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一章

朝。昔から素晴らしいと謳われているそれは、彼女にとっては苦痛以外の何物でもなかった。太陽は無遠慮に窓を越えて差し込んでくるし、鳥達は朝だ朝だと騒がしく鳴いている。それらの前向きな朝の活動は、少々悲観主義者である女にとってはちと耳が痛いものばかりだった。
彼女は起きて早々、差し込んでくる日光を払いのける。もっとも、日光はたかが一人の人間に左右されるものではない。無遠慮にまた隙間へと入り込み、彼女の視界を遮る。結局何も働くことなく手は持ち主の元へと戻ってきた。それもこれまでと変わらない。何回か暗くなって晴れるの繰り返しが毎日。ああ、また続いているのか。膨大なほどの朝に女は気が弱っていた。

「もう、朝か……」

何億回と繰り返してきた朝を、女は今日も繰り返す。いつの日か溜まっていた積み本も、どんどんとそれらに侵食されつつある机も、昨日や一昨日となんら変わっていなかった。
女はまどろみつつ、今日は何日だったか、と思考を巡らす。しかし、いかんせん何千年と生きているからか思い当たらない。彼女や彼女の友人、果てはこの都に住む者ならば、よく陥ることだった。
目の焦点もなんだかぼやけて見える。歳は取っていないはずなのに、体は年相応に、勝手に振る舞い始めることに櫻子は不安になっていた。不老不死なんて嘘じゃないか、そんなことを身を以て感じるのだから、余計不安も増す。一抹の不安は朝の肌寒さと重なり、櫻子の体をぶるりと震わせた。
すると、部屋の襖が開いた。そこから義理の妹、水仙が顔を覗かせる。深緑を閉じ込めたような瞳をぱちぱちと瞬かせ、頰にかかった髪を横に流す仕草はどこまでも可憐な少女だ。腰ほどまでに伸びた髪は結わえられておらず、重力に従って絹のような髪が伸びていた。

「姉様。おはようございます。今日は週の始まりですよ」

水仙は笑みを浮かべ、まるで櫻子に返答するかのように話した。特別この瞬間だけ水仙の勘がよかったわけではない。

今日は傘が必要でしたね。用意しておきました。
姉様が買おうとしていた本、買っておきましたよ。...え?何も言っていないのになんで、ですか。
おかえりなさい。来週の週末、お休みを取れたのですね。よかったじゃあないですか。

これら全て、櫻子が何かを言う前に言われたことである。流石に仕事から帰ってきて開口一番に言われたことがそっくりそのまま言われた時は櫻子も腰が抜けた。

今回も櫻子はあいも変わらず先を越されたようだった。全部知られているみたいで、櫻子としてはなかなかに気味が悪かった。ぞくり、と粟立つ感じがして、櫻子は目をそらした。まあ初めて会った時からこうなのだから、流石に慣れてきたが。

「...そう」

「ふふ、つれない方だこと」

「......なんとでもいいなさい」

櫻子がつんとした態度をするにも理由がある。それもこれも、にや、と笑う水仙の顔が、妙に不気味だからだ。決して醜いというわけではない。逆に美しい、いや絶世の美女と言っても差し支えないだろう。しかし、醜いとは正反対の美しさが、なぜか行き過ぎたものに感じられるのだ。
もし水仙が普通の顔立ちであれば「なんだかつかみどころのない奴」で終わるだろう。だがそのつかみどころのなさを常に感じさせる要素として、水仙の美貌はついて回った。
そしてもう一つ、その水仙が義理の妹であることも一つの要素だ。それも出会って半年。その二つが、二人の間に大きな壁を生んでいた。

水仙がずっとこちらの目を見て話すものだから、言葉が途切れたその時、櫻子は大変に気まずく感じた。そこから目をそらすのも同様に気まずく感じ、仕方なく見つめ返していると、水仙も嬉々として見つめてきた。こうなると意地の張り合いだった。

「...ああ、そうでした。それはそうと、よいのですか?」

数秒の凪の後、水仙が思い出したかのように問いかける。思いのほか簡単に外された視線にほっとしつつ、櫻子は水仙が何を指しているのか問いかけた。

「何が?」

「時間、危ないですよ」

時間。その言葉に従い、思わず見回せば時計は真上に登ろうとしていた。そういえば今日は早くに出ないといけないんだっけか。あーそうか遅刻かーと呑気に笑っている暇はなかった。さあっと引いていく血の気。勤めてこのかた破ったことのない無遅刻の称号が、今日ついに破られてしまうのか、とマイナスな事ばかり櫻子は考えていた。しかしそうこうしている間に時計の針が、今、真上へとたどり着いてしまったようで。

「...手伝って」

そう櫻子が言葉を零せば、水仙は一言も言わずとも服を差し出してきた。それはいつも着慣れた巫女服で、そこに皺は一つもなかった。櫻子が驚いた顔で見やれば「姉様のためにやっておいたんです」と目を弦にして水仙は言った。

「ありがとう、本当助かるわ」

「ふふ、さあ皆姉様を待っていますから」

ほんとありがとう、と復唱して駆けていく櫻子。慌ただしい姉の姿を、水仙はただ見つめていた。
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