それ以外
ある日、その街の市長が死んだ。毎朝のランニングとたっぷりの朝食を欠かさず続けてきた彼にしてはあっけないものであった。しかし、享年は75歳、大往生と言って差し支えないだろう。
葬儀は翌日の朝に執り行われた。厳かなパイプオルガンと淑女、紳士達の湿っぽい声の二重奏に囲まれ、中央に彼は眠る。民衆の目の前に位置する棺には、ここの特産であるカーネーションが敷き詰められ、なんとも芳しい香りが漂ってくる。
「では、献花に移らせていただきます」
黒布の擦れる音の後、人々が一人ずつ祭壇へと進んでゆく。白いカーネーションが一本、また一本と献花台に並び、ついに最後の参列者が牧師へ一礼した。
黒のベールを被った参列者が面をあげる。彼女は故人の秘書としてこの哀しき事実を受け入れようと、棺に眠る人を直視した。すると、そこには不思議な光景が広がっていたのである。
故人の好きだった、知性溢れる青色。それが巻かれた、白きカーネーションが彼の手には握られていたのだ。
「メメントモリの、一輪...」
彼女は思わず声をあげた。この街に伝わる伝説が、初めてはっきりと目に映ったからだ。その瞬間、彼女の脳裏に二輪の花が思い出された。大叔母の握っていた、緑のリボンをつけた白き花。祖父の手に添えられた赤リボンとの対比が美しい白カーネーション。
誰が置いたかはわからない、リボンで飾り付けられた一輪。それはどんなに貧しい者にも、どんなに豊かな者にも贈られる上等な餞別であった。「死を忘るなかれ」の言葉を象徴するそれは、神の使徒による贈り物であるとこの地域では信じられてきた。それこそが彼女の漏らした「メメントモリの一輪」である。
そして、それを受け取る者がいるのなら、贈る者もいる。墓地へと向かう霊柩車を見つめ、静かに一礼する老婆こそが「神の使徒」であった。手に持った花籠には、三つ編みにされた髪と同じ白いカーネーションが凛々しく咲いている。その腰につけた青い光の灯るランタンをからんからんと鳴らし、花籠から一輪抜き取ってこう言うのだ。
「お花は如何ですか?」
その手に持った花には、リボンは巻きついておらず裸のままであった。なぜなら、リボン付きのものは「確かに魂を摘み取らせていただきました」という、特別な証だから。この一品を取り扱うことこそ、フローリッシュ家において一人前の証であった。
表向きは花売りとして、傍らでは神の従者として使えてきた一家は、この街を愛し人々にも認められてきた。長年花売り娘として花を売っていた老婆も、今でこそ息子、娘夫婦に家業は任せているが街では有名な存在として顔が知られている。そんな彼女が花籠を提げ歩く理由は一つ。弟のように可愛がっていた、幼なじみが死んだのである。
「まさか、あの出世頭の坊ちゃんが死んじゃうなんてね」
哀しげに、通り過ぎる霊柩車を見つめ彼女は呟く。ああ、こんなにも時は経ってしまったのかとため息をついて。
僕は人のために、この街の人を助けるために生きたいんだ!
