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三服の香り(伊勢七緒)

3.水浴び

 京楽に聞けば、知れた話なのかもしれない。
 だが、七緒は敢えて、京楽に寒山の事を聞かなかった。つまらない反抗なのか、寒山に会う口実なのか、はたまた両方なのか。
 七緒自身、自分がこんなにも稚拙だとは思わなかった。

 次の非番の日に、七緒はまた、白菊に足を向けた。髪はおろさなかった。
「伊勢さん」
白菊につく前に、七緒はくすぐったい声に呼ばれた。
 振り向くと、少し離れた所に、刀を腰に差した寒山がいた。着物には、大量の血がついていた。
 今までの優しい雰囲気は変えず、血にまみれている寒山は、言いしれぬ悍ましさがあった。七緒は、3回目にして、ようやく寒山を怖いと思った。
 顔を引つらせる七緒を見て、寒山は近づいて来ず、その場で合わせを開いて、上半身を脱ぎ、血が見えないようにした。
 以前に見た、色白の体が露わになり、七緒はまた見入ってしまった。
「怖がらせたね。前のお礼が言いたかったんだ」
寒山はそう言って、くるりと背を向けた。すると、背中の入れ墨の絵がハッキリと見えた。
 菩薩が、蛇に締められている絵だった。
 寒山はゆったり歩き出した。
 よせばいいのに、七緒は寒山を呼び止めた。
「あの……待って……待ってください」
七緒が駆け出すと、寒山はピタリと足を止めた。
「話を、伺いたいんです。京楽隊長の……」
寒山の背中に向かって、七緒は懇願するような声を出した。菩薩を締め殺そうとしている蛇が、七緒を睨んだ。
「あなたに回道を教えたのは、京楽隊長ですか?」
寒山はゆっくり振り向いた。優しい目だった。
「そうだよ」
七緒も寒山から目をそらさなかった。
「お二人は、どういうご関係なんですか…?」
寒山はニコリと笑って、また七緒に背を向けた。
「水浴びをしてもいいかな。体が臭くてかなわない」
「え、あ、はい……」
寒山は七緒を見ずに歩き出し、七緒は黙って寒山を追った。
 道の直ぐ脇に岩場があり、すぐ下に川が流れていた。寒山は岩の上に立つと、体を七緒の方に向けた。
「子どもの頃にさ、どれだけ高い所から飛び込めるか、競わなかった?」
「……いえ、私は……」
「そう」
寒山はそう言うと、下を見ることなく、背面から川に落ちていった。表情を一切変えることなく落ちた為、七緒の方が驚いて、寒山に手を差し伸べてしまった。
 だが、寒山は七緒の手を取る事なく川に落ちて、ドボンッという音と共に、水柱がたった。
 しばらくして寒山が水面に顔を出し、髪をかきあげて、岩の上の七緒を笑いながら見た。
「驚いた?」
「おど……?な、何を…?」
困惑する七緒を寒山は満足そうに見て、両手を広げた。
「おいで」
脈絡のない会話を繰り返す寒山に七緒は呆れたが、その広げられた腕に、強烈に惹かれた。
 白く、細い腕は、薄い皮膚から筋肉の筋が見えそうだった。上腕に入れ墨が見える。胸板も、鎖骨も、全てが妖艶だった。
 気付いた時には、七緒は岩から足を離していた。こんなめちゃくちゃな事したのは、初めてだ。
 川は思いの外深く、結構下まで沈んだが、寒山が腕を掴んで引っ張りあげてくれた。
「けほっ!けほっけほっ」
「水飲んじゃった?」
寒山は七緒を胸に抱いて、顔を覗き込んだ。七緒の頬に寒山の胸板が当たった。しっかりした筋肉がついたそれは、確かに男性のものだが、肌は驚くほど艷やかで、女性のようだった。
 寒山は七緒の頭に手を伸ばし、また髪留めを外した。濡れた髪が、頬に落ちてきた。
「やっぱり君は、綺麗だよ。髪をおろしていると、更に」
寒山は指で七緒の髪をすき、まっすぐに伸ばした。男の腕に抱かれながら、髪を触られるのは、七緒にとって、初めての経験だった。
 今までにないくらい心臓の鼓動が早くなったが、寒山の後ろの水が、赤く染まっていくのが見えて、少しだけ冷静になった。
 川から上がると、二人共びしゃびしゃで、七緒は袴が足にまとわりついて、歩きにくかった。
「風邪ひかないうちに、着替えようか」
そう言って寒山はまた歩き出した為、七緒は水を垂らしながら、寒山の後について行った。髪留めは、返してもらえていない。
 白菊では無い地区の家に、寒山は当然のように入っていき、七緒を手招きした。
「…ここ、62地区ですよ?」
「僕の家だ」
土間に佇む七緒を尻目に、寒山は濡れたまま家に上がり、タンスから手ぬぐいを2枚取り出し、1枚を七緒に投げてよこした。
「あなたは、70地区の住人じゃないんですか…?」
「白菊って名前が好きだから、そこに事務所を作ったんだ」
手ぬぐいを頭に乗せたまま、寒山はタンスを漁り、女物の浴衣を取り出した。
「これ、着なよ」
寒山は浴衣を七緒の前に置くと、自分は深草色の浴衣を持って、サッサと外に出て行った。
 七緒は顔を拭きながら、寒山が寄越した絞りの浴衣を見下ろした。
 何故女の浴衣を寒山が持っているかなんて、明白だ。私は今から、あの男が抱いたであろう女の浴衣を肌につけるのだ。
 七緒は濡れた眼鏡を置き、ゆっくりと死覇装を脱ぐと、絞りの浴衣を身に纏った。濡れた髪で、浴衣が湿った。
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