それ以外
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてもすゑに逢うはむとぞ思ふ、という歌を見たのは、その時が初めてだった。
初詣の時、私はおみくじを引いた。結果は大吉で、幸先がよいと喜んだものだ。数ある項目でも目を引いたのは、待ち人の欄。これまで見てきた神のお告げは「来ない」の一点張りだったが、その時だけは違った。
「来る」
なんて告げられたら、期待してしまうのが私という人物なのだ。
なら、来るまで待とうじゃないかと決心し、早11ヶ月と半月。「彼」の姿はまだ見えなかった。
放課後、グラデーションの色彩が空にかかる時。「冬休みまであと一日!」と、誰が書いたかわからない落書きを私は見ていた。隣には教卓に腰掛けてスマホをいじる友人がいる。
本物の「黄昏る」ってやつだろうか。不思議な空気感がそこにはあった。
「帰んないの?」
友人がスマホから視線をずらし、私を見た。そっちこそ、と返すが、彼女には大義名分があるらしく「いや、まだ」と首を振られてしまった。
「私はららかのこと待たないといけないからさ。そういうあんたは、なんか待ってんの?」
「いや…えーっと、まあ、そうかな?」
歯切れの悪い返答に、彼女は訝しげな表情をしてくる。彼女はぷらぷらと揺らしていた足を止め、教卓へスマホを置いた。
「どしたの。なんかあったの?」
「...まあ、ちえりには話してもいいか。笑わないでよ?」
無言でちえりが頷いたのを見届けて、私はあのおみくじについて話し始めた。待ち人である彼、うみくんのことだ。
「ふうん。なるほどね、そんなに大事な男の子だったんだ」
「そう! 本当、ほんとに好きな男の子だったの!!」
こうして話しているうちに、うみくんについての記憶は蘇ってきた。
小学校低学年、私はここから海を越えた先に暮らしていた。まあ、親の都合って言うやつだ。
しかし、当時の暮らしは楽しく、それなりに楽しんでいた。ある時まで「それなり」だった暮らしが、急に変わったのは、きっとうみくんと出会ったからだろう。
白い絵具みたいな肌に、すらりとした肢体。彼は私の初恋を奪ってしまうほど、魅力的だった。運動会に参加した際、彼と手を繋いだことがあるのだが、その時は頭が真っ白に染まっていた。
だが、いつか親の都合、つまり仕事は終わる。いよいよ彼とも会えなくなる、と子供ながらに思いながらも、私は両親に「ここにいたい」とは言えなかった。私の都合を優先させて、なんてわがままは言わない、真面目な子供だったからだ。
「あんたの浮いた話なんて、これまで聞いたことなかったから驚いたよ」
「そう? ...それもそうか。うみくんと出会ってからかな。どんなに好きになりそうでも、その人とうみくんを重ねちゃうからさ」
「なるほどね。小説に書けそうな現実だこと」
「......好きに書けば。あの思い出も、言ってしまえば、血色の悪い少し痩せ気味な男の子に初恋をしたって話だし」
そう、とちえりは返答して、教卓を降りる。
「でもさ。そんなドラマチックな恋できて、私は羨ましいよ」
「なんで?」
「だって、現在進行形でしょ?」
ららか、用事終わったみたいだし、私も帰るわ。と言って、荷物をまとめ始めるちえり。
最後の元気付けるような台詞に少し調子が戻って、私もこう言った。
「まって、私も帰る」
「じゃあ、3人で帰ろっか」
私も通知表の入った鞄を持って、教室の扉へと向かう。
しかしその前に、一度立ち止まって白板の方を見やった。
「どしたの?」
「正確な数字にしとこうと思ってね。ほら、今日終業式だったじゃん?」
「あーね」
「冬休みまであと1日!」と、少し詰めの甘い人が書いたであろう落書き。その1の部分を指でなぞり、消した。そこへ正確な数字である0を書き加えてから、私はこの教室を出た。
「今年が終わるまで、あと十数日はあるわけだし。それまでは積極的に外出するわ」
「いんじゃない? もしかしたら日本にいるかも知れないんでしょ?」
「そ! まだ絶望するには早いよね」
夕焼け色に染まる廊下を私たちは歩いてゆく。窓から見えるビル群と黄昏の空は、さっき見えていた景色からあまり変化はない。まだ思っていたより、時は経っていなかったのだった。
そして、時は大晦日を迎えた。
道端でばったり...とか、何かのお店でバイトしてた彼と再会...とか、様々なパターンをイメージトレーニングしてきたが、ここまで来るともはや意地である。
今日は友達と遊んでから家へ帰るという予定で、私は都心へと通じる電車を待っていた。今日は自然に、予定通りに過ごし、これで出会えなかったら諦めようと決めていたのだ。
海を越えて会いに行きたいなんて思っていたくせに、いつの間にか「うみくんの存在を越えて、また新たな恋を見つけたい」と言う方向へと気持ちは傾きつつあった。
そして、一番早く着くであろう急行電車へと私は乗り込んだ。ドアが閉まります。ご注意ください。という機械音が終わり、私は顔を上げた。
その瞬間、頭が真っ白に染められて、あの記憶が一気に蘇った。
「あっ、」
思わず出た声のせいで、乗客の一部がこちらを向く。その中に、あの待ち人もいた。
私はとりあえず、スマホを取り出して友達へメッセージを送った。
「ごめん、ちょっと遅れちゃいそう」
私の都合で友人を待たせてしまうのは申し訳ないが、こればっかりは許してほしい。
