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三服の香り(伊勢七緒)

2.当て付け

 帰り道の途中で、七緒は聞き慣れた声に呼び止められた。
「七緒ちゃん」
足を止めると、左側の林から上司の京楽が走ってきた。
「京楽隊長」
「大丈夫だったかい?髪が…何があった?」
七緒は自分の髪を触り、あ、と声を出した。
「髪留めを、落としてしまって」
京楽は七緒の直ぐ側まできて、安心したようにため息を漏らした。
「何も無いなら良かった。一人で行かせてごめんよ」
申し訳なさそうな京楽を見て、七緒の心が痛んだ。
 この人は、一回たりとも私を、一人前の死神として見てくれない。確かに、今回はしくじったけど、行かせなきゃ良かったなんて、思われたくない。
「……一人でも可能な案件でした」
「70地区だ、女の子が一人で行く場所じゃない」
「私は死神です!」
やや声を荒げて言い放つと、七緒は大股で歩き出した。
 慌てて京楽が追いかけてきた。
「七緒ちゃん。君を侮辱した訳じゃない。他の副隊長の女の子だったとしても、僕は行かせなかった」
大きな男が身をかがめて、随分年下の部下に弁解する姿は滑稽だった。
 七緒は横目で京楽を睨み、歩みを速めた。
「魂魄同士の抗争は、寒山が制圧しました」
淡々と感情を込めずに七緒が言うと、京楽の顔から血の気が引いた。
「寒山に………会ったのかい?」
京楽の反応で、寒山を知らない仲では無い事が分かった。
 回道を知っている寒山。
 寒山を知っている京楽……。
 問いただしたい事は沢山あったが、それよりも怒りが勝った。
 七緒は京楽を無視して歩いていき、結局その日は、京楽と口を聞くことは無かった。

 翌日七緒は午前休をとり、酒屋に足を運んだ。
 京楽と顔を合わせたくないのもあったが、寒山にお礼をしたかった。いや、体のいい事を言って、また会いたかったのだ。
 一晩経っても、忘れられなかった。あの耳をくすぐる声と、危ない色香を醸し出す肌が。そして半分は、京楽への当て付けがあった。
 寒山に酒を渡して、また会いましたけど、と余裕ぶってやりたかった。

 白菊に着く前から、寒山の霊圧が感じられた。それを追っていくと、小さな池の前に着いた。
 寒山は向かいの池の端に座り、釣り糸を垂らしていた。
 七緒は、寒山を見ながら、ゆっくり近づいた。
 2メートル先まで来て、寒山はようやく七緒を見た。
「来ちゃいけないって、言っただろ」
昨日と変わらない、低くかすれた、耳をくすぐる声に、七緒の顔が緩みそうになり、思わず眉間にシワを寄せた。
「私は、八番隊副隊長、伊勢七緒です。流魂街の野盗くらい……」
「伊勢さん、って言うんだね」
七緒の言葉を遮って、寒山が名前を呼んだ。目を合わせると、七緒をジッと見つめる寒山がいた。七緒は思わず顔をそむけ、酒瓶の入った袋を差し出しながら、寒山に近づいた。
「昨日の、お礼です」
寒山は黙って袋を受け取り、中を見た。
「……高そうな酒だ。こんなの、いいのか?もらっても…」
「貰っていただけたら、昨日の失態を忘れる事が出来そうです」
寒山は七緒を見つめて、口の片端をあげて笑った。
「副隊長が、野盗にやられたからな」
七緒の顔が真っ赤になり、それを見て寒山が笑った。
「有り難くいただくよ。こんなの、なかなか飲めないから。子分たちにも、分けてやれる」
「やはり、組長なんですね」
寒山は笑いながら立ち上がり、七緒と対峙した。昨日も思ったが、結構背が高い。
「……まあ、そんなかな。悪い事してると思うかい?」
「分かりません。見ていませんから」
「……はは。そうかい」
寒山は顔を後ろに向け、荒屋の集落に視線を向けた。
「50地区以降は、随分治安が悪いだろう。だから、僕が、ツバを付けて回っているんだ」
「ツバ?」
「そう。僕のものに手を出したら、ただじゃおかないぞ、て。で、その代わりに契約料を貰う。それが、僕らのビジネス」
「なら、何故昨日は抗争を…?」
寒山は視線を戻し、眉を下げた。
「君は、怖いもの知らずだなあ」
「副隊長なので」
寒山はまた笑い、話を続けた。
「勘違いする奴らがいるんだよ。僕らだけが、甘い蜜吸ってるって。それで、僕を殺して、なり変わろうとしてくる」
「お強いんですね」
「君程じゃない」
寒山は口をつぐんで、一歩、七緒に近づいた。七緒は少しドキッとしたが、その場を動かなかった。
 寒山は黙って、七緒の鼻先に指を伸ばし、そして、ゆっくり眼鏡を外した。
「…眼鏡、好きなの?」
視界がボヤける中、七緒は目を細めて、霞む寒山を見た。
「あって当たり前の物です」
「そう」
すると今度は、髪留めを外された。
「うん。綺麗だ」
目の前で、寒山の声がした。
 昨日といい、今日といい、この男は、翻弄してくる。それが当たり前で、必ずしなければいけない事のように。
「軟派な性格ですね。うちの隊長にそっくりです」
七緒が手を差し出すと、寒山はそこに眼鏡を置いた。
「隊長さんは、女の子が好き、か」
「ええ、大好きですよ。毎日追いかけ回しています」
眼鏡をかけながら、七緒は言った。目の前の寒山は、不思議な笑みを浮かべていた。
「……京楽隊長を、ご存知ですか?」
七緒が質問しても寒山は答えず、七緒の手を握って髪留めを握らせた。
「またおいで」
「昨日と仰っている事が違います」
「うん。また、おいで。次は髪を、おろして」
寒山は口元だけで笑い、七緒に背を向けると、釣り竿を持って、去って行った。
 髪留めを握ったまま、七緒は寒山の背中を見ていた。
 おろされた髪が、風になびいた。
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