器用で不器用なロイド
とある夜の事。アルケーと名付けられたアンドロイドは、黒のレースがあしらわれたトップスを着て、外見上は同年代の女性のように誰かを待っていた。そんなコーディネートの中でも、一際輝くのは三日月をモチーフにしたイヤリングと液体の入ったペンダントだ。しかしそれらは、恋人から贈られたものではなく、マスターと彼女が呼んでいる人物が贈ったものだった。そして彼女が今待たされているのも、マスター、ローガン・サリバンその人だった。
ふと、彼女の指が耳に触れる。イヤリングを気にするわけでもなく、彼女の脳内に聞こえる声にアルケーは耳を傾けていた。
「アルケー、そろそろ君のところに着きそうだ。3分程待たせてしまい申し訳ない。そのまま時計台の下で待っていてくれ。返答はいらないよ。それじゃ」
「はい、了解いたしました」
「...ふふ、丁寧な子だよね、君」
「お気に召さなかったですか?」
「いいや、生活のパートナーとしては申し分ない、十分な存在だよ」
アルケーは話の途中、目線をぐるりと回し周囲を見渡した。その行動は多分、サリバンが周りにいるかを確認するためだったのかもしれないが、定かではない。
しかし、偶然にもその視線は誰かとかち合った。アルコールでどろりとした眼を持ち、酒瓶を午後の4時に携帯するその者は酔っ払いであった。
相手も目があったことに気がついたようで、アルケーの姿を見るや否や近づいて来たではないか。
「よう、姉ちゃん。ボーイフレンドでも待ってんのか? それともお客かなんかか?」
「いえ」
「...ふーん。なかなかに良い身体してんのに、かわいそうなこった」
アルケーは返事をしなかった。なぜなら、彼女は公共の施設にて、誰とでも交流するような公共用ロボットとは違うからだ。彼女は自分のパートナーであるサリバンを、ただひたすらに待っていた。
いわゆるナンパというものをやり過ごそうとしていた時、ちょうどアルケーの瞳がサリバンの姿を捉えた。今ではアナログで骨董品級の年月が過ぎている時計台を目指し、サリバンは歩みを進める。そして、眼鏡で矯正されてもなお低い視力でもわかるほど、アルケーの姿が近づいた時。彼の視線はアルケーではなく、隣で彼女に絡み続ける男へ真っ先に向いた。
「マスター」
そう呼ばれると、サリバンはすぐに目をアルケーへ合わせた。
「アルケーすまないね、待たせてしまって。さあ行こうか」
何事もないかのように去ろうとする二人を引き止めるように、突然酔っ払いが声を荒げた。
「おいおい、お前はロボットだって言うのか?」
「お前」と言う代名詞を、アルケーを指差すことで男は強調して言ってみせた。
「お前だよ、お前。俺から仕事を奪ったロボット野郎、そこの女だ」
「女性に対してその言葉遣いはないでしょう。これ以上はやめていただきたいのだが」
「はん、流石ロイドを買うだけのブルジョワ様ではあるなあ。いいか、ロボット、なんてのはな、せいぜい人間のアシスタントでよかったんだよ!! 人間の下で働くだけの価値なんだからよお!!」
酒の成分が混じった声は、音が大きく良く通る。そして、酒をたらふく飲んだ者はしばしば割に合わないような行動をするのも事実である。なんと、あろうことかその男は、アルケーに殴りかかろうとしたのである。 その行動と、先ほどの"It must be humans' assistant at the most!!" という言葉を聞いて、サリバンも黙ってはいられなかった。
まずは方向の定まらない拳を左手で受け流し、サリバンは男に冷笑してみせた。
「......イット? "彼女"は私という人間のパートナーだが?」
冷たい微笑みには、鼻で笑って返す。それが男の答えだった。
「...お前に俺の何がわかる。アンドロイドが全て奪ったんだ。その性能を褒められても喜びやしない、感情のないそれをみんな褒めた。対して、感情のある人間は切り捨てられて絶望に追いやられた。それらに対して、俺は恨みしか抱かねえよ。当たり前だろ?」
その酔っ払いは、握っていた拳を開き古い痛みを撫でた。いつもスパナを握っていた手にできたまめが、こんなにも虚しいことで痛んだことが悲しかったのだ。
見るとそこには血が滲んでいた。娯楽としてのアルコールは買えても、消毒液をつけることはできない歯痒さが、男を自暴自棄にさせていた。
やがて、黙って男の様子を見ていたアルケーは突然ポーチを開き始めた。驚いている人々を尻目に、失礼します、とアルケーは断って男へ近づく。
「絆創膏の予備が2枚ほどありますが、マスター。使用許可を」
「...! ああ、このように傷病者が公共の場にいた際、君の裁量で使用してくれ」
金の髪とペンダントを揺らし、彼女は握られた傷をゆっくりと街灯の下へ晒す。「失礼します」と男の抵抗しようとする声は遮った。後は消毒し、衛生的に覆うだけ。
ロイドであれど、アルケーはこの街の市民権を持つ。その時彼女は「助け合うことは市民の義務である」という文言に従って動いていた。
