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一章

明くる日の昼下がり。帰りの電車を待つ櫻子の頭に、一つの出来事が浮かんだ。それはあの晩餐が終わってからすぐ、閻魔に言われたことだった。

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「煙は嫌いか?」

「いえ、お構いなく」

閻魔は茶色い葉巻を持ち、返答を待ってから片手でマッチを擦り火をつけた。それをすっと口に含み、まるでため息をつくように紫煙を吐き出す。ほわりと流れてゆくそれは、やがて離散し、煙から苦い香りへと変わっていった。
とんとんと灰皿を叩き、一連の動作を終えた閻魔はゆっくりと櫻子を見据えた。

「そうだ、伝えていないことが一つほど。物史については暁月が"一番"知っている。何か聞きたいことがあれば聞くといい」

その言葉を聞いて、霊華は軍帽を深く被り恭しく頭を下げる。

「私の肩書きですが、一応警察幹部の末席を汚させて頂いておりまして」

「それだけではないだろう? 遍歴は」

閻魔が凍てついた声で話せば、それは霊華の肩を硬ばらせた。哀しみと後悔の色が目に映り、やがて自分でもそれを笑うかのように霊華は喋り始めた。

「......ええ。この際ですし、話して仕舞いましょうか」

「私は8年前まで、第十五監獄、すなわち堕天した者だけを収容する監獄の監獄長でした。そこで、幼い彼女の世話をしていたのも私です」

霊華ははっきりと、指をそっと胸に当てて話した。
それまで櫻子は「一番」という言葉の意味を考えあぐね、ただ霊華が話し始めるのを待っていた。しかしその意味を理解した瞬間、櫻子は一つの仮説に辿り着く。もしかすると、華子の記憶が抜け落ちているのも、華子が投獄されたから?しかし幼い彼女が罪を犯したのだろうか。
その答えが導き出されたのと同時に、閻魔はゆっくりと頷いた。

「一族もろとも、というやつだ。貴様が幼子の時の出来事だ、そう珍しくはないだろう」

「やはり......しかし何故、今になっても釈放されていないのでしょうか」

櫻子は純粋に、浮かんだ問いを口に出した。また考えを巡らせてみるが、すっきりとした答えは得られぬまま。それもそのはず。櫻子は獄の都の基準を知らないどころか、天の都の罪人が地底の監獄に投獄されるなど、これまで知る由もなかったからだ。
答えを求めて二人の方を見るが、彼女らは何も言わず、ただ櫻子を見つめ返すだけだった。その様子に困惑していると、閻魔はにやりと笑う。

「すまない。ここから先は有料なんだ」

「はは、わかりました。次の協議には料金を支払わせていただきますよ」

やはりか、と苦笑を浮かべ、櫻子はまた考えだした。帰ってから忙しくなりそうだ、とぼんやり煙の溜まった天井を見上げた。

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回想を続ける櫻子を、到着列車のけたたましい汽笛が遮る。慌てて行き先を見れば、それは天の都行きの数少ない列車だった。
あぶないあぶない、と急いで荷物をまとめ上げ、黄色い線のスタートラインへと並ぶ。しかしその線に並ぶ者他におらず、減速しやがて止まった機関車に乗り込むのも、また櫻子しかいないのだった。

「......一旦お別れね。この都とも」

その瞬間、不意に吹いた風が、櫻子の名残惜しく思う気持ちを刺激した。その気持ちに従い、振り返るようにして空を見上げる。水彩画のようなタッチで相変わらず黄昏を続ける空。それは改めて見ても良いものだと、櫻子は感じた。

「......華子も、この空を見てたりするのかしら」

そのか細い呟きも、また吹き返してくる風に攫われ、どこかへと飛んで行った。

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「......見ているよ。今はね」

五尺ほどの背丈の少女が、流れてきた呟きを拾う。ぱらぱらと暴れる長髪を抑え、彼女は屋上からの空を見上げた。

「ごめんなさい、霊華さん。櫻子」

「...でも、どうか待っててね」

太陽を焦がしたような瞳が夕陽を反射する。その目に迷いはなかった。

「この身は、御母様と御父様のために」

ふわり。彼女は飛び降りるように、そこから消えていった。
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