一章
天の都において、主な旅行先といえば他国のエリアへ行くことか、地の都や獄の都へ行くことが挙げられる。しかし、その選択肢の中でも珍しいとされるものが一つある。それは獄の都へ行くことだ。
古来は生を得るのが難しく、それを救うものとして天の都の神々は考えられていた。しかし現代では、ある程度の生は保障され、それが当たり前のものとして考えられるようになってきた。無神論の登場である。
しかし、現代の人々にも逃れられないものが唯一あった。「死」という概念である。
死後の世界は現代においてもなお、誰もわかることのできない一種の聖域として認識されている。その世界に対する恐怖や畏怖、それらがまだ続いているからこそ、獄の都は信仰を失っていない。すなわち力を失っていないのだ。そして信仰心は未知への畏怖や恐怖に起因する。だから仕方のないことでもあった。
しかしそれは衝突を生んだ。一つの都が天の都と地の都に分かれてからというものあり続けた溝を、ますます深くしたのだ。
それもあってか、長年渡航の難しい時期が続いてきた。しかし今、櫻子のような使節が派遣されるまでには関係が改善されてきたのだ。
「今回の仕事は獄の都との平和協定の交渉、ということはわかったか?」
数多の巻物が積まれ、クリーム色のものから純白のものまで揃えられた書類の棚に囲まれた部屋が四季の仕事場だった。重厚な雰囲気が包み込むここでは、今回の仕事がより一層重要なものだと感じさせた。
「何故私達が今回の仕事を?」
「ああ。私は顔が広くてな。獄の都の長とも旧知の仲なんだ」
ベールに包まれた都の長。通称閻魔将軍。その目は血のように赤く、冷酷な性格をしていると伝えられている。そんな人物とも知り合いとは、自分の父親ながら櫻子は不思議な人だと感じた。
「それで、今回交渉役を任されたと」
「そうだ。そしてお前は私の娘だろう?きっと悪くはならないだろう」
娘。確かに櫻子は四季を司る神の娘だった。しかし、体には人間の血も巡っている。それもあってか、中には櫻子を軽蔑の目で見る者も少なくなかった。
きっと今回の仕事をこなせば、評価も上がるのかもしれない。櫻子はしっかりと四季を見据え、頷いた。
「承知しました。......必ずや、成功させて見せましょう」
開かれた瞳を一瞥し、四季もゆっくりと頷いた。
「よろしい。では、協定書の草案をよく読んでおくように。そして、五日後に会議がある。そこで交渉の内容をどのようにするか決めるだろう」
ひら、と差し出された薄い紙束。濃く「協定書草案」と書かれたそれを、櫻子は両手でしっかりと受け止めた。
しかし、これまで重要な役割を任されたことがなかった櫻子は、少し不安を感じていた。
同世代の同じ神の子供たちは、今の年齢になると他国との外交の場に駆り出されることもしばしばある。しかし櫻子は身体に混ざった人の血ゆえにそのような機会が回ってこなかったのである。父親である四季も、数々の集まりの中でその不平等、軽蔑を感じ取っていた。
やがて櫻子は、その不安から決別するかのように瞳を閉じ、開いた目を四季へと向けた。
「...ええ。必ずや、成功させてみせますとも」
その言葉は、もしかすると掠れていたかもしれない。けれども、そんなものは飾りに過ぎない。四季はその声の奥にある意思を確認すると、大きく頷いた。
「それでいい。期待しているぞ」
こうして、櫻子は異なる地へ赴くこととなった。
古来は生を得るのが難しく、それを救うものとして天の都の神々は考えられていた。しかし現代では、ある程度の生は保障され、それが当たり前のものとして考えられるようになってきた。無神論の登場である。
しかし、現代の人々にも逃れられないものが唯一あった。「死」という概念である。
死後の世界は現代においてもなお、誰もわかることのできない一種の聖域として認識されている。その世界に対する恐怖や畏怖、それらがまだ続いているからこそ、獄の都は信仰を失っていない。すなわち力を失っていないのだ。そして信仰心は未知への畏怖や恐怖に起因する。だから仕方のないことでもあった。
しかしそれは衝突を生んだ。一つの都が天の都と地の都に分かれてからというものあり続けた溝を、ますます深くしたのだ。
それもあってか、長年渡航の難しい時期が続いてきた。しかし今、櫻子のような使節が派遣されるまでには関係が改善されてきたのだ。
「今回の仕事は獄の都との平和協定の交渉、ということはわかったか?」
数多の巻物が積まれ、クリーム色のものから純白のものまで揃えられた書類の棚に囲まれた部屋が四季の仕事場だった。重厚な雰囲気が包み込むここでは、今回の仕事がより一層重要なものだと感じさせた。
「何故私達が今回の仕事を?」
「ああ。私は顔が広くてな。獄の都の長とも旧知の仲なんだ」
ベールに包まれた都の長。通称閻魔将軍。その目は血のように赤く、冷酷な性格をしていると伝えられている。そんな人物とも知り合いとは、自分の父親ながら櫻子は不思議な人だと感じた。
「それで、今回交渉役を任されたと」
「そうだ。そしてお前は私の娘だろう?きっと悪くはならないだろう」
娘。確かに櫻子は四季を司る神の娘だった。しかし、体には人間の血も巡っている。それもあってか、中には櫻子を軽蔑の目で見る者も少なくなかった。
きっと今回の仕事をこなせば、評価も上がるのかもしれない。櫻子はしっかりと四季を見据え、頷いた。
「承知しました。......必ずや、成功させて見せましょう」
開かれた瞳を一瞥し、四季もゆっくりと頷いた。
「よろしい。では、協定書の草案をよく読んでおくように。そして、五日後に会議がある。そこで交渉の内容をどのようにするか決めるだろう」
ひら、と差し出された薄い紙束。濃く「協定書草案」と書かれたそれを、櫻子は両手でしっかりと受け止めた。
しかし、これまで重要な役割を任されたことがなかった櫻子は、少し不安を感じていた。
同世代の同じ神の子供たちは、今の年齢になると他国との外交の場に駆り出されることもしばしばある。しかし櫻子は身体に混ざった人の血ゆえにそのような機会が回ってこなかったのである。父親である四季も、数々の集まりの中でその不平等、軽蔑を感じ取っていた。
やがて櫻子は、その不安から決別するかのように瞳を閉じ、開いた目を四季へと向けた。
「...ええ。必ずや、成功させてみせますとも」
その言葉は、もしかすると掠れていたかもしれない。けれども、そんなものは飾りに過ぎない。四季はその声の奥にある意思を確認すると、大きく頷いた。
「それでいい。期待しているぞ」
こうして、櫻子は異なる地へ赴くこととなった。