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虹色の瞳の人(藍染惣右介)

5.最初で最後の

 眠れない夜が過ぎて、朝が来た。
 庭に何かが落ちたような衝撃音が響き、惣右介は目を覚ました。
「零番隊が来たな……」
緋宮は、閉じられている襖の向こう側を見て言った。
 絶望へのカウントダウンだ。
「姫様、ご支度を」
廊下で使用人が声をかけた。
 緋宮が立ち上がったため、惣右介も一緒に立ち、緋宮の着替えを手伝った。
「行ってくる。大人しく待っていろよ」
緋宮は虹色の瞳で惣右介を見上げた。
 これが見られるのも、最後だ。
 惣右介は緋宮の頬を包んで、瞼に口付けをした。
「…ありがとう……」
緋宮は微笑み、惣右介の指をそっと握ってから離し、襖に向かって行った。最後に振り向いて、虹色の瞳を見せてくれた。
「緋宮様……」
「良い子だ、惣右介。待っていろ」
惣右介と緋宮が隔たれた。襖は固く閉じられ、緋宮と使用人の足音が遠のいていった。

 さよなら、虹色の瞳………。

 何時間経ったか分からない。
 惣右介は壁にもたれて、緋宮の帰りを待った。
 緋宮様は、目を盗られて、どれくらい生きていけるのだろう……。
 彼女がいなくなって、どうやって生きていけばいいのだろう……。
 果てしない苦痛に惣右介が体を固めていると、足音が聞こえた。
 惣右介は立ち上がって、襖の前に立った。
「緋宮様」
「惣右介か、襖を開けてくれ」
急いで襖を開けると、目を瞑った緋宮がいた。髪は肩の高さまで切られ、まつ毛まで全てが白髪になっていた。
 惣右介は言葉を失い、その場に立ち尽くした。
 廊下に膝をついている使用人が説明をした。
「緋宮様の目はもう見えない。1258年もの間、体と融合していた霊王の目を取り除く負担で、視力は失われ、髪の色も落ちた。髪は、神殿に祀られる為に切ったのだ」
「下がってよいぞ。残された時間は、私の好きにさせてくれ」
「はっ。心穏やかな時間を…」
使用人は一度頭を下げると、去って行った。
 緋宮は両手をあげて、惣右介を探した。
「どこだ、惣右介、どこにいる」
「ここに…」
惣右介は緋宮の手を取り、肩を抱いた。緋宮は見えない目で、惣右介の方を見た。
「見えない事が、こんなにも怖いと思わなかったよ」
怖いと言っているが、緋宮は穏やかな表情をしていた。逆に、惣右介は顔を歪めた。あの、虹色の瞳が消えたのが、悲しかった。
 惣右介は緋宮を抱きかかえる様にして、布団の上に連れていき、座らせた。手は、ずっと握ったままだ。
「……お前は、まだ私を好いていてくれるか?」
緋宮が惣右介に語りかけた。
「何をおっしゃるんですか…。僕は、ずっと貴女を好きでいますよ」
「……お前が見えない。お前の気持ちが分からないのが、怖い。そうか、皆はこんな恐怖を抱えて、共に生活をしているのだな。たまげた」
緋宮は困ったように笑った。惣右介は、片手を緋宮の手に置いたまま、片手で緋宮の頬に触れた。緋宮は、肩をびくつかせた。驚いたのだ。
「すみません…驚かせて…」
「いや、よい。先が分からぬのも、新鮮だな。続けよ」
惣右介は緋宮に顔を寄せて、ゆっくり、キスをした。今度は、緋宮は驚かなかった。
 今までしたことの無い、深く、ねっとりとしたキスをした。舌を絡ませ、緋宮のツバを飲んだ。緋宮は何も言わず、ただ惣右介に合わせて、舌を絡ませた。舌が、愛おしいと、語っているようだった。
「着物を脱がせろ」
緋宮が両手を広げて言った。惣右介はまたゆっくりと、緋宮の巫女の着物を解いていった。最後の襦袢にきて、惣右介は手を止めた。
「……どうした?」
緋宮が初めて、惣右介の行動に疑問を投げかけた。
「僕が、何を考えているか、わかりますか?」
「分からぬ」
