Another Story
それは刹那のような美しさだと云う。
「劉桜様はご覧になったことがありますか?」
「……急に現れたかと思えば、お前は余程暇なのだな」
「まあ、劉桜様に比べれば皆そのようなものでしょうに」
変な劉桜様、と鈴が転がるような声で笑う俺の婚約者殿。
「……俺は嫌味で言ったんだがな」
そんな言葉もこの女には届かない。否、届いていてもきっとこいつは気にしない。
何故ならこの婚約者殿は基本的に恐ろしい程に能天気で自由気ままに生きている。まさにこの天上で暮らす者と言ったところだろう。
「まったく、こんな女が俺の婚約者候補だとはな」
「あら? でも劉桜様はその運命から逃げない」
「あくまでお前が候補だからだ」
「そうなんですか? でしたら、わたくしを摘まみ出せばいいだけの話ですよ?」
「……そ、れは」
それじゃあ、俺の狭量が狭いだけだと自分から言うようなものではないか。
次期天帝として、そんな醜態は晒すべきではない。だからしないだけだ。
そう言おうとして、でもそれだけではない気もして言い淀む。目の前の女は首を傾げて微笑んでいた。
ああ、まただ。この女が俺に笑みを浮かべる。それを見るとどうしようもなく、堪らない気持ちになる。
これは一体なんという感情なのだろうか。
天帝嫡子たる俺に必要な感情なのだろうか?
分からない。分からなくて、口を開こうかどうしようか悩んでいれば、「ああ、そう言えば」と女は声を発する。
「劉桜様。先程の質問なのですが、ご存知ですか?」
「はあ。だから何を、」
「明日、百年に一度咲く花のことを」
「……? 俺が知らないわけがないだろう」
何せその花は天帝城で管理されているのだから。知らないわけがない。とても貴重な花だから様々な者が関わり大切に育成している。
そう言えば、その花は――
「お前と同じ名だったな」
「え?」
「なんだ? なんの花が咲くか知らなかったのか」
「いえ、そうではなくて……」
「なんだ。ハッキリ言ったらどうだ?」
いい加減お前に振り回されるのも関わられるのも嫌なのだと、そう言いたくて。
なのに目の前の女は甘い蜂蜜のような金の瞳を見開き、頬を紅潮させていた。
「りゅ、劉桜様は……わたくしの名前を、ご存知だったのですね……」
「は? 当たり前だろう?」
候補とはいえ、婚約者なのだ。
名前くらい知らずに何を知るというのだ。
「……、い……」
「……な、っ! 泣く程に名を呼ばれるのが嫌なのか⁉」
「ちが、違います! うれ、うれしくて……! 劉桜様に名前を憶えて頂けているのが、とても……とても嬉しいんです……っ!」
「……そ、そうか」
その言葉にまた心臓の辺りがトクリと鳴った。まるで何かが始まるかのように。まるで何かの訪れを告げるかのように。
それでもまだ俺は知らない。
目の前の女がどうして嬉しいと泣いたのか。
今はまだ。何も知らず。ただ彼女が泣き止むのを待つのみで。
***
「懐かしい夢を見たものだな」
「夢、ですか?」
声が降ってくる。その声の主は穏やかな手付きで俺の髪を撫でていた。
一度は離してしまったこの手も、今ようやく戻った。
だからなのか。あんな夢を見たのは。
「どんな夢を見られたんです?」
「……秘密だ」
「まあ」
「ああ、でも。そうだな」
百年に一度咲く花の話をされた日よりきっと、ずっと前から。
「俺は思っていたよりも、睡蓮を愛していたのだなと思ってな」
「劉桜様は、その、発言がいちいち恥ずかしいです」
「想い合っているのに、今までは言葉に出来なかったからな」
「それは、」
悲し気に歪む睡蓮のその白い陶器のような頬を右腕を伸ばし触れる。
「もう、絶対に離さない。だからお前も誓え。俺から二度と離れないと」
「……あなた様はいつの間に、こんなにも言葉をくださるようになられたのですか。わたくしは、劉桜様に返せているのでしょうか」
「返せていなくとも、それでも。お前が傍に居ればそれで良い」
「……わたくしは、あなた様が時々怖くなります。またどこか遠くに行ってしまうのではないのかと。また、わたくしの知らない顔をされるのではないのかと」
「睡蓮……」
「それでも、わたくしはあなた様の傍に居ると決めたから。五十年間眠っていても傍に居続けてくれた劉桜様だから」
いいえ、それだけではなくて。
「私が愛した、大好きな劉桜様だから。これからもずっと、お傍に居たいです」
死という概念がわたくし達を別つその時まで。
睡蓮は柔らかく微笑む。
きっと、最初はこの笑みに惹かれたのだろう。
純粋なまでに無垢で、けれども凛としている。そんな彼女に俺は強く惹かれたのだろう。
睡蓮の膝枕を堪能しながら、もう少し。もう少しだけ天帝からただの男に戻って居たいと、甘えるように睡蓮の薄い腹に顔を埋めた。
「劉桜様はご覧になったことがありますか?」
「……急に現れたかと思えば、お前は余程暇なのだな」
「まあ、劉桜様に比べれば皆そのようなものでしょうに」
変な劉桜様、と鈴が転がるような声で笑う俺の婚約者殿。
「……俺は嫌味で言ったんだがな」
そんな言葉もこの女には届かない。否、届いていてもきっとこいつは気にしない。
何故ならこの婚約者殿は基本的に恐ろしい程に能天気で自由気ままに生きている。まさにこの天上で暮らす者と言ったところだろう。
「まったく、こんな女が俺の婚約者候補だとはな」
「あら? でも劉桜様はその運命から逃げない」
「あくまでお前が候補だからだ」
「そうなんですか? でしたら、わたくしを摘まみ出せばいいだけの話ですよ?」
「……そ、れは」
それじゃあ、俺の狭量が狭いだけだと自分から言うようなものではないか。
次期天帝として、そんな醜態は晒すべきではない。だからしないだけだ。
そう言おうとして、でもそれだけではない気もして言い淀む。目の前の女は首を傾げて微笑んでいた。
ああ、まただ。この女が俺に笑みを浮かべる。それを見るとどうしようもなく、堪らない気持ちになる。
これは一体なんという感情なのだろうか。
天帝嫡子たる俺に必要な感情なのだろうか?
