ご主人と吸血鬼

「アデル。居ますか」

「お呼びでしょうか、お嬢様」

ご主人が仕事に行って私しか居ないマンションの一室。
家事を済ませてリビングのソファーの肘置きに肘をつきながら凭れかかり、私が生まれた時から私に仕えている執事の名を呼ぶ。
そうしたらすぐ目の前に現れた。

「ちょっと訊きたいことがあるんですよねぇ」

「何なりとお申し付けくださいませ。あの男の抹殺ならいつでも引き受けさせて頂きます」

「どうして一番にご主人の抹殺が入るんですかぁ。そんなことしたら向こう五百年は口を利きませんよ~」

「……っそれは!では何だと言うのですか!?」

「お前は本当にそれしか選択肢がないのですかぁ」

「お嬢様が屋敷にお帰りになられると仰ってくださるのには一番手っ取り早いかと」

「……それは無理な話ですねぇ」

ご主人が生きている間は家に帰る理由も必要性も感じられない。
私にとってのご主人の順位は一番で、それ以外は無いのだから。
ご主人が居なくなったその後だって……まあ、今はそんな話は置いておいて。

「最近妙に血が欲しくなるんですよねぇ」

「……まさかご懐妊を?」

「私はご主人との間に子を望んでませんからあり得ませんよ」

吸血鬼とは可笑しな生き物で、欲さなければ子を作れない身体になっている。
それも当然かとも思うけれど。
パートナーの居ない吸血鬼は様々な人間の血液を吸う。
その人間といちいちセックスしていたら子が何人生まれるか分かったものじゃないですから。
サキュバスもそんな身体をしていたなと、頭の片隅で思いながら、寝転んだ私よりも更に低い位置で傅いているアデルを見下ろした。
アデルは言いにくそうに唇をもごもごとせる。

「知っているなら言いなさい」

少しだけ声音を下げてそう言えば、アデルは意を決したように言う。

「……思い当たることがひとつ御座います」

「なんです?」

「……お嬢様の中にある吸血鬼としての本能が、あの男を吸い殺しにかかっているのではないかと」

「……吸血鬼の本能、ですかぁ」

ああ、そういえば。
――あの時も確かに私はあの人の血を過剰に求めたんだっけ?
なるほど。そういうことか。
母様に昔聞いたことがある。

『吸血鬼が人間を愛した場合。愛の大きさほど求めたくなって仕方がなくなるものなの』

だから人間を愛する時は気を付けなさい。

そう言われたことを思い出す。
それで私はご主人の血を求めて求めて仕方がないのか。
喉がひりついて、飢えて、餓えて、ご主人を見るだけでその血を啜りあげたくなるのも、全部。

「私は、ご主人を愛しすぎたんですねー……」

それが悪いことなわけではない。
けれど結果として、このままでは私は何れご主人の血液を全て啜って――死なせてしまうだろう。

(それは嫌だなぁ)

もう、大好きな人の死を見るのは嫌だなぁ。

「お嬢様はあの男に固執されるわりに、眷属にはなさらないのですね」

「ご主人を眷属に?」

ふっと口角を上げる。今私の目は冷え切っている自信がある。

「それは可笑しな冗談ですねぇ。私は人間としてのご主人を愛しているのですよ。それに眷属になんてしてしまったら、化け物の仲間入りにしてしまうのと同じでしょう?そんなことをあの人にさせられませんよぉ」

「餓えるほど愛されて尚、その覚悟があの男にはないと?」

「アデル。誰に口を利いているのですか?」

「無礼を承知で言っているのです。このままでは何れお嬢様も死んでしまう……!私にとってあの男は何の価値もないただの人間ですが、お嬢様は私にって何よりも掛け替えのない宝なのです」

アデルの言葉に、言葉が詰まりそうになるけれど。それでも。

「……例えなんと言われようと、ご主人が心から望むまで私はご主人を人間として愛したいですから」

あの人は人間として生まれ、化け物の私を愛してくれたから。
私はそんなあの人を、化け物として愛したい。

「……その言葉は、あの男の言葉が原因ですか」

「そうですよ」

その言葉はすんなりと口から零れた。
ああ、そうですよ。
私はずっと、あの人の言葉で生きている。

「アデル。言わないとは思いますが、ご主人にあの事を話したら許しませんからね?」

「……承知しております」

「もし話したら――血の盟約がお前を罰します」

「拝命いたしました」

吸血鬼の一族にとって一番重い約束事である『血の盟約』
破れば吸血鬼としての牙を失い、ただの人間として生まれ変わってしまう。
吸血鬼は人間の血がなければ生きられない筈なのに人間を見下している節がある。
だからこそ、純血の吸血鬼にとってはかなり重い罰であり、口約束程度の気持ちで交わすことは出来ない。

(私に忠実な僕であり人間嫌いであるアデルが私の言葉を裏切るとは考え難いですが、……一応の保険をかけておかなければ)

思い出したくない『過去』であり、蜜のように甘い『思い出』は、例えご主人相手でも教えたくない。

(ああ、いや……ご主人だから、ですかねぇ)

全く困ったものですねぇ、と思いながらも喉に手を宛てる。
ご主人に血を貰う回数が増えてきたけれど、これはセーブしないとなと舌で唇を舐めた。
ご主人の血の味が頭から離れなくて、こくりと喉を鳴らせば、アデルがおずおと申し出る。

「一時の凌ぎではありますが、私の血をお吸いになりますか?」

「……お前の不味い血を?」

パートナーが居ても他のモノから血液を啜る吸血鬼は多数居る。
むしろパートナーひとりに負担をかけることはしたくないと、殆どの吸血鬼がそうしているのではないだろうか?
けれど私には少しだけ抵抗があって。
ああ、でも、

(ご主人を死なせるわけにはいかないですからね)

「首を」

「はいっ」

嬉しそうにネクタイを緩めシャツを肌蹴させ、首筋を晒したアデルにそろりと身体を近付けて、かぷりとアデルの首筋に牙を突き立てた。

(ああ、不味い)

こんな不味い血なら確かに気を紛らわせるには充分ですね。
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