も王の正室程の事はしてやれない。
それが目的であった筈の彼女の家はソレを許さないだろう。
最悪、縁を切られるだけでは済まないだろう。
だけど言えなかった。
彼女に嘘でも『不要』だなんて。
口が裂けても言えるわけがなかった。
「……ルーク様がそうおっしゃられるなら、私に拒否権はありません」
そう言って睫毛を伏せて黙り込んでしまった彼女に私も何も言えない。
沈黙が流れる室内。
気まずい筈のソレが、彼女と居られれば酷く居心地が良くて。
けれどその静寂を壊したのは、他ならぬ彼女。
「私はルーク様が願うのであれば、誰の元にだって嫁いで、子を為します」
リアは、けれど、と続ける。
「けれどそれは、ルーク様が本心から仰られているのであればの話です」
「……っ」
リアが言いたい言葉が分かってしまった。
言って欲しい言葉を理解してしまった。
不覚にも涙が溢れてきそうになって、掌を握り込む。
その言葉はあまりにも甘美で。
これが夢なのではないかと錯覚を起こすほどに、願って止まない事で。
(……良いのだろうか)
私がそれを願っても。
私がお前の側に居ても。
本当に、良いのだろうか?
リアを見やれば今にも泣いてしまいそうな顔をしていて。
普段の無表情さは何処にもない、ただの年相応な娘の顔で。
それでも懸命に笑おうとしている姿を見て。
膝を折り、手を差し出して縋るようにリアを見上げて言った。
「私の妻に、なってくれませんか?」
情けないほど震える声と指先。
何て不様なプロポーズ何だろうかと思いながらも。
リアは、私と同じ様に震える手で。
差し出した手を取ってくれた。
「――ルーク様が、私を望んでくださるなら」
今にも泣き出しそうに顔で震える声で、笑ったリアのその言葉を聞いた瞬間。
私はリアを初めて抱き締めた。
骨が軋む程に力を込めれば、リアは私の背に折れてしまいそうな程に細い腕を回した。
リアの温もりが身体だけでなく心にも広がっていくような感覚を味わう。
父上も弟も、そうそう簡単に許すなんて出来ないけれど。
今はただ、この腕に収まる小さな彼女が居てくれればそれで良かった。
王者として育てられ、他者との関わり方なんて知らずに生きてきた私に媚びを得る者以外でこんなにも長い間傍に居た者は居なかった。
たとえそれが義務だったとしても。
私が王子だからではなく。
私だからと一番に見てくれる者が居ただろうか。
リアがずっと側に居てくれればいい。
その何も写さない瞳に写りたい。
そう願うようになったのはいつからだったか。
もしかしたら最初からだったのかも知れない。
けれど、リアが側に居て私を優先するのは、私が“次期国王”であり、リアが“正室候補”であったからこそなのだと。
芽吹き始めた淡い感情に戸惑っていた私は気付いて居なかった。
これは、その報いか?
「父上!どういうことですか!?何故、何故兄上が…っ!」
つんざくような第二王子の声。私を兄と慕ってくれる一番の弟。
けれど今は、その弟の声が何よりも煩わしい。
対面する父上――国王は厳しい顔をしながら、先程聞いた言葉をもう一度言った。
「何度も言わせるな。ワシの後を継ぎ、次代の王となるのは第二王子とする。以後、この決定は変更せん。第一王子は半月後に宰相として隣国へ行って貰う。以上だ」
目の前が暗く染まる。
地面から闇が這って呑まれていく。
今立っている足場すら確かなものなのか、そんな不安感が襲う。
王子として国を継ぐために心血を注ぎ、全てを捨ててきたのに。
これはあまりにもあんまりな事ではないか。
出来すぎな程、惨めだ。
私は一体、今まで何の為に生きてきたのだ。
周囲のざわめきも、動揺も、哀れみの視線も。
今は煩わしいだけだ。
何の情報としても処理されずに、ただ国王からの言葉が思考を黒く染める。
「今まで国の為、心血を注いできた兄上が何故宰相として国を出ねばならないのですか!?私には納得出来ません!」
「話は終わりだ。異議は認めん」
即位宣言をされた第二王子の抗議の声が嫌に耳に付く。
抗議をすればするほど、私が惨めになると何故分からないのか。
――ああ全てが煩わしい。
捨てられたのだ。
もう私は用無しなのだ。
思考はソレばかりに支配されて。
けれど培ったプライド故に表には出さない。
ここで私が何かを云えば、惨めったらしく王位に縋る様を臣下に見せる羽目になる。
そんな事は出来ない。
だから膝を付き、王の前で頭を垂れた。
「陛下のご命令、確かに承りました」
第二王子はまだ何か言いたげにしているが、そんな事は知ったことではない。
国王はただ一言「すまなかった」と何に対してか分からない謝罪を向けたけれど。
最早何も私の心には響かない。
必要なきものとして処理されていく。
結局。培われた王としての勉学は何一つ不要となってしまったな。
(ああ、そう言えば)
リアはどうなるのだろうか?
無表情に淡々とした物言いをする彼女の顔が浮かぶ。
彼女は『正室候補』として私の元に来た。
けれど正確には次期国王の正室候補。
つまりは私が国王になる道が途絶えた今、彼女は必然的に弟の正室候補として役目を果たすようになる。
弟に尽くして、弟だからと好意を向ける?
