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病める時も健やかなる時も(狛村佐陣)

9.十一代目剣八

 翌日の佐陣は、仕事が全く手につかなかった。
 ふとした瞬間に昨夜の情事が頭によぎってしまうのだ。
 後悔はしていない。だが、自分の軟弱な精神に嫌気がさしていた。
 佐陣は筆を置いて隊主室を出た。副隊長に一言告げて、早めの昼にすることにした。
 
 精神を鍛えねば……。
 思慮をしながら歩いていると、突然警報が鳴った。何事かと顔を上げると、直ぐに伝令が来た。
「流魂街の住人が、鬼厳城剣八に決闘を申し込んだもよう。手隙の隊長格は即刻十一番隊舎にお集まりください」
「何?」
 良いのか悪いのか、煩悩は消えた。

 佐陣が十一番隊舎闘技場に到着すると、元柳斎、砕蜂、市丸、藍染、朽木、京楽、東仙が並んでおり、周りには十一番隊士およそ200名が端に並んでいた。
 鬼厳城は気だるそうに刀を持ち、腹を掻いていた。隊主会に出ない鬼厳城を見るのは、隊長になってから初めてだった。最後に見た頃より太ったように見える。
「お待ちください!まだ準備が……!」
奥の方から声がしたかと思うと、鈍い音がして声がやんだ。
 闘技場入口の扉が蹴破られ、ボロ雑巾の様な布を纏った、目つきの悪い筋張った男が大股で入って来た。顔の左側には額から顎まで届く傷があり、手に刃こぼれの酷い刀を持っている。
「剣ちゃーーん、頑張れーーー」
大男の後ろから、桃色の髪をした少女が出てきた。
 妹?いや、娘?
「こら君!離れていなさい!」
十一番隊副隊長が少女を除けようとすると、少女が目にも止まらぬ速さで副隊長の後ろに回ったかと思った瞬間、副隊長の首が不自然に曲がった。
「アハハハハハ!!折れちゃった!!」
少女の高笑いと共に、副隊長の体が人形の様に倒れた。微かに痙攣しているが、あの曲がり方では助からない……。
 少女のあどけない風貌からは想像もつかない動きと、残酷さだった。
 皆が息を殺した張り詰めた空気の中、砕蜂が前に出たかと思うと、少女を指差した。
「捕らえよ」
「手えだすな!!!」
砕蜂の声をかき消すように男が叫んだ。少女を捕らえようとしていた警羅隊達に向かって、男が刀を向けた。
「その死体は副隊長だな?知ってるぜ、副隊長は隊長が指名出来るんだろ、なら、俺が勝ったら『やちる』を副隊長にしろ」
「モノの道理を知らぬ獣が。そやつはまだ副隊長どころか死神でも無い。権限はこちらにある」
「やめよ砕蜂」
元柳斎が砕蜂を止めた。まさか止められるとは思っていなかった砕蜂は、目を見開いて元柳斎を見た。
「この場合に限り、殺された赤貝副隊長が悪い」
「例外を作られるのですか、総隊長殿」
砕蜂は納得できないと訴えるように元柳斎を睨んだ。
「十一番隊だけは、儂の権限で動かせぬ」
砕蜂はしばらく元柳斎を睨んでから、舌打ちをして、警羅隊を下がらせた。
 それを見届けた男は鬼厳城に向き直り、刀の嶺を肩に担いだ。
「よう、待たせたな。始めようぜ」
「貴様の死刑をか」
鬼厳城が男を見下ろし、鼻で笑った。男は鬼厳城の言葉に驚くでも、怒るでも無く、笑った。
「馬鹿言うな、てめえのだ」
男の挑発に鬼厳城が乗り、男に切りかかった。
 
 鬼厳城剣八は、代理の隊長を殺して剣八の名を襲名した。代理とは言え副隊長だった者を破った実力は御艇の全員が知っている。
 その男の首が、空中にある。
 体は刀を振り下ろした時のまま、硬直していた。
 次に佐陣が瞬きした瞬間、鬼厳城の首は地面で跳ね、首から血が吹き出て男に振りかかった。
 血飛沫が降り注ぐ中、男からは勝利した喜びも、殺してしまった怖れも感じられず、ただ残念そうな顔をしているだけだった。
「なーんだ。すぐ死んじゃったね」
やちると呼ばれた少女も、残念そうな口調だった。死体をまるで壊れた玩具のように見る少女が、佐陣には恐ろしかった。

 男は死体になった鬼厳城から目を離し、隊長の列に目を向けた。
「これで、俺が剣八か?」
「左用。今からお主が十一代目剣八じゃ」
元柳斎の言葉に、新しい剣八は歯を見せて笑った。正に獣と呼ぶのに相応しい、禍々しい笑みだった。
「俺の名は、更木剣八!!覚えろ!今から俺が、剣八だ!」
更木は、周りの隊士達をグルリと見回しながら叫んだ。隊士達は更木の強さと勢いのある言葉に気圧されて、誰一人反応出来ずにいた。ただ一人、やちると言われた少女だけが、飛び跳ねながら喜んでいた。
 笹木部副隊長と元柳斎が手続きの為に更木とやちるを連れ出し、面々は解散した。
「奴は、殺ししか興味の無い獣だ」
佐陣の隣に並びながら東仙が重々しく言った。後ろで砕蜂と白哉も同じような事を話していた。
「知性の欠片もない……」
「あんな野獣のような奴が御艇の隊長になるのか。先が思いやられるな」
 皆が口々に更木を獣と罵った。その話を聞きながら、佐陣の中に2つの感情が生まれた。
 皆が更木を獣と呼ぶ事で、更木への優越感を感じていた。獣は儂では無く、あ奴なのだ、と……。
 そして、比較する事でしか、自信を持てない事への自己嫌悪……。
 佐陣は2つの感情を押し込めて、東仙との会話に集中した。
 早く朝に会いたかった。また朝に、心ある武士だと言ってもらいたかった。

 佐陣は家に帰ると、新しい隊長が来た事を話した。
「前の隊長様はどうされたのですか?」
「……殺されてしまった」
朝は箸を落として、両手で口を押さえて驚き、顔を青くして怖がった。その反応は、今日あの会場で誰もしなかった反応だ。
 死に慣れ過ぎた者達は、死への恐怖が麻痺しているのだ。
 案外、あの場に居た全員、獣なのかも知れぬな……。
「すまぬ。怖がらせてしまったな」
「死神は……直ぐに死んでしまいます。それが、佐陣様のいらっしゃる場所なのですね……」
朝は項垂れて、酷く不安そうにした。
「ああ、儂も他の誰もが、あの場所で感覚がおかしくなってしまっている。朝よ、お主だけはそのままで居てくれ。お主が死を恐れてくれれば、儂は元に戻れる」
「…佐陣様は、死なないでください」
「ああ、必ず戻って来る」
朝は微笑んだ。無理しているのが分かった。
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