「……そうですか。よかった」
かっこ悪い劣情を、緋宮に知られずに済んだ。
 惣右介は、興奮していた。不謹慎だと、思っていたが、緋宮を抱ける事に、言いようのない快感を感じていた。
 襦袢を脱がせると、玉のような美しい肌が出てきた。前は気にする余裕が無かったが、今は、ただ見とれた。髪も肌もまつ毛まで白い緋宮は、さながら天女のようだった。
「…美しいです。緋宮様……」
「本心か?」
「もちろん」
惣右介は緋宮を布団に寝かせ、体に舌を這わせた。全身くまなく丁寧に、舐めた取った。緋宮は声こそ出さないが、感じているのが肌で分かった。
「…惣右介」
「はい」
緋宮は惣右介の頭を抱いて、天井を見た。
「何故人が性行為をしたがるか、目が無くなってようやく分かった」
「……なぜですか」
「想いを、伝える為なのだな……」
今度は緋宮が上になり、惣右介の鎖骨に口付けをした。
「分かり得ない想いを、伝えあう為に、肌を合わせるとわかったよ」
惣右介は緋宮の背中に手を回し、優しく抱きしめた。緋宮は惣右介の腕の中で安心の吐息をもらし、惣右介の胸に頭を預けた。
「今の貴女にも、僕の想いは伝わりますか…?」
「ああ、伝わる」
 二人は、ゆっくりゆっくりお互いを愛し合った。いつ終わるか分からない夢から目をそらし、今この時を心に刻んだ。
 悔いはある。貴女を守れなかった、貴女を連れて逃げなかった僕を、許してください。
 お前は、私の望みを全て叶えてくれた。お前には、感謝しかない。ありがとう、惣右介。
「……ハッ…んん……」
「苦しいですか?」
「ん、いや、大丈夫だ。急ぐな。まだお前と繋がっていたい」
上に被さる惣右介の肩に手を回し、緋宮は微笑んだ。華奢な緋宮の体は、少し力を込めただけで壊れてしまいそうで、惣右介は理性を保って、優しく抱いた。
「このまま、時間が止まればいい……」
本能に身を預けた方が楽なのだろう。理性を保っていると、緋宮の命の灯火が消える事を考えてしまう。今は一心に、愛する人を抱きたいというのに………。
「惣右介………」
緋宮が目を開けた。虹色のだった瞳は消え、代わりに灰色の淀んだ球体か入っていた。
「お前が心配だよ、惣右介。私は、もうお前に何もしてあげられない。今後、お前が深い闇に包まれても、救えない。惣右介………」
灰色の瞳から、涙が流れた。惣右介は指でそれをすくい取った。
「先が見えなくても、必ず進め。そうして、人は強くなる。覚えておけ」
「……死なせてください。貴女と」
「ならん。お前は生きろ。思うがままに生きてから死ね。ただ、恨むなよ、憎むな。誰も恨んではならんぞ」
「できません」
「するんだ」
緋宮は惣右介を強く抱きしめた。惣右介も優しく緋宮を抱き、愛を吐き出した。
 ああ、時間が進む。逝ってしまう。霊王が、愛おしい人を、連れて行く……。
 
 二人は布団の上で横になり抱き合った。惣右介は耳を緋宮の胸に当てていた。
「……弱く、なっているのが……分かるか………」
緋宮の声が小さくなっていく。
「最後まで……聞いていて……く、れ………」
「緋宮様………」
「あり…がとう………そう………す………………」
最後の心音と共に、緋宮の言葉が途切れた。惣右介は顔を上げて、口元に耳を持って行った。
 息が聞こえない。
「緋宮様!!!」
惣右介が起き上がると、そこには、腕を投げ出したまま、ピクリとも動かない緋宮が転がっていた。
「あ、ああ、ああああああ!!!!緋宮様!!!!」
頭を抱いて起こしても、緋宮は動かなければ、息さえしない。なのに、まだ体は温かく、寝ているだけのようだ。
 その時突然襖が開いて、5人の上位神官が入ってきた。


「緋宮様のご遺体を、こちらへ」
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