ペンダントの中身をポーチから取り出したガーゼに数滴垂らし、赤くなった患部へと当てる。そしてキャラクターものの絆創膏で皮膚を覆った。
「...っておい、なんだよこの可愛らしい子猫のキャラクターは!」
「すみません、このようなものしか予備にありませんでした。ご了承ください」
「すまない。彼女、普段は子供にすることが多いんだ」
「生暖かい視線で赤いリボンつけた猫がこっち見てくるんだが...」
「可愛らしくてお似合いですよ」
「フォローになってねえよ!!」
男へ林檎3個分の彼女が絆創膏の上から微笑みかけてくる。その微笑みは、これまで男がよく見てきたものであった。娘が好んでしていた塗り絵の線画に、娘が転んだ際のためにストックしていたもの。それらと同じ顔をそのキャラクターはしていた。
どピンク色の絆創膏を撫でると、今はそばにいない家族のことが男の頭に浮かんだ。
「...俺は、誰を恨めばよかったんだろうな」
それはアンドロイド? 逃げていった家族? それとも、未来を予知できなかった自分? どれも悩ましいものではあった。
「誰も恨めやしないさ。少なくとも、彼女にそれをぶつけるべきではなかっただろうね」
「......それについてはすまなかった。酒も、まあまあ抜けてきたからわかる」
「...酩酊状態では判断能力が低下するのは理解しています。しかし、先程の言動を実在の人物にすることはお薦めしません」
「あんたは、許してくれるのか?」
アルケーは幸か不幸か、怒りという強い感情をあまり知らずにいた。感情の無菌室から始まった彼女の遍歴が原因だろうか。
男はアルケーのあまり変わらない表情、視線を見届けてから、次はサリバンに目を向けた。
するとサリバンは、今は落ち着いたかのように話し始めた。
「彼女が何とも思っていなければ、それで僕は構わないよ。それに、僕も言い過ぎたところはあるからね。乱暴な言い方になってしまいすまなかった」
「...育ちがいいってのは、こういうことを言うんだろうな」
独り言を残し、酔っ払いは二人に背を向ける。背負うものがなくなっている空の背中を見て、サリバンは感じることがあった。
感情は時に人を動かす。悪い方向にも、良い方向にも。今回のアルケーの行動は良い方向に向いた例だと感じる。
しかし、彼女の持つ感情がより大きくなれば、負の感情が今のような正の感情を消してしまうのではないかとも考えられる。果たして、この長い実験は続けるべきなのだろうか?
そうして物思いにふけるサリバンの肩を、誰かが叩いた。そう、アルケー本人である。
「どうしましたか?」
色素の薄い睫毛のファイバーをぱちぱちと今も動かす彼女を見て、サリバンの心は揺れに揺れるのだった。
「感情とかいう厄介で綺麗な色眼鏡」
ふと、彼女の指が耳に触れる。イヤリングを気にするわけでもなく、彼女の脳内に聞こえる声にアルケーは耳を傾けていた。
「アルケー、そろそろ君のところに着きそうだ。3分程待たせてしまい申し訳ない。そのまま時計台の下で待っていてくれ。返答はいらないよ。それじゃ」
「はい、了解いたしました」
「...ふふ、丁寧な子だよね、君」
「お気に召さなかったですか?」
「いいや、生活のパートナーとしては申し分ない、十分な存在だよ」
アルケーは話の途中、目線をぐるりと回し周囲を見渡した。その行動は多分、サリバンが周りにいるかを確認するためだったのかもしれないが、定かではない。
しかし、偶然にもその視線は誰かとかち合った。アルコールでどろりとした眼を持ち、酒瓶を午後の4時に携帯するその者は酔っ払いであった。
相手も目があったことに気がついたようで、アルケーの姿を見るや否や近づいて来たではないか。
「よう、姉ちゃん。ボーイフレンドでも待ってんのか? それともお客かなんかか?」
「いえ」
「...ふーん。なかなかに良い身体してんのに、かわいそうなこった」
アルケーは返事をしなかった。なぜなら、彼女は公共の施設にて、誰とでも交流するような公共用ロボットとは違うからだ。彼女は自分のパートナーであるサリバンを、ただひたすらに待っていた。
いわゆるナンパというものをやり過ごそうとしていた時、ちょうどアルケーの瞳がサリバンの姿を捉えた。今ではアナログで骨董品級の年月が過ぎている時計台を目指し、サリバンは歩みを進める。そして、眼鏡で矯正されてもなお低い視力でもわかるほど、アルケーの姿が近づいた時。彼の視線はアルケーではなく、隣で彼女に絡み続ける男へ真っ先に向いた。
「マスター」
そう呼ばれると、サリバンはすぐに目をアルケーへ合わせた。
「アルケーすまないね、待たせてしまって。さあ行こうか」
何事もないかのように去ろうとする二人を引き止めるように、突然酔っ払いが声を荒げた。
「おいおい、お前はロボットだって言うのか?」
「お前」と言う代名詞を、アルケーを指差すことで男は強調して言ってみせた。
「お前だよ、お前。俺から仕事を奪ったロボット野郎、そこの女だ」
「女性に対してその言葉遣いはないでしょう。これ以上はやめていただきたいのだが」