壮大でドラマティックな夢を、その坊ちゃんが語って早70年。若い娘はすっかり老け、坊ちゃんはぽっかり逝ってしまった。それでは、次に逝く者は紛れもなくこの老婆であろう。その抗いようのない事実を老女自身も自覚していた。
だからといって、ただ死を目的として残りの数日を生きるのも味気ない。どうせなら、お気に入りのカラフルなエプロンワンピースを着て、坊ちゃんの元へ花を届けてやろうじゃないか。「式場へのご案内」と彼の字で書かれた手紙を見た瞬間から体は動いていた。
「俺の葬式には花を頼むよ、神の使徒さん。勿論、聡明な青のリボンをかけてね」
若かりし頃、かの実業家が冗談めかして言っていた言葉。その時の笑顔が脳裏に浮かんで、式場の戸をくぐる老婆の顔は微笑んでいた。
彼女は予め神の使徒のために開けられている扉を通る。そこは満席で、ハンカチを顔にかざす人々で埋め尽くされていた。
そして、彼らの先には、さめざめと泣く参列者達を黙って見つめる市長の姿があった。
「坊ちゃん。お迎えの時間ですよ」
皆が献花台に花を捧げている中、彼女はそれをぴょんと飛び越える。透明な状態の彼女を気に留める者はおらず、気づく者は同じく透明な市長以外いなかった。
「...これは............そうか、死んだのか。私は」
彼が半透明の手を天高くのシャンデリアに翳せば、その光は手を貫通し彼へと突き刺さる。眩しくて堪らない、とばかりに目を瞑る彼は、未だに半信半疑の死を感じているようだった。
「坊ちゃん。大丈夫かい? 準備が出来たら言っておくれ」
死んだ後、人々は様々な反応を示す。その場に泣き崩れる者や、死んだと言う事実に意気消沈する者と色々いる。その中でも彼は冷静な方だった。しばしの沈黙の後、彼は目を開き老婆の方を向く。
「...いや、大丈夫だ」
「そうかい。少し窮屈だが、ここにちょっとの間居てもらうよ」
老女は腰につけたランタンを指し、こんこんとガラスを叩く。そこに火はついておらず、新品らしき蝋燭が立っているのみだった。しかし侮るなかれ、ヴィンテージという言葉が似合うそのランタンは、魂の熱さにも耐えることができる特注品であった。
その独特のシェイプに彼は既視感を覚え、すぐにそれが何であるか理解した。
「使徒のランタン...だろう? 母さんがよく読み聞かせてくれたよ」
「ご名答。そうさ、私は俗に言う、神の使徒だからね」
「やっとだよ。やっと答え合わせができた。ずっと気になっていたんだ」
ひとしきり笑いあった後、彼らは献花台を一瞥する。一本、また一本と捧げられてゆく白い花が時間の経過を二人へ伝えていた。もう行かなくては。そう認識した瞬間、二人はしんみりとした気持ちで胸がいっぱいになった。
「これで悔いはない。満足したよ、ナタリー姉さん」
「...ハロルド。幸せ、だったかい?」
彼女らしくない、しおらしい声がナタリーの口から零れる。それが献花台から去る人の靴音にかき消されそうになるぐらい、小さいものであったにも関わらず、ハロルドは明朗に答えた。
「ああ、勿論。いい人生だったとも」
刹那、彼の声が消え、代わりとしてランタンに青の炎が灯る。その力強い光は、彼女を一気に現実へと引き戻した。泣いてはいけない。ただ花を捧げなくては、と。
彼女は左腕にかけられた花籠から、白い一輪を引き抜く。青いリボンがかけられた花はみずみずしく、生命の美しさを讃えているようだった。柩で眠る彼を起こさぬよう、その一輪は彼の手にゆっくりと添えられる。
「こちらこそ。私の人生を彩ってもらえて、嬉しかったさ」
