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三服の香り(伊勢七緒)

4.イケない事

 着替え終わると、七緒は眼鏡をかけて、濡れた死覇装を持ち、外に出た。
 軒先で、寒山がキセルを吸っていた。
「あの、着替え、ありがとうございました」
「濡れたやつ、干しておきなよ。今日なら、大分乾くんじゃないかな」
そう言って寒山は、キセルを持っている手とは反対の方の手で、家の角裏を指差した。七緒がそっちに歩いて行くと、物干し竿に、さっきまで寒山が着ていたからし色の着物がかけてあった。
 からし色の着物の横に死覇装をかけると、寒山の元に戻った。
「一服、する?」
寒山はキセルを七緒に差し出したが、七緒は首を横に振った。
「吸わないんだ。確かに、吸わなさそうだね、君」
「京楽隊長は吸います」
寒山はキセルを口に持っていき、軽く吸うと、上に向かって煙を吐いた。
「そうだろうね。色街にも行くし、酒も異様に飲むだろう」
寒山は横目で七緒を見ながら、確認するように言った。
「何故、あなたが、京楽隊長をご存知なんですか」
寒山はキセルが七緒に近づかないように掲げて、顔だけを近づけ、口元で笑った。
「僕が教えた」
随分長生きだと、寒山は言っていたが、京楽と同年代とは予想外で、七緒は目を見開いた。
 寒山はその場に腰をおろすと、横に手をやり、七緒にも座るように合図した。それに従って、七緒は寒山の横に座った。
「春水に会ったのは、僕らがまだ子どもの頃で、アイツは上級貴族のくせに、家を嫌ってた」
寒山はまたキセルを吸い、煙を吐いた。煙を吐き終わると、タバコ盆に灰を捨て、七緒を見た。
「反抗期だったんだろう。家を飛び出して、こんな場所まで来てた。よく殺されなかったと思うよ。春水は、川に飛び込んだり、魚を取ったりしてる僕を、草かげから見てて、それで、僕は声をかけたんだ」
寒山は笑った。
「それが出会い」
キセルに刻みタバコを入れながら、寒山は話を続けた。
「アイツは、度々ここに来るようになって、僕に教えを請うた。魚の捕り方、虫の捕まえ方。どっちが高い所から川に飛び込めるか、なんて競争もした」
寒山の目には懐かしさが宿り、七緒はその目に見入った。
「歳があがると、僕は春水に酒を教えて、タバコを教えて、女を教えた」
懐かしさの中に、男の暴力性を含んだ目で、寒山は七緒を見据えた。
「僕らは、色街に入り浸って、男としての楽しみに没頭して、堕落していった」
若い頃の寒山と京楽が二人で居るのは、簡単に想像できた。
「だけど、春水が死神の学校に入ってからは、疎遠になってね。僕は精霊艇に入れないし、アイツも忙しい。と言うより、親友ができたんだろう。尊敬し合える」
「浮竹隊長、の事ですか?」
「そうだったっけかな。名前は覚えてないんだ。随分前に聞いたから」
「今も、会う事はありますか?」
「デッカイ抗争があるとね、春水が様子を見に来る。僕が、余計な殺しをしてないか、確認するんだ」
「それだけ?」
「それだけ」
何と声をかけていいか分からず、七緒は黙って寒山を見つめた。寒山は七緒の視線に気が付き、口元で笑って、キセルに火をつけた。
「…吸って見るかい?春水もはじめは、このタバコだった」
寒山はキセルを差し出し、七緒の口元に持っていった。
 言い訳をして断ろうと思ったが、吸い込まれるような寒山の目を見ていたら、自然と口が開き、キセルを入れられた。寒山の指が、七緒の唇に当たった。
「強く吸わないで、啜るように……短く吸うんだ」
低くかすれた声に誘導され、七緒は息を吸った。煙が肺に入り、思わずむせた。
「ハハッ。春水も、はじめはむせてたなあ。ほら、次は自分でもって」
寒山は七緒の手を握り、キセルをもたせた。七緒の手を包むようにして、寒山はまたキセルを七緒に咥えさせた。
「上を向くと灰が口に入るから、下を向くんだ」
次はむせずに吸えた。口から煙を吐くと、優しい寒山の目に気付いた。
「……うん。上手だ」
3回目の吸引が終わると、寒山が七緒の口からキセルを引き抜いた。
「キセルは三服で終わりなんだ」
寒山は灰を捨てると、新しくタバコを詰めて、七緒が口をつけたキセルをそのまま、自分の口に入れた。
「今日は随分、イケない事をしたんじゃないか?」
寒山は煙を吐きながら、七緒に笑いかけた。
「着物のまま川に飛び込んで、男の家に上がりこんで、上司のプライベート暴いて、タバコ吸って………」
そう言われると、七緒は自分の行動を後悔した。軽薄だったと思う。寒山が優しいだけで、何かがあってもおかしくない。
 七緒が返事をできずにいると、寒山はまた笑った。
「イケない事をするって、楽しいだろ?」
その優しい声に、七緒は顔をあげ、顔をしかめた。
「残念ながら……楽しかったです……」
「うん。そうだ。それでいい。君は見たところ真面目そうだ。こうやって秘密をつくると、肩の力が抜ける気がしないか?」
「………はい……」
寒山は優しい笑みのまま、七緒の髪をすくった。
「秘密を作りたくなったら、またおいで。僕だけが、君の秘密を守ることができる」
寒山の声に、七緒は息を飲んだ。
 翻弄されるこの状況を、不覚にも楽しいと思ってしまった。自分を真面目だと思っている死神の仲間には言えない秘密が、七緒の心を沸かせた。
「次は…何を、教えてくれますか………」
虚ろな目で寒山を見つめながら、七緒が聞いた。寒山は優しい笑みを崩さず、口を動かした。
「また来た時に、ね」
誘うような口調に、七緒の心は完全に持っていかれた。
 キスをしてほしいと思った。
 だが、寒山は七緒の髪から手を離してしまった。
「ごらん。あっちの雲が黒い」
寒山が指を指した方には、雨雲がみえた。
「あの、浴衣お借りしてもいいですか…?また、返しに来ます」
七緒は立ち上がり、座っている寒山に聞いた。寒山はやんわりと笑って、うん、と言った。
「死覇装は、どうする?」
「もって帰ります」
「そう」
寒山も立ち上がり、物干し竿の方に歩いて行った。七緒もついて行った。
「まだ濡れてるけど」
「家で乾かします」
寒山は物干し竿から死覇装を外してくれ、七緒に渡した。
「じゃあ、気をつけて」
「はい。お世話になりまし…」
その瞬間、七緒の唇に柔らかい物があたった。何が起こっているかは、分からなかった。
 気がつくと、寒山の顔が目の前にあり、相変わらずの優しい目で、七緒を見ていた。
「またね」
その言葉には応えられず、七緒は踵を返して走り出した。

 キスをされた。

 その事で、頭がパンクしそうだった。
 
 ああ……怖い。
 怖いけど、また、会いたい
 秘密を、作りたい。

 家に帰ると、直ぐに浴衣を脱ぎ、裸のままベッドに横たわった。

 きっと、他の女にも、同じ事をしているんだわ。

 体を抱きかかえながら、七緒はベッドに顔を埋めた。
 それでも寒山に会いたいと思う自分が、たまらなく惨めだった。


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寒山のビジュアルは、マッツ・ミケルセンがイメージです。
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