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短編

獣蓄(更木)

 やちるが消えた。
 隊士達に探させても、誰一人見つけられなかった。
 卍解をした時に見たのは、結局夢だったのか現実だったのかも分からないまま、時間だけが過ぎていった。
 

 更木達十一番隊は、野盗狩りの為に流魂街第八十地区に来ていた。
 更木剣八の故郷更木地区には、人よりも獣に近い男達で溢れており、死神を見て逃げ出す者、刀を奪おうと襲いかかって来る者など様々だった。
 ただ、今日の目的はそいつらじゃない。
「一角、殺したら駄目だよ」
「分かってる。襲ってきたから殴っただけだ」
手に鎌を持った男に馬乗りになりながら、一角は男の顔を殴った。男はよく分からない言葉を喚いていたが、一角が2、3発殴ると大人しくなった。
 

 滅却師との大戦以降、魂魄のバランスを保つ為に流魂街の野盗といえど殺す事はご法度になった。
 だがここ最近更木地区での魂魄消失が激しく、原因の調査が十一番隊に言い渡された。十二番隊の見立てでは、1人の野盗の仕業らしいが、今のところそれらしい者は見つからない。
 
 一角と弓親が荒くれ者達を相手にしている間に更木の姿が見えなくなっていた。
「あれ?隊長は?」
「嘘だろ!?こんな所で迷子かよ!!」

 軟弱な魂魄を相手にするのに飽きた更木は、適当にフラフラ歩いていた。
 
 故郷といえど、感慨など無い。いつ来ても、腐った血と肉と、死の匂いしかしない。戦いは好きだが、死は好きじゃない。死の匂いを嗅いでいると、ここにいた頃の飢えを思い出す………。
 
 更木は気づいていないが、知らないうちに草鹿との境界に来ていた。それでも、更木は歩き続けた。なんとなく、知っている道のように思えたからだ。
 草むらを抜けると、林の中の開けた場所に出た。その瞬間、更木に過去の記憶が蘇った。
 更木は意図せず、やちると出会った場所に来ていた。
 
 もしもやちるが野晒だとしたら、何でこんな場所にいた……。
 
 考えても答えの出ない事は、更木は考えない。すぐに頭から疑問を追い出し、その場をぐるりと見回した。よく見たら、新しい死体が何体か転がっていた。
 死体の中心には、小さな影が見えた。
 更木が片目を凝らして見てみると、その小さな影が動いた。
 女の魂魄だった。
 汚れきった肌に、伸び切った髪、一見すると獣とも男とも見て取れるそれを女だと理解できたのは、ボロボロの着物の隙間から乳房が微かに見えたからだ。
 女は更木を見つけると、犬のような唸り声を出し、四足の体制で更木を警戒した。
「………犬みてえな奴だな」
更木が呟くと、女はますます体制を低くして、今にも更木を襲いそうだった。その間も、女は更木が理解できる言語は話さず、ずっと唸っていた。
「その死体はお前がやったのか」
質問した所で答えは返ってこない。
「ちっ、仕方ねえ。捕まえて持ち帰るか」
更木は大股で女に近づくと、女に向かって手を伸ばした。
 だが、ふと手を止めた。
 
 俺が拾わなかったら、やちるもこうなってたのか?

 更木にしては人間じみた考えが頭を過ぎった瞬間、更木の腕に女が噛み付いた。
 歯が肉に食い込み、更木の腕から血が滴った。
「ほう………やるじゃねうか、犬女」
女は歯を食いしばり、更木の肉を喰いちぎろうとしたが、更木の強靭な肉体はそう簡単に千切れなかった。
「来い、犬女」
更木は女のノミまみれの髪を鷲掴みにし、引きずるようにして女を連れて行った。


 一角と弓親が更木を探していると、遠くの方から犬が吠えているような声がした。
 そちらに行ってみると、更木が女を引きずってこちらに歩いて来る所だった。女は犬のように更木に吠えたり、手足をバタつかせているが、更木に髪の毛をガッチリと掴まれており、逃げれないようだった。
「隊長!どこ行ってたんスか。こいつは……」
一角が女を覗き込むと、女は爪を立てて一角の顔を引掻こうとしたが、届かずに空を切った。
「死体の中にいたから連れてきた。コイツ、俺の腕を噛みちぎろうとしてきやがった」
「へえ、隊長の腕を…」
弓親が感心したように更木の腕を見ながら自分の口元に手をやり、何か考えるような仕草をした。
「この子が、僕らの探してた原因でしょうか」
「さあな。連れてきゃ分かる」
女はそのまま更木に引きずられながら、精霊艇に連行された。