ちょうど老女が仕事を終えた頃、最後の参列者が花を捧げていた。黒ベールで喪を纏う参列者の顔は泣き腫らしたせいで目が赤くなっている。その顔を見て、何故か彼女は安堵の息を漏らす。「あの、人たらしめ。愛されてたんだね」なんて、泣き笑いしながら。
──────────────────
ある日の朝、葬式が執り行われた。街で一番大きい教会へ人々が数多く現れ、黒い喪服に白いハンカチを身につけて故人の死を悼んだ。会場の近くには、四頭立ての大きな馬車や、子だくさんの夫婦が不思議そうに首をかしげる子からすすり泣く子までを引き連れてやってくる。年齢から年収、性別を問わず訪れる人々にはある共通点があった。教会に集まった誰もが、親族、または友人の葬儀にて今は亡きナタリー・フローリッシュからの花を目にしたということである。
そんな喪服の群れに、ある一人の女性も混ざっていた。その人の名は、アイリーン・ブラウン。今は亡き市長の秘書であった人だ。
彼女はブロンズの髪をなびかせ、教会への道を歩く。だが、市長の葬儀の時とは異なり、黒いベールは身につけていなかった。何故なら、彼女は泣き腫らすどころか、強い意志を持った目で前を見据えていたからだ。
アイリーンは案内状を受け取った際、直感に近い何かを感じていた。
私は、この人に感謝を伝えなければならない。
その強い思いが彼女を動かし、この教会の前に立たせている。その意思だけは、この度参列した者全てに共通していた。
全ての人が着席し、席が最後尾まで埋まる中、式は執り行われた。これはこの街の葬式において珍しいことであった。大抵は故人の親族、故人と懇意にしていた者だけが葬式に参加する中、今回のように街中の人が集まるのは異例中の異例。牧師は一瞬ぎょっとした目をして、聖書と参列者の数を忙しない目で追った。
一瞬は驚いたものの、牧師は気を取り直したのかすらすらと水が流れるように聖書の一節を読み上げる。神に使える者として、私情は挟むべきではないと分かっているが、牧師は読み上げる声に力を込めずにはいられなかった。なぜなら、この牧師も、ここに集まる者たちと同じく若かりし頃にメメントモリの一輪を目にしていたのである。
──────────────────
人々は思い思いの感情を胸に抱きつつ、黙祷を捧げた。
その跡として、感謝、悲しみ、懐古などの感情が込められた花が、ずらりと献花台に並ぶ。一人がらんどうの聖堂にて、ナタリーの息子であるオリバーは一輪、そこから取り上げた。
「...母さん、こんなにも多くの花が並ぶなんてな」
彼は感嘆した様子で、透明な母へと呟く。このように故人と短い会話を交わせることこそ、神の使徒としての特権であった。
「なんだい。もう死んでるんだから、ちゃっちゃと済ませておくれ」
ナタリーは素っ気なく呟いて、息子の腰にかけられたランタンを指差した。
「......そういうわけにもいかないさ。だって、僕にとって母さんは、目標でもあり師でもあったんだから」
オリバーは左手の白いカーネーションをナタリーへ見せる。凛と咲く花には純白のリボンが蝶々結びになって巻きついていた。
「それだけ大切にされていたって事でさ。この言葉は受け取ってくれよ」
「......あんたもあの人と同じことを言うんだね。この照れ屋で有名な私にさ」
「はは、父さんほどではないさ。母さんに「次はあんたが花を捧げてくれ」だなんて言われた時は面食らったよ」
「何を言うか。オリバー、あんたはこの手の仕事には慣れてるだろう?」
「...そんな、実の母親に捧げることなんてしたことなかったさ」
それまで気丈に振る舞っていたオリバーの顔が曇る。曇りは曇りでも、湿気をたっぷり含んだような顔だ。
そもそも、死んだ人間を死後の世界へ送り出す仕事なんて、身体は慣れたとしても心は慣れていなかった。それが親族であれば、尚更のことだった。