弟に触れられて、何れは子を為すのか?
――ああ、そんな姿は見たくない。リアにはずっと私の側に居て欲しい。
けれど彼女を私の側に置くだなんて、そんな自分勝手な我が儘は通らないだろう。
彼女には彼女の家の都合がある。
それらを無視して宰相となった私の元に嫁げば、最悪彼女は家に縁を切られてしまうだろう。
どうすれば良いのだろうか。
どうすれば私の元に置けるのだろうか。
そんな事には頭が回らないくせに。
どうやらリアが『王子を鞍替えした女』と言われないようにする為には頭が働くようだ。
「父上、ひとつ私からお願いが――」
これで、リアが傷付かないで済むといい。
何があっても、傷付くのは私ひとりで十分だ。
「ルーク様。私、いつの間にか第二王子の正室にされていたのですけれども、どういった事かご説明頂けますでしょうか?」
部屋に入ってきたリアは普段とは違い少し焦ったような顔をしているのが視界に入った。
それに内心では嬉しく感じながらも、淡々と冷たく見えるように言葉を選ぶ。
「話を聞いたのなら分かるだろう。私は宰相として隣国で暮らすことになった。もう国王を継ぐことはない」
元から『次期国王』の『正室候補』として来ていたんだ。
弟が国王となるのならリアが正室になるのは当たり前の事だろう?
だから、
「お前が私の側に居る理由はもう無い。お前が弟の正室になったのは、単に王になれなかった私のエゴだ。私の力不足で振り回すような事になってしまったが、今度は候補でなく正室に迎えられるようにと進言しておいた」
「……それはつまり。ルーク様にとって、私がもう不要だと云うことでしょうか」
リアの言葉に心臓を掴まれた様な痛みが走る。
宰相よりも、一国の国王に嫁いだ方が良いに決まっている。
家の名も上がるし、何れは国王になる者の母になれるのだから。
それに今度は候補ではなく正室。決定事項としてあるのだ。
そんな立場に居ると知って、リアの家の者がリアに圧力を掛けない訳もない。
今だって決定があってから数日経っている。
何かしらがあったことは想像するに容易い。
だからこそ私はここで不要と言わなければいけないというのに。
リアが私なんて見限ってしまうような言葉を言わなければいけないというのに。
私の口は意思に反して違う言葉を口から滑らせる。
「お前を不要などと、誰が思うか」
思ったよりも圧し殺した声が零れた。
これでは離れたくないと、離したくないと、言っているのと同じじゃないか。
けれど一度口を突いて出た言葉はもう戻ることはない。
いくら自制心で止めようとしても、それを上回るように溢れてくる。
「不要なわけがあるか。私はお前にずっと側にいて欲しいと思うよ。だが私の傍に居て、お前やお前の家の得になるような事は今の私には出来ない」
宰相になってしまった私では、彼女に不便はさせない迄も王の正室程の事はしてやれない。
それが目的であった筈の彼女の家はソレを許さないだろう。
最悪、縁を切られるだけでは済まないだろう。
だけど言えなかった。
彼女に嘘でも『不要』だなんて。
口が裂けても言えるわけがなかった。
「……ルーク様がそうおっしゃられるなら、私に拒否権はありません」
そう言って睫毛を伏せて黙り込んでしまった彼女に私も何も言えない。
沈黙が流れる室内。
気まずい筈のソレが、彼女と居られれば酷く居心地が良くて。
けれどその静寂を壊したのは、他ならぬ彼女。
「私はルーク様が願うのであれば、誰の元にだって嫁いで、子を為します」
リアは、けれど、と続ける。
「けれどそれは、ルーク様が本心から仰られているのであればの話です」
「……っ」
リアが言いたい言葉が分かってしまった。
言って欲しい言葉を理解してしまった。
不覚にも涙が溢れてきそうになって、掌を握り込む。
その言葉はあまりにも甘美で。
これが夢なのではないかと錯覚を起こすほどに、願って止まない事で。
(……良いのだろうか)
私がそれを願っても。
私がお前の側に居ても。
本当に、良いのだろうか?
リアを見やれば今にも泣いてしまいそうな顔をしていて。
普段の無表情さは何処にもない、ただの年相応な娘の顔で。
それでも懸命に笑おうとしている姿を見て。
膝を折り、手を差し出して縋るようにリアを見上げて言った。
「私の妻に、なってくれませんか?」
情けないほど震える声と指先。
何て不様なプロポーズ何だろうかと思いながらも。
リアは、私と同じ様に震える手で。
差し出した手を取ってくれた。
「――ルーク様が、私を望んでくださるなら」
今にも泣き出しそうに顔で震える声で、笑ったリアのその言葉を聞いた瞬間。
私はリアを初めて抱き締めた。
骨が軋む程に力を込めれば、リアは私の背に折れてしまいそうな程に細い腕を回した。
リアの温もりが身体だけでなく心にも広がっていくような感覚を味わう。
父上も弟も、そうそう簡単に許すなんて出来ないけれど。
今はただ、この腕に収まる小さな彼女が居てくれればそれで良かった。