病める時も健やかなる時も(狛村佐陣)
14.狛村夫婦
ある日、左陣を見送った朝がふと机を見ると、机の下に何やら白いものが見えた。
なんだろうと拾い上げて見ると、一枚の紙だった。昨晩、左陣が持ち帰って片付けていた仕事の書類だとすぐに分かった。
朝はすぐに身支度をして左陣を追った。
左陣が困るといけないと思って急いだが、幼少期以来運動をしてこなかった朝は、急げば急ぐほど足がもつれて何度も転んだ。
「……駄目だわ、こんな姿じゃ……左陣様に心配をかけてしまう」
着物についた汚れを払っても、土の汚れはなかなか落ちなかった。すると、じんわりと膝の辺りが赤くなってきた。
箱入り娘の朝には、人生で片手で数えられるくらいしか経験していない出血だった。
「………血……っ!!」
その瞬間、朝からサッと血の気が引いて、体を起こしていられなくなった。朝はその場にへたりこみ、めまいを起こしてしまい、堅く目を瞑った。
目がグルグルして体が重たい……。左陣様に届けないといけないのに……。
しばらくそうしていたが、焦ったところで体は動かなかった。
「朝殿」
聞き慣れた声がしてうっすら目を開くと、しゃがんだ白哉が心配そうに朝を見ていた。
「いかがなされた。この様な場所で……」
「白哉様………」
朝が力なく名を呼ぶと、白哉は朝を上から下までジッと見て、膝の辺りの着物が赤くなっているのを見つけた。
「怪我をされたか」
「……はい………」
二人のやり取りを後ろで見ていた恋次は、何故あんなかすり傷で、白哉がこんなにも大げさに心配しているのか理解できていなかった。白哉の知り合いだと言われた女性は顔が真っ青で、貧血を起こしているように見えた。だが、どう見ても貧血を起こすような出血ではない。ツバでもつけていたら治りそうな擦り傷だ。
「朝殿、救護に連れて行こう。お手を……」
「お待ちください。これを、左陣様に届けなくては……」
朝は震える手で封筒を白哉に見せた。白哉はそれを受け取ると、後ろにいる恋次に差し出した。
「恋次、これを七番隊の狛村隊長に持ってゆけ。奥方から預かったと、そう伝えればよい。私はこの方を救護へ連れて行く」
「え!?狛村隊長?奥方?あの、え?!」
混乱している恋次をよそに、白哉は朝を背負い、さっさと行ってしまった。
封筒をもった恋次は、ポカンとしたまま突っ立っていた。
「あのー、射場さん…狛村隊長いますか?」
七番隊舎で、恋次は遠慮がちに射場に佐陣の居場所を聞いた。
「おう、隊長なら隊首室におられるけえ。どうした?」
「狛村隊長に渡してくれって頼まれて」
そう言って恋次は射場に封筒を見せた。
「ついてこい」
射場に案内されて隊首室に入ると、鉄笠を被ったまま机で仕事をする狛村左陣がいた。
「狛村隊長、これなんですけど、『奥方から』預かりました」
封筒を差し出しながら恋次が白哉に言われた通りに伝えると、左陣がハッとして身を乗り出した。
「朝が?どこで渡された?」
「あ、朝……?あの、女性が道でうずくまってて、膝を擦りむいてちょっと血が出てたんで、俺がこれ預かって、本人は朽木隊長が救護に連れて行きました」
左陣は勢いよく立ち上がると、射場に目で合図した。
「すまん鉄左衛門、少し出てくる」
「へい。いってらっしゃいやせ」
恋次が訳もわからず二人を見ていると、左陣が恋次の目の前に立って、肩に手を置いた。
「阿散井副隊長、書類の件感謝する。それを持ってきたのは私の妻だ」
「つ、妻?狛村隊長、結婚してらしたんですか?!」
「朝は箱入りでな。大方焦って転んだのだろう。あれは運動音痴でな。怪我などもした事が無い故、慣れない血に貧血をおこしたのかもしれぬ。家まで送ってくる」
一通り予想で説明し終えると、左陣は恋次から手を離し、隊首室から出ていった。
恋次は黙って聞いて左陣を見送ったあと、射場に疑問の目を向けた。
「隊長の奥方は貴族育ちじゃけえ。転んで怪我するなど、もっての他じゃ」
貴族と聞いて、恋次はようやくあらゆる事に納得がいった。
四番隊救護詰所に佐陣が行くと、近くにいた隊士が左陣を見つけ、寄ってきた。
「狛村隊長。奥様は卯ノ花隊長といらっしゃいますよ」
それを聞いて安心した左陣は、隊士に礼を言って隊首室に向かった。
朝は卯ノ花と向き合うようにしてソファに座っていた。顔色は悪いように見えない為、大分気を取り直したようだった。
「左陣様っ」
「朝、座っていなさい」
立ち上がろうとした朝を佐陣が止め、卯ノ花に軽く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、卯ノ花隊長。家内がご迷惑を…」
左陣が詫びを言うと、卯ノ花はにっこり微笑んで首をかしげた。