 「それにしても、汚い子ですね」
ノミが付かないように、弓親は更木と女から距離を取っていた。
「あんな場所に綺麗なやつなんかいる訳ねえだろ」
更木が苦々しく言い放つ。
「やちるも………」
こうなってたかも知れねえ、と言いかけて、更木は言うのをやめた。
 居ない奴の事を言ったって意味がねえ。
 だが、やちるという名を聞いた二人は既に何かを感じ取っており、更木を敢えて見なかった。
「………風呂にでも入れりゃあ、多少はマシになるんじゃ無いスかね」
「その前に総隊長に報告がてらこの子を見せないと」
一角と弓親が話している間も、女はずっと唸ったり吠えたりして暴れていた。

 「女の子だったわけ?大量殺人の犯人は」
 総隊長の京楽は、更木の手の中で暴れる女を見ながら驚いたような声を出した。一角と弓親は、報告書を作りに隊舎に戻った。
「喋らねえから分かんねえ。とりあえず連れてきた」
「まあ、その子が原因なら魂魄の減少は止まるだろうし、それまでここで預かろうかね。七緒ちゃん、四番隊に保護の要請出して」
「はい」
「必要ねえ。俺が連れて行く」
更木は七緒の動きを止め、また引きずるようにして女を連れて行った。
 今度は髪では無く、両腕を更木の左手が掴んで引きずっていたが、女は足を踏ん張り連れて行かれまいとしていた。一番隊舎には、女の慟哭に近い叫び声が響いた。
「大人しくしろ犬女。獲って食やしねえよ」
更木が声をかけても、女は暴れて叫び続けていた。連れてきた時から叫んでいる為、声が枯れ始めてきたが、女は叫ぶのをやめなかった。
 更木はふと足を止めて、女の顔を見た。その目にはハッキリと恐怖が浮かんでいた。更木にはなんとなく、女の生きてきた境遇が分かった。
 この女にとっては、男に動きを制限される事は即ち死を意味しているのだと理解できた。
「チッ」
更木は一回舌打ちをすると、女を抱き上げ、肩に担いだ。胸を蹴られ、背中を殴られても、更木は無反応で女を運んだ。
 道中はもちろん人目を引いたが、それを気にする更木では無い。


 「風呂沸かせ」
 四番隊に着くと同時に、更木は救護内の浴場に向かって進んだ。
 運の良い事に今しがた沸いたばかりだったらしく、看護婦が更木を案内した。
 更木は浴室に入るやいなや、女を湯船の中に投げ入れた。驚いた女の叫び声が浴室に反響した。
「出てくんじゃねえ。入ってろ」
女の頭を押さえ、湯船から出ようとする女を無理矢理湯の中に浸からせた。女からしたら、初めての温かい液体だろうか。血以外で。
 更木は自分が濡れるのも気にせず、近くにあった石鹸で女を洗った。女の叫び声とは対象的に更木は無言だった。ひたすら女を押さえつけ、泣こうが喚こうが関係なしに女を泡まみれにした。透明だった湯船は、女の垢で黒くなっていた。
 救護内はといえば、あの更木が人の世話をしていると言う話でザワついた。数人が興味本位で見に行くと、世話をしているというより水攻めに近い光景に震え上がった。

 一通り洗い終えた頃には、女は呆然となっており、騒ぐ気力も無くなっていた。
 更木は垢やノミの落ちた女を乱暴にタオルで拭くと、近くにいた隊士を捕まえた。
「おい、何か食いもん持ってこい。何でもいい」
「ひっ!!は、はい!!!」
 持ってこられたのは、白米と味噌汁と焼き魚だった。更木は隊士からお盆を受け取ると、女の前に置いた。
「食え」
女は疑うように料理を眺めたあと、四足になって匂いを嗅ぎ、舌先で味噌汁を舐めた。
 ようやく食べ物だと理解できたのか、女は左手に魚を、右手に白米を握りしめ、貪るように食べ始めた。更木はあぐらをかき、黙ってその様子を眺めた。
 皿の中に食べ物が無くなると、女は床に落ちた米粒を食べようと口を床につけた。
「やめろ。汚えだろ」
更木は女の髪を掴み床から顔を離させたが、邪魔をされたと感じた女はまた暴れ始めた。
「チッ」
更木は床の米を摘むと、女の口に持っていった。食べ物が口に入ると、女は大人しくなり、必死で更木の指を食べようとした。
「………ここにいりゃあ、飯が食える。男にも襲われねえ」
更木が語りかけると、女は何かを察して更木を見た。
「…………今は思いつかねえが、いつか名前をやる」
女は、こんなふうに語る男を見たことが無いのだろう。困惑するような、安心したような、複雑な表情だった。
「拾ってやる。俺から離れるな」
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