「なら、貴重な体験だあね。これが最初で最後のことなんだ。後悔のないようにやりな」
ナタリーは手を前に広げて、準備ができたことを示す。その動作、一瞬がオリバーには重くのしかかる。
「一度深呼吸しな。じいさんの時もそうやったんだ」
その言葉に従い、オリバーは空気を吸い込んだ。吸って。吐いて。も一度吸って、吐いた。
「おやすみ、母さん。......あと、ありがとう」
目を開いたオリバーは、そっとランタンの蓋をあける。それを見届けて、ナタリーは安心した様子で呟いた。
「こちらこそ。神の使徒さん」
ナタリー・フローリッシュ。彼女は81歳の長い生涯を、その時閉じた。長年花売り、そして神の使徒としてその街に貢献してきた彼女は、老衰という穏やかな死を迎えたのである。
彼女は幸せであった。天から送られた案内状を手にした人々に、花を捧げられたのだから。
「メメントモリの一輪」
葬儀は翌日の朝に執り行われた。厳かなパイプオルガンと淑女、紳士達の湿っぽい声の二重奏に囲まれ、中央に彼は眠る。民衆の目の前に位置する棺には、ここの特産であるカーネーションが敷き詰められ、なんとも芳しい香りが漂ってくる。
「では、献花に移らせていただきます」
黒布の擦れる音の後、人々が一人ずつ祭壇へと進んでゆく。白いカーネーションが一本、また一本と献花台に並び、ついに最後の参列者が牧師へ一礼した。
黒のベールを被った参列者が面をあげる。彼女は故人の秘書としてこの哀しき事実を受け入れようと、棺に眠る人を直視した。すると、そこには不思議な光景が広がっていたのである。
故人の好きだった、知性溢れる青色。それが巻かれた、白きカーネーションが彼の手には握られていたのだ。
「メメントモリの、一輪...」
彼女は思わず声をあげた。この街に伝わる伝説が、初めてはっきりと目に映ったからだ。その瞬間、彼女の脳裏に二輪の花が思い出された。大叔母の握っていた、緑のリボンをつけた白き花。祖父の手に添えられた赤リボンとの対比が美しい白カーネーション。
誰が置いたかはわからない、リボンで飾り付けられた一輪。それはどんなに貧しい者にも、どんなに豊かな者にも贈られる上等な餞別であった。「死を忘るなかれ」の言葉を象徴するそれは、神の使徒による贈り物であるとこの地域では信じられてきた。それこそが彼女の漏らした「メメントモリの一輪」である。
そして、それを受け取る者がいるのなら、贈る者もいる。墓地へと向かう霊柩車を見つめ、静かに一礼する老婆こそが「神の使徒」であった。手に持った花籠には、三つ編みにされた髪と同じ白いカーネーションが凛々しく咲いている。その腰につけた青い光の灯るランタンをからんからんと鳴らし、花籠から一輪抜き取ってこう言うのだ。
「お花は如何ですか?」
その手に持った花には、リボンは巻きついておらず裸のままであった。なぜなら、リボン付きのものは「確かに魂を摘み取らせていただきました」という、特別な証だから。この一品を取り扱うことこそ、フローリッシュ家において一人前の証であった。
表向きは花売りとして、傍らでは神の従者として使えてきた一家は、この街を愛し人々にも認められてきた。長年花売り娘として花を売っていた老婆も、今でこそ息子、娘夫婦に家業は任せているが街では有名な存在として顔が知られている。そんな彼女が花籠を提げ歩く理由は一つ。弟のように可愛がっていた、幼なじみが死んだのである。
「まさか、あの出世頭の坊ちゃんが死んじゃうなんてね」
哀しげに、通り過ぎる霊柩車を見つめ彼女は呟く。ああ、こんなにも時は経ってしまったのかとため息をついて。
僕は人のために、この街の人を助けるために生きたいんだ!