分からない。分からなくて、口を開こうかどうしようか悩んでいれば、「ああ、そう言えば」と女は声を発する。
「劉桜様。先程の質問なのですが、ご存知ですか?」
「はあ。だから何を、」
「明日、百年に一度咲く花のことを」
「……? 俺が知らないわけがないだろう」
何せその花は天帝城で管理されているのだから。知らないわけがない。とても貴重な花だから様々な者が関わり大切に育成している。
そう言えば、その花は――
「お前と同じ名だったな」
「え?」
「なんだ? なんの花が咲くか知らなかったのか」
「いえ、そうではなくて……」
「なんだ。ハッキリ言ったらどうだ?」
いい加減お前に振り回されるのも関わられるのも嫌なのだと、そう言いたくて。
なのに目の前の女は甘い蜂蜜のような金の瞳を見開き、頬を紅潮させていた。
「りゅ、劉桜様は……わたくしの名前を、ご存知だったのですね……」
「は? 当たり前だろう?」
候補とはいえ、婚約者なのだ。
名前くらい知らずに何を知るというのだ。
「……、い……」
「……な、っ! 泣く程に名を呼ばれるのが嫌なのか⁉」
「ちが、違います! うれ、うれしくて……! 劉桜様に名前を憶えて頂けているのが、とても……とても嬉しいんです……っ!」
「……そ、そうか」
その言葉にまた心臓の辺りがトクリと鳴った。まるで何かが始まるかのように。まるで何かの訪れを告げるかのように。
それでもまだ俺は知らない。
目の前の女がどうして嬉しいと泣いたのか。
今はまだ。何も知らず。ただ彼女が泣き止むのを待つのみで。
***
「懐かしい夢を見たものだな」
「夢、ですか?」
声が降ってくる。その声の主は穏やかな手付きで俺の髪を撫でていた。
一度は離してしまったこの手も、今ようやく戻った。
だからなのか。あんな夢を見たのは。
「どんな夢を見られたんです?」
「……秘密だ」
「まあ」
「ああ、でも。そうだな」
百年に一度咲く花の話をされた日よりきっと、ずっと前から。
「俺は思っていたよりも、睡蓮を愛していたのだなと思ってな」
「劉桜様は、その、発言がいちいち恥ずかしいです」
「想い合っているのに、今までは言葉に出来なかったからな」
「それは、」
悲し気に歪む睡蓮のその白い陶器のような頬を右腕を伸ばし触れる。
「もう、絶対に離さない。だからお前も誓え。俺から二度と離れないと」
「……あなた様はいつの間に、こんなにも言葉をくださるようになられたのですか。わたくしは、劉桜様に返せているのでしょうか」
「返せていなくとも、それでも。お前が傍に居ればそれで良い」
「……わたくしは、あなた様が時々怖くなります。またどこか遠くに行ってしまうのではないのかと。また、わたくしの知らない顔をされるのではないのかと」
「睡蓮……」
「それでも、わたくしはあなた様の傍に居ると決めたから。五十年間眠っていても傍に居続けてくれた劉桜様だから」
いいえ、それだけではなくて。
「私が愛した、大好きな劉桜様だから。これからもずっと、お傍に居たいです」
死という概念がわたくし達を別つその時まで。
睡蓮は柔らかく微笑む。
きっと、最初はこの笑みに惹かれたのだろう。
純粋なまでに無垢で、けれども凛としている。そんな彼女に俺は強く惹かれたのだろう。
睡蓮の膝枕を堪能しながら、もう少し。もう少しだけ天帝からただの男に戻って居たいと、甘えるように睡蓮の薄い腹に顔を埋めた。
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