海君にやっと、会えることができたのだから。
「海を越えて会いに行きたい」
初詣の時、私はおみくじを引いた。結果は大吉で、幸先がよいと喜んだものだ。数ある項目でも目を引いたのは、待ち人の欄。これまで見てきた神のお告げは「来ない」の一点張りだったが、その時だけは違った。
「来る」
なんて告げられたら、期待してしまうのが私という人物なのだ。
なら、来るまで待とうじゃないかと決心し、早11ヶ月と半月。「彼」の姿はまだ見えなかった。
放課後、グラデーションの色彩が空にかかる時。「冬休みまであと一日!」と、誰が書いたかわからない落書きを私は見ていた。隣には教卓に腰掛けてスマホをいじる友人がいる。
本物の「黄昏る」ってやつだろうか。不思議な空気感がそこにはあった。
「帰んないの?」
友人がスマホから視線をずらし、私を見た。そっちこそ、と返すが、彼女には大義名分があるらしく「いや、まだ」と首を振られてしまった。
「私はららかのこと待たないといけないからさ。そういうあんたは、なんか待ってんの?」
「いや…えーっと、まあ、そうかな?」
歯切れの悪い返答に、彼女は訝しげな表情をしてくる。彼女はぷらぷらと揺らしていた足を止め、教卓へスマホを置いた。
「どしたの。なんかあったの?」
「...まあ、ちえりには話してもいいか。笑わないでよ?」
無言でちえりが頷いたのを見届けて、私はあのおみくじについて話し始めた。待ち人である彼、うみくんのことだ。
「ふうん。なるほどね、そんなに大事な男の子だったんだ」
「そう! 本当、ほんとに好きな男の子だったの!!」
こうして話しているうちに、うみくんについての記憶は蘇ってきた。
小学校低学年、私はここから海を越えた先に暮らしていた。まあ、親の都合って言うやつだ。
しかし、当時の暮らしは楽しく、それなりに楽しんでいた。ある時まで「それなり」だった暮らしが、急に変わったのは、きっとうみくんと出会ったからだろう。
白い絵具みたいな肌に、すらりとした肢体。彼は私の初恋を奪ってしまうほど、魅力的だった。運動会に参加した際、彼と手を繋いだことがあるのだが、その時は頭が真っ白に染まっていた。
だが、いつか親の都合、つまり仕事は終わる。いよいよ彼とも会えなくなる、と子供ながらに思いながらも、私は両親に「ここにいたい」とは言えなかった。私の都合を優先させて、なんてわがままは言わない、真面目な子供だったからだ。
「あんたの浮いた話なんて、これまで聞いたことなかったから驚いたよ」
「そう? ...それもそうか。うみくんと出会ってからかな。どんなに好きになりそうでも、その人とうみくんを重ねちゃうからさ」
「なるほどね。小説に書けそうな現実だこと」
「......好きに書けば。あの思い出も、言ってしまえば、血色の悪い少し痩せ気味な男の子に初恋をしたって話だし」
そう、とちえりは返答して、教卓を降りる。
「でもさ。そんなドラマチックな恋できて、私は羨ましいよ」
「なんで?」
「だって、現在進行形でしょ?」
ららか、用事終わったみたいだし、私も帰るわ。と言って、荷物をまとめ始めるちえり。
最後の元気付けるような台詞に少し調子が戻って、私もこう言った。
「まって、私も帰る」
「じゃあ、3人で帰ろっか」
私も通知表の入った鞄を持って、教室の扉へと向かう。
しかしその前に、一度立ち止まって白板の方を見やった。
「どしたの?」
「正確な数字にしとこうと思ってね。ほら、今日終業式だったじゃん?」
「あーね」
「冬休みまであと1日!」と、少し詰めの甘い人が書いたであろう落書き。その1の部分を指でなぞり、消した。そこへ正確な数字である0を書き加えてから、私はこの教室を出た。
「今年が終わるまで、あと十数日はあるわけだし。それまでは積極的に外出するわ」
「いんじゃない? もしかしたら日本にいるかも知れないんでしょ?」
「そ! まだ絶望するには早いよね」
夕焼け色に染まる廊下を私たちは歩いてゆく。窓から見えるビル群と黄昏の空は、さっき見えていた景色からあまり変化はない。まだ思っていたより、時は経っていなかったのだった。
そして、時は大晦日を迎えた。
道端でばったり...とか、何かのお店でバイトしてた彼と再会...とか、様々なパターンをイメージトレーニングしてきたが、ここまで来るともはや意地である。
今日は友達と遊んでから家へ帰るという予定で、私は都心へと通じる電車を待っていた。今日は自然に、予定通りに過ごし、これで出会えなかったら諦めようと決めていたのだ。
海を越えて会いに行きたいなんて思っていたくせに、いつの間にか「うみくんの存在を越えて、また新たな恋を見つけたい」と言う方向へと気持ちは傾きつつあった。
そして、一番早く着くであろう急行電車へと私は乗り込んだ。ドアが閉まります。ご注意ください。という機械音が終わり、私は顔を上げた。
その瞬間、頭が真っ白に染められて、あの記憶が一気に蘇った。
「あっ、」
思わず出た声のせいで、乗客の一部がこちらを向く。その中に、あの待ち人もいた。
私はとりあえず、スマホを取り出して友達へメッセージを送った。
「ごめん、ちょっと遅れちゃいそう」
私の都合で友人を待たせてしまうのは申し訳ないが、こればっかりは許してほしい。
海君にやっと、会えることができたのだから。
「海を越えて会いに行きたい」