誇り抱く桜の如く

「劉桜様!見てください!とても綺麗な桜ですよ」

柔らかく微笑んだ睡蓮は、桜の花に手を添えて鼻を近付ける。
俺には違いなんて分からなかったけれども、睡蓮が嬉しそうなら良いかと。そう思って傍に寄る。
風が舞う。桜が散る。その光景のなんと儚いことか。

「まあ、踊っているようですね」

「踊っているよう?」

「はい。……わたくし、何か可笑しなことを言ってしまいましたか?」

「いや……」

儚いと感じた俺の感性と、踊っていると感じた睡蓮の感性。
それはどちらが正しいということもない。どちらが間違っているということでもない。
ただ、ひとつだけ言えるのは――

「睡蓮」

「はい?なんですか、劉桜様」

ニコニコと何が楽しいのかこんなつまらない男の傍にいてくれる女を、睡蓮を、傍に置いておきたいと。共に生きていきたいと。
そう、願ったから。

「共に生きてくれないか」

一世一代の求婚であった。
これを断られたらどうしようと惑う程に。
いっそ無理やりにでも手に入れてしまう方法などたくさんある。
それでも、睡蓮の口から聞きたかった。
俺の傍に居たいと、その一言が。

「劉桜様……、桜。綺麗ですねぇ」

「は、」

「この桜は何れ散って、枯れて、大地の肥やしになってしまうのでしょうね」

「まあ、地上の桜だからな」

「その営みを、この桜は是としているのでしょうか」

睡蓮は空を見上げる。
薄桃色の絨毯のように広がる景色がなんとも言えない程に美しくて、しばし言葉を失った。

「いや、ではなくてな!」

「劉桜様?わたくし申し上げたではありませんか」

「何のこと……、」

睡蓮は幼子の時に、あの時、あまりに幼稚な告白もどきをした時のような顔で俺を見る。
それで思い出した。
睡蓮は言ったのだ。あの時。

「貴方様が好きだから、いとおしいから、お傍に居させてください」

「睡蓮」

名を呼んで、細い体を衝動的に抱き締めた。
華奢で、少し力を込めたら折れてしまうのではないのかと言う程にか細くて。なのに何処か力強くて。

この時に決めたのだ。
この華奢な身体も、強いようで頑固なようで、本当は泣き虫な心も。
睡蓮を形成するすべてを守って行こうと。
何があっても、守って行こうと。

このいとおしい『花』を。
俺の持ち得る力の限りを持って。


◆◇◆


「ちちうえ、父上!」

「ん……翠凛か。どうした?」

懐かしい夢を見ていた気がする。
目を覚ましたら、そこには翠凛が立っていた。

「母様が……!」

「……っ、睡蓮がどうした!」

夢うつつの中に居た頭が一気に覚醒した。
あの忌々しい側室だった女に刺された睡蓮が大きな血だまりを作りながら倒れた日から、五十年の時が経った。

あの日以来、睡蓮は眠ったままでいる。
医者は「もう目覚めないかも知れません」と言った。
目の前が真っ暗になったのを、今でも覚えている。
折角幸せになったと言うのに。どうして、と。

「とにかく母様のところに行ってあげてください!」

大きく育った翠凛が興奮したようにその紫と紅い瞳を輝かせ、俺を睡蓮の眠る部屋へと連れていく。
部屋に入り、眼前に広がっていたのは――

「すい、れん……」

「……りゅ、お、さま?」

寝台の上、起き上がった状態で俺を見る睡蓮。
その頬は白くて、透き通ったように白くて。
それでも俺がゆっくりと近付いていけば、そこに段々と熱を感じるような気がした。

「睡蓮……!」

その体を抱き締めて、名を呼べば、擽ったそうにする睡蓮。

「嗚呼、わたくし、また眠ってしまっていたのですね」

「ああ、眠り過ぎだ……」

「ふふ。申し訳御座いません。劉桜様」

睡蓮が答えるように俺の背に腕を回した。
生きている。あたたかい。生きている。……生きている。

「まあ、劉桜様?泣いていらっしゃるの?」

「……ああ、嬉しいからな」

「劉桜様が嬉しいなら、わたくしも幸せですわ」

柔らかく微笑んだ睡蓮の顔は、求婚をした時のように優しくて。

「もう、お前が危険にさらされることはない。危険因子は全て排除した。もう、お前がこんな目に合うことは無い」

香鈴も藍香も水玄も、まだ牢の中に居る。
だから睡蓮が危険にさらされることはもうない。

「……劉桜様。もう、おひとりで抱え込まれないでくださいね」

「睡蓮?」

「わたくしはもう、居なくなりませんから」

「……ああ、そうだな」

顔を見合わせて、額を合わせて、二人で笑い合った。

「ごほんっ!」

「……!」

翠凛が咳払いをひとつする。
俺はもうしばし傍で感じていたかったが、睡蓮が恥ずかしそうに頬を赤らめていたので、離れてやった。

「父上。母様をひとり占めしないでください」

「すまない」

「まったく。……母様」

「翠凛……。嗚呼、大きくなりましたね……」

頬を緩ませる睡蓮は翠凛を手招きした。
それに答えた翠凛は睡蓮に近付いていく。
その頭を優しく撫でる睡蓮。翠凛は嬉しそうに眦を下げていた。

「今日は仕方がないから父上に母様を貸してあげます」

「睡蓮は俺のものだが?」

「ふふ。俺の母様でもありますからね」

「言う様になったな、全く」

にっこり、笑った水凛は部屋から出て行った。
部屋の中には二人。

「水凛は随分大人になりましたね」

「ああ、五十年経ったからな」

「そんなに……」

「また、」

「はい?」

「地上の桜でも見に行こうか。睡蓮と翠凛と、三人で」

家族で、見に行こう。

「……っ、はい!」

睡蓮は目に一杯の涙を溜めながら、確かに頷いた。

長かった。
睡蓮をこの手に取り戻すのが、こんなにも長いことだとは思ってもいなかった。
けれども、もう離さない。
いとおしい者を、二度と離してなるものかと。
俺はただ睡蓮を抱き締めて、眦から零れる涙を流し続けた。

「愛してる」

愛してる。
ただそれだけで、今は良いのだろう。
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