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虹色の瞳の人(藍染惣右介)

2.理解者

 大炊御門緋宮梅桃桜は、じっと惣右介を見ていた。優しい、哀れみの目だ。
「…まだ怒っているな」
「いえ、私は怒ってなど…」
「違う。私にでは無い。親兄弟に、だ」
惣右介の中の時間が巻き戻されて、父親と兄弟に会いに行った日の光景がありありと浮かんだ。そして、腹の底に、黒いヘドロのような感情が渦を巻いた。消える事の無い、汚い感情。
 殺した。僕が殺した。僕がそうさせた……。
 惣右介は黙り、目を見開いたまま、緋宮から目をそらせなくなった。
「お前は何も悪くない」
 誰にも、自分でさえ考えつかなかった言葉を、緋宮は惣右介に投げかけた。
緋宮の目は変わらず、慈愛に満ちていた。
 惣右介の目から産まれて初めて、涙がこぼれた。
 出会った直後の女の前で、惣右介は隠す事なく、泣いた。
 隠した所で、千里眼の彼女の前では意味など無いと分かっていた。
 彼女から、そんな事言われるとは、思わなかった。
「何故……何故、そう言えるのですか…」
「来い。惣右介」
緋宮は手を伸ばして、惣右介を呼び寄せた。惣右介は言われるがまま、緋宮の前までずり寄った。
 緋宮は惣右介の首筋を掴むと、惣右介の頭を胸に抱いた。
「お前はただ、望まれて産まれただけだ。妻が死んで、父親は憎む対象が欲しかったのだ。理不尽な父親だったな……可哀想に……」
誰も、そんな事言ってくれなかった。自分を知っている家族や住職は、ただ自分を憎んだり、怯えていた。自分を隠すと、今度は羨まれるか、嫉妬された。だれも、心の痛みも、寂しさも、気づいてくれなかった。
 惣右介は緋宮の腕を掴んで、胸に顔を埋めて泣いた。母親を求める子どものように。
 理解されるのが、こんなにも幸せだと思わなかった。
 緋宮は優しく惣右介を包み、頭を撫でた。
「お前が産まれる前から、お前がここに来るのを知っていた。ずっと心配していたのだ、惣右介。よく来てくれた」
「ずっと、僕を、見ていてくださったのですか?」
「そうだ。結界の中で、抱きあげられる事なく泣いていたのも。家族から受けた酷い行為も、全てだ。助けられず、すまなかったな。私はこの屋敷から動けんのだ」
 ずっと見られていた。
 常人なら、気味悪がるだろうが、惣右介には、それが最上の喜びだった。
 自分の全てを理解し、受け入れてくれる人をずっと探していた。男でも女でも子どもでも老人でも良かった。
「ありがとうございます…緋宮様…」
「ああ。だが、惣右介。私もお前に救われている」
緋宮はまた、惣右介の頭を撫でた。虹色の瞳を細めて微笑んだ。
「私にここまで心を許してくれたのは、千年生きた中で、お前が初めてだ」

 それから、緋宮は沢山の事を説明してくれた。
 緋宮は、成人前の女性の姿だが、千年以上前に霊王の目をその目に宿して、ずっと生き長らえている。
 災害や戦乱を予知し、御艇に知らせるのが彼女の役割だった。
 だが、見れるのは災害や戦乱だけでは無い。個人の過去や未来、感情まで見えてしまう。
 緋宮は崇め奉られたが、同時に畏怖の目で見られた。皆が、彼女に過去や感情を暴かれるのを恐れ、近寄ろうとしなかった。
「惣右介だけが、心の支えだった」
緋宮は惣右介の手を握って、また微笑んだ。
「いつか会えると分かっていた」
 惣右介は、緋宮の孤独が良く分かった。どんなに尊敬されようが、大切に扱われようが、決して埋まる事の無い他人との距離と、心の穴。
 その痛みを、二人は舐め合う事が出来る。
「僕は…必ずあなたを守ります」
惣右介は緋宮の手を取り、頬に当てた。
 まるで昔からの仲のように、二人の心の距離は近かった。何でも許せるし、許されるような気さえした。

 緋宮は、屋敷から出る以外は何でも許された。
 夕方、二人は池の見える縁側にお膳を並べて、共に夕食を取った。使用人にはいい顔をされなかったが、緋宮は気にしなかった。
 夕食は、惣右介の好きな物ばかりだった。
 食事をしながら、二人で昔の事を話した。全て分かっているのに、緋宮は惣右介にあれこれ聞いた。
 何故かと不思議に思うと、自分の口で話すのが大事なのだと言われた。

 夜、緋宮は惣右介と寝ると言って聞かなかった。それは流石に反対された。
「姫様、それだけはおやめください」
使用人が惣右介の前に立って、緋宮を近寄らせ無いようにした。
「惣右介が私に手を出すと言うか」
緋宮は威圧的に言った。使用人は答えない。気まずそうに、口を真一文字に結び、目をそらした。
「惣右介は私に無礼を働かない。それよりも、貴様の過去の方がよっぽど無礼であろう」
「姫様!」
「暴いてやろうか?貴様がここに来る前に、長年の親友にした……」
「緋宮様」
惣右介は使用人の前に出て、緋宮の口を手で覆った。後ろには、脂汗をかいて震える使用人がいた。
「僕は、緋宮様と寝ます。何もしません。緋宮様の自由にさせてください」
惣右介が使用人に言うが、使用人は口を開けるだけで声を発しなかった。
「もういい。去れ」
惣右介の手から顔を離した緋宮の一言で、使用人は転がるように逃げて行った。
 緋宮は寝室に惣右介を招き入れると、布団に大の字に横たわった。
 惣右介はその横に座った。
「駄目なのだ」
天井を見つめながら、緋宮は呟いた。
「私を畏怖する感情が見えると、平静で居られなくなる。自分が傷つかない様に、相手を傷つけてしまう」
緋宮が手を伸ばして来たため、惣右介はその手を握った。
「分かります。僕は距離を取ってしまいますが、ここに居ては逃げられませんね…」
惣右介の言葉に、緋宮は満足そうに微笑んだ。
「…惣右介は、私を好いてくれているな」
「ええ。緋宮様だけが、僕を知ってくださいますから」
「私も惣右介が好きだよ。ずっと好きだった」
「ありがとうございます」
「おいで」
緋宮はそう言って惣右介を引き寄せ、横になった惣右介の顔を抱きしめた。惣右介も緋宮の腰に腕を回した。華奢な腰だった。
 他人と同じ布団で寝るのは初めてだった。緋宮から伝わる熱に、惣右介は安心して、すぐにウトウトし始めた。
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