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 軍の宿舎に、朝日が降り注ぐ。穏やかな陽気は窓から差し込み、人々の瞼に目覚めを与えていた。
 遠く響く点呼の声を聞きながら、アレックスはベッドに腰掛ける。

「……手酷く抱いてくれたな」

 戦場での高揚は獣のような昂りを呼ぶには十分だったが、アリベルトが枕に沈んだ後もアレックスは起きていた。
 熱と存在を確かめ合う力強い抱擁と、相手の持つ精力を丸ごと喰らう激しい情交。幾度も夜を共にした二人だったが、最後に相手の寝顔を見つめるのはアレックスばかりだった。
 常人の中ではベルトは巧い部類なのだろう。けれどアレックスはそれを上回り、快楽を受け止めることに長けていた。
 事実として、アレックスが気を失ったのは初めの一度のみであった。
 世界から剥離したばかりのアレックスにとって全ての刺激は等しく過激だったが、名付けは身体を交わすよりも一層深く、精神に刻み込まれていた。重なった身体から伝わる熱よりも、鼓膜に響く低温の声よりも。
 魔力を込めて行われた名付けに本人たちの自覚は無かったが、高まった性感と相まって増幅された多幸感はアレックスの思考を掻き乱し、幾度も重ねることになる夜のうち唯一、その夜ばかりは意識を手放した。
 そうあれと示すもの、そうあるべきと定めるもの、あるいは、そうであると断じるもの。名とは存在そのものの枠であり、世界から切り離されたことの証左だった。

「無防備な……我が反旗を翻すとは思わぬのか?」

 寝息を立てるアリベルトを覗き込めば、戦場を駆けた血塗れの横顔とは打って変わって穏やかな表情が目に入る。閉じられた瞼はカーテン越しの朝日程度では開かず、睡眠の深さを示していた。
 逆立った毛並みの野生動物のような、全てを傷付けてやろうとばかりの殺気は何処かへ。余りあった魔力を精力として発散できたが故のものなのか、その平穏の由来は定かではなかったが。
 ふと、寝顔に手を伸ばし頬に触れる。水気のない皮膚はアリベルトの年齢よりも幾分老いている印象だった。
 ――それも当然だろう。身体を重ねる毎にアレックスの消耗を癒すアリベルトの精力は、彼の生命力がそのまま変換されたもの。魔力と精力、生命力が同じエネルギーを根源とするこの世界で、魔力で維持される概念の欠損を埋めるのは、そのまま寿命を削るも同然の行為だった。
 陽を受けて色の変わった瞳は水底の静けさで、アリベルトを見つめる。その面差しは相変わらず彼に似ていたが、千変万化の変貌を誇るその横顔は今、美しい女性のそれであった。
 求められるままに、触れた指先から読み取った好みに合うように。無意識に整えられた顔。
 ごく自然に、もう精力を得るのはやめようと、脳裏に過ぎる思考があった。けれど未だ形を得ていない感情に明確な名前を与えてはいけないと、アレックスは意識を逸らした。

「……」

 自らの術の行く末すら知らなかった、生まれ落ちたばかりのそれが、主にかけた呪い。
 ――最も強い執着の形は、魂を分かち取り換え、引き寄せ合うこと。
 今ならば理解できてしまう。己が紡いだ魔術の意味を。
 後悔は既に遅く、胸に巣食ったアリベルトの欠片は、そっとアレックスを締め付ける。

「……何故こうなってしまったのか……」

 解けない魔術ではなかったが、既に主の魂に馴染んだ己の片割れがそれを拒む。
 第三者として管理するのは容易なものだった。けれど意思持つ者として当事者になってしまえば、自らの感情の行く先を定める術故に、その解呪は困難だった。
 アレックスは煩わしい思考の一切を振り払うよう頭を振り、目を閉じる。このまま、いつかのように。意識を手放してしまえたら。
 けれど、瞳を閉じたとて。眼裏に揺蕩う闇は睡眠ではなく、瞬きと等しい。五感が一つ閉じられたことでより鮮明になった倦怠が、四肢をゆるりと重くする。人に似た体は腰の痛みと喉の渇きを訴え、そしてその不快を悪く思わないこと自体がアレックスにとっては誤算の結果そのものだった。
 瞼を開き、もう一度、アリベルトを覗き込む。頬が触れ合うほど顔を近付け、黒く長い睫毛に縁取られた目を見た。
 血色の瞳は勿論、瞼の奥に隠されて見えなかったが。

「……なあ、主様。お前にとっての我は……」

 言い淀んだという事実すら癪だった。
 すぐにベッドから立ち上がり、身体の周囲に最低限の衣類だけ構築する。

「……水を汲んでくる」

 つい口走ったその言い訳は、眠った相手に対して果たして必要なことだったのか。
 部屋を後にする、その間際。やはり振り返り僅かな間すら名残惜しく感じてしまう己が――その瞼の裏の暗闇を共有したいと、今度こそ明確に思ってしまったことが――腹立たしく。そんな自分を置き去りにするように、ドアを閉めた。
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