壮大でドラマティックな夢を、その坊ちゃんが語って早70年。若い娘はすっかり老け、坊ちゃんはぽっかり逝ってしまった。それでは、次に逝く者は紛れもなくこの老婆であろう。その抗いようのない事実を老女自身も自覚していた。
だからといって、ただ死を目的として残りの数日を生きるのも味気ない。どうせなら、お気に入りのカラフルなエプロンワンピースを着て、坊ちゃんの元へ花を届けてやろうじゃないか。「式場へのご案内」と彼の字で書かれた手紙を見た瞬間から体は動いていた。
「俺の葬式には花を頼むよ、神の使徒さん。勿論、聡明な青のリボンをかけてね」
若かりし頃、かの実業家が冗談めかして言っていた言葉。その時の笑顔が脳裏に浮かんで、式場の戸をくぐる老婆の顔は微笑んでいた。
彼女は予め神の使徒のために開けられている扉を通る。そこは満席で、ハンカチを顔にかざす人々で埋め尽くされていた。
そして、彼らの先には、さめざめと泣く参列者達を黙って見つめる市長の姿があった。
「坊ちゃん。お迎えの時間ですよ」
皆が献花台に花を捧げている中、彼女はそれをぴょんと飛び越える。透明な状態の彼女を気に留める者はおらず、気づく者は同じく透明な市長以外いなかった。
「...これは............そうか、死んだのか。私は」
彼が半透明の手を天高くのシャンデリアに翳せば、その光は手を貫通し彼へと突き刺さる。眩しくて堪らない、とばかりに目を瞑る彼は、未だに半信半疑の死を感じているようだった。
「坊ちゃん。大丈夫かい? 準備が出来たら言っておくれ」
死んだ後、人々は様々な反応を示す。その場に泣き崩れる者や、死んだと言う事実に意気消沈する者と色々いる。その中でも彼は冷静な方だった。しばしの沈黙の後、彼は目を開き老婆の方を向く。
「...いや、大丈夫だ」
「そうかい。少し窮屈だが、ここにちょっとの間居てもらうよ」
老女は腰につけたランタンを指し、こんこんとガラスを叩く。そこに火はついておらず、新品らしき蝋燭が立っているのみだった。しかし侮るなかれ、ヴィンテージという言葉が似合うそのランタンは、魂の熱さにも耐えることができる特注品であった。
その独特のシェイプに彼は既視感を覚え、すぐにそれが何であるか理解した。
「使徒のランタン...だろう? 母さんがよく読み聞かせてくれたよ」
「ご名答。そうさ、私は俗に言う、神の使徒だからね」
「やっとだよ。やっと答え合わせができた。ずっと気になっていたんだ」
ひとしきり笑いあった後、彼らは献花台を一瞥する。一本、また一本と捧げられてゆく白い花が時間の経過を二人へ伝えていた。もう行かなくては。そう認識した瞬間、二人はしんみりとした気持ちで胸がいっぱいになった。
「これで悔いはない。満足したよ、ナタリー姉さん」
「...ハロルド。幸せ、だったかい?」
彼女らしくない、しおらしい声がナタリーの口から零れる。それが献花台から去る人の靴音にかき消されそうになるぐらい、小さいものであったにも関わらず、ハロルドは明朗に答えた。
「ああ、勿論。いい人生だったとも」
刹那、彼の声が消え、代わりとしてランタンに青の炎が灯る。その力強い光は、彼女を一気に現実へと引き戻した。泣いてはいけない。ただ花を捧げなくては、と。
彼女は左腕にかけられた花籠から、白い一輪を引き抜く。青いリボンがかけられた花はみずみずしく、生命の美しさを讃えているようだった。柩で眠る彼を起こさぬよう、その一輪は彼の手にゆっくりと添えられる。
「こちらこそ。私の人生を彩ってもらえて、嬉しかったさ」
ちょうど老女が仕事を終えた頃、最後の参列者が花を捧げていた。黒ベールで喪を纏う参列者の顔は泣き腫らしたせいで目が赤くなっている。その顔を見て、何故か彼女は安堵の息を漏らす。「あの、人たらしめ。愛されてたんだね」なんて、泣き笑いしながら。
──────────────────
ある日の朝、葬式が執り行われた。街で一番大きい教会へ人々が数多く現れ、黒い喪服に白いハンカチを身につけて故人の死を悼んだ。会場の近くには、四頭立ての大きな馬車や、子だくさんの夫婦が不思議そうに首をかしげる子からすすり泣く子までを引き連れてやってくる。年齢から年収、性別を問わず訪れる人々にはある共通点があった。教会に集まった誰もが、親族、または友人の葬儀にて今は亡きナタリー・フローリッシュからの花を目にしたということである。