「はん、流石ロイドを買うだけのブルジョワ様ではあるなあ。いいか、ロボット、なんてのはな、せいぜい人間のアシスタントでよかったんだよ!! 人間の下で働くだけの価値なんだからよお!!」
酒の成分が混じった声は、音が大きく良く通る。そして、酒をたらふく飲んだ者はしばしば割に合わないような行動をするのも事実である。なんと、あろうことかその男は、アルケーに殴りかかろうとしたのである。 その行動と、先ほどの"It must be humans' assistant at the most!!" という言葉を聞いて、サリバンも黙ってはいられなかった。
まずは方向の定まらない拳を左手で受け流し、サリバンは男に冷笑してみせた。
「......イット? "彼女"は私という人間のパートナーだが?」
冷たい微笑みには、鼻で笑って返す。それが男の答えだった。
「...お前に俺の何がわかる。アンドロイドが全て奪ったんだ。その性能を褒められても喜びやしない、感情のないそれをみんな褒めた。対して、感情のある人間は切り捨てられて絶望に追いやられた。それらに対して、俺は恨みしか抱かねえよ。当たり前だろ?」
その酔っ払いは、握っていた拳を開き古い痛みを撫でた。いつもスパナを握っていた手にできたまめが、こんなにも虚しいことで痛んだことが悲しかったのだ。
見るとそこには血が滲んでいた。娯楽としてのアルコールは買えても、消毒液をつけることはできない歯痒さが、男を自暴自棄にさせていた。
やがて、黙って男の様子を見ていたアルケーは突然ポーチを開き始めた。驚いている人々を尻目に、失礼します、とアルケーは断って男へ近づく。
「絆創膏の予備が2枚ほどありますが、マスター。使用許可を」
「...! ああ、このように傷病者が公共の場にいた際、君の裁量で使用してくれ」
金の髪とペンダントを揺らし、彼女は握られた傷をゆっくりと街灯の下へ晒す。「失礼します」と男の抵抗しようとする声は遮った。後は消毒し、衛生的に覆うだけ。
ロイドであれど、アルケーはこの街の市民権を持つ。その時彼女は「助け合うことは市民の義務である」という文言に従って動いていた。
ペンダントの中身をポーチから取り出したガーゼに数滴垂らし、赤くなった患部へと当てる。そしてキャラクターものの絆創膏で皮膚を覆った。
「...っておい、なんだよこの可愛らしい子猫のキャラクターは!」
「すみません、このようなものしか予備にありませんでした。ご了承ください」
「すまない。彼女、普段は子供にすることが多いんだ」
「生暖かい視線で赤いリボンつけた猫がこっち見てくるんだが...」
「可愛らしくてお似合いですよ」
「フォローになってねえよ!!」
男へ林檎3個分の彼女が絆創膏の上から微笑みかけてくる。その微笑みは、これまで男がよく見てきたものであった。娘が好んでしていた塗り絵の線画に、娘が転んだ際のためにストックしていたもの。それらと同じ顔をそのキャラクターはしていた。
どピンク色の絆創膏を撫でると、今はそばにいない家族のことが男の頭に浮かんだ。
「...俺は、誰を恨めばよかったんだろうな」
それはアンドロイド? 逃げていった家族? それとも、未来を予知できなかった自分? どれも悩ましいものではあった。
「誰も恨めやしないさ。少なくとも、彼女にそれをぶつけるべきではなかっただろうね」
「......それについてはすまなかった。酒も、まあまあ抜けてきたからわかる」
「...酩酊状態では判断能力が低下するのは理解しています。しかし、先程の言動を実在の人物にすることはお薦めしません」
「あんたは、許してくれるのか?」
アルケーは幸か不幸か、怒りという強い感情をあまり知らずにいた。感情の無菌室から始まった彼女の遍歴が原因だろうか。
男はアルケーのあまり変わらない表情、視線を見届けてから、次はサリバンに目を向けた。
するとサリバンは、今は落ち着いたかのように話し始めた。
「彼女が何とも思っていなければ、それで僕は構わないよ。それに、僕も言い過ぎたところはあるからね。乱暴な言い方になってしまいすまなかった」
「...育ちがいいってのは、こういうことを言うんだろうな」
独り言を残し、酔っ払いは二人に背を向ける。背負うものがなくなっている空の背中を見て、サリバンは感じることがあった。
感情は時に人を動かす。悪い方向にも、良い方向にも。今回のアルケーの行動は良い方向に向いた例だと感じる。
しかし、彼女の持つ感情がより大きくなれば、負の感情が今のような正の感情を消してしまうのではないかとも考えられる。果たして、この長い実験は続けるべきなのだろうか?
そうして物思いにふけるサリバンの肩を、誰かが叩いた。そう、アルケー本人である。
「どうしましたか?」
色素の薄い睫毛のファイバーをぱちぱちと今も動かす彼女を見て、サリバンの心は揺れに揺れるのだった。
「感情とかいう厄介で綺麗な色眼鏡」
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