そんな喪服の群れに、ある一人の女性も混ざっていた。その人の名は、アイリーン・ブラウン。今は亡き市長の秘書であった人だ。
彼女はブロンズの髪をなびかせ、教会への道を歩く。だが、市長の葬儀の時とは異なり、黒いベールは身につけていなかった。何故なら、彼女は泣き腫らすどころか、強い意志を持った目で前を見据えていたからだ。
アイリーンは案内状を受け取った際、直感に近い何かを感じていた。
私は、この人に感謝を伝えなければならない。
その強い思いが彼女を動かし、この教会の前に立たせている。その意思だけは、この度参列した者全てに共通していた。
全ての人が着席し、席が最後尾まで埋まる中、式は執り行われた。これはこの街の葬式において珍しいことであった。大抵は故人の親族、故人と懇意にしていた者だけが葬式に参加する中、今回のように街中の人が集まるのは異例中の異例。牧師は一瞬ぎょっとした目をして、聖書と参列者の数を忙しない目で追った。
一瞬は驚いたものの、牧師は気を取り直したのかすらすらと水が流れるように聖書の一節を読み上げる。神に使える者として、私情は挟むべきではないと分かっているが、牧師は読み上げる声に力を込めずにはいられなかった。なぜなら、この牧師も、ここに集まる者たちと同じく若かりし頃にメメントモリの一輪を目にしていたのである。
──────────────────
人々は思い思いの感情を胸に抱きつつ、黙祷を捧げた。
その跡として、感謝、悲しみ、懐古などの感情が込められた花が、ずらりと献花台に並ぶ。一人がらんどうの聖堂にて、ナタリーの息子であるオリバーは一輪、そこから取り上げた。
「...母さん、こんなにも多くの花が並ぶなんてな」
彼は感嘆した様子で、透明な母へと呟く。このように故人と短い会話を交わせることこそ、神の使徒としての特権であった。
「なんだい。もう死んでるんだから、ちゃっちゃと済ませておくれ」
ナタリーは素っ気なく呟いて、息子の腰にかけられたランタンを指差した。
「......そういうわけにもいかないさ。だって、僕にとって母さんは、目標でもあり師でもあったんだから」
オリバーは左手の白いカーネーションをナタリーへ見せる。凛と咲く花には純白のリボンが蝶々結びになって巻きついていた。
「それだけ大切にされていたって事でさ。この言葉は受け取ってくれよ」
「......あんたもあの人と同じことを言うんだね。この照れ屋で有名な私にさ」
「はは、父さんほどではないさ。母さんに「次はあんたが花を捧げてくれ」だなんて言われた時は面食らったよ」
「何を言うか。オリバー、あんたはこの手の仕事には慣れてるだろう?」
「...そんな、実の母親に捧げることなんてしたことなかったさ」
それまで気丈に振る舞っていたオリバーの顔が曇る。曇りは曇りでも、湿気をたっぷり含んだような顔だ。
そもそも、死んだ人間を死後の世界へ送り出す仕事なんて、身体は慣れたとしても心は慣れていなかった。それが親族であれば、尚更のことだった。
「なら、貴重な体験だあね。これが最初で最後のことなんだ。後悔のないようにやりな」
ナタリーは手を前に広げて、準備ができたことを示す。その動作、一瞬がオリバーには重くのしかかる。
「一度深呼吸しな。じいさんの時もそうやったんだ」
その言葉に従い、オリバーは空気を吸い込んだ。吸って。吐いて。も一度吸って、吐いた。
「おやすみ、母さん。......あと、ありがとう」
目を開いたオリバーは、そっとランタンの蓋をあける。それを見届けて、ナタリーは安心した様子で呟いた。
「こちらこそ。神の使徒さん」
ナタリー・フローリッシュ。彼女は81歳の長い生涯を、その時閉じた。長年花売り、そして神の使徒としてその街に貢献してきた彼女は、老衰という穏やかな死を迎えたのである。
彼女は幸せであった。天から送られた案内状を手にした人々に、花を捧げられたのだから。
「メメントモリの一輪」