「迷惑になるような傷ではありませんでしたよ」
「烈様が、あっという間に傷を治してくだりました」
「それなら良かったが……。帰ろう、朝。送っていく」
左陣が手を差し出すと、朝の顔がパッと明るくなり、笑顔で左陣の手を握った。その様子を見て、卯ノ花が、あらあら、と笑った。
「いつまでも仲の良いご夫婦ですね」
「からかわんでください、卯ノ花隊長。また転びでもしたら大変ですから」
左陣と朝は並んで卯ノ花に礼を言うと、仲睦まじく帰って行った。
翌日、左陣が白哉の元に礼をしに行くと、改まって向かい合わせに座らされた。
「よいか狛村、貴族の令嬢とは本来走ったりなどしないものだ、専属の籠か人力車は無いのか」
「い、いや、うちは貴族では……」
「御艇十三隊隊長の奥方を歩かせるようでは、隊長の面目が無い。今すぐ籠を雇え。朽木家の籠を回してもよい」
「いや、だから、我が家は……」
「狛村、朝殿がまた怪我をしても良いのか」
「ううむ………」
「夫たるもの、妻の身を第一に考えねばならぬ」
「そ、そうだが、その………」
七番隊の戦闘時に破損した物品を狛村は隊費からでは無く、自分の給料から出している為、隊長と言えど手持ちは少ない。籠を雇う余裕など無いのである。しかし、白哉の勧めを無下にできる事も無く、鉄笠の下で左陣の耳は垂れていた。
朝に良いものを食わせたいし、着物を買ってやりたいのだがなあ……。
ある日、左陣を見送った朝がふと机を見ると、机の下に何やら白いものが見えた。
なんだろうと拾い上げて見ると、一枚の紙だった。昨晩、左陣が持ち帰って片付けていた仕事の書類だとすぐに分かった。
朝はすぐに身支度をして左陣を追った。
左陣が困るといけないと思って急いだが、幼少期以来運動をしてこなかった朝は、急げば急ぐほど足がもつれて何度も転んだ。
「……駄目だわ、こんな姿じゃ……左陣様に心配をかけてしまう」
着物についた汚れを払っても、土の汚れはなかなか落ちなかった。すると、じんわりと膝の辺りが赤くなってきた。
箱入り娘の朝には、人生で片手で数えられるくらいしか経験していない出血だった。
「………血……っ!!」
その瞬間、朝からサッと血の気が引いて、体を起こしていられなくなった。朝はその場にへたりこみ、めまいを起こしてしまい、堅く目を瞑った。
目がグルグルして体が重たい……。左陣様に届けないといけないのに……。
しばらくそうしていたが、焦ったところで体は動かなかった。
「朝殿」
聞き慣れた声がしてうっすら目を開くと、しゃがんだ白哉が心配そうに朝を見ていた。
「いかがなされた。この様な場所で……」
「白哉様………」
朝が力なく名を呼ぶと、白哉は朝を上から下までジッと見て、膝の辺りの着物が赤くなっているのを見つけた。
「怪我をされたか」
「……はい………」
二人のやり取りを後ろで見ていた恋次は、何故あんなかすり傷で、白哉がこんなにも大げさに心配しているのか理解できていなかった。白哉の知り合いだと言われた女性は顔が真っ青で、貧血を起こしているように見えた。だが、どう見ても貧血を起こすような出血ではない。ツバでもつけていたら治りそうな擦り傷だ。
「朝殿、救護に連れて行こう。お手を……」
「お待ちください。これを、左陣様に届けなくては……」
朝は震える手で封筒を白哉に見せた。白哉はそれを受け取ると、後ろにいる恋次に差し出した。
「恋次、これを七番隊の狛村隊長に持ってゆけ。奥方から預かったと、そう伝えればよい。私はこの方を救護へ連れて行く」
「え!?狛村隊長?奥方?あの、え?!」
混乱している恋次をよそに、白哉は朝を背負い、さっさと行ってしまった。
封筒をもった恋次は、ポカンとしたまま突っ立っていた。
「あのー、射場さん…狛村隊長いますか?」
七番隊舎で、恋次は遠慮がちに射場に佐陣の居場所を聞いた。
「おう、隊長なら隊首室におられるけえ。どうした?」
「狛村隊長に渡してくれって頼まれて」
そう言って恋次は射場に封筒を見せた。
「ついてこい」
射場に案内されて隊首室に入ると、鉄笠を被ったまま机で仕事をする狛村左陣がいた。
「狛村隊長、これなんですけど、『奥方から』預かりました」
封筒を差し出しながら恋次が白哉に言われた通りに伝えると、左陣がハッとして身を乗り出した。
「朝が?どこで渡された?」
「あ、朝……?あの、女性が道でうずくまってて、膝を擦りむいてちょっと血が出てたんで、俺がこれ預かって、本人は朽木隊長が救護に連れて行きました」
左陣は勢いよく立ち上がると、射場に目で合図した。
「すまん鉄左衛門、少し出てくる」
「へい。いってらっしゃいやせ」
恋次が訳もわからず二人を見ていると、左陣が恋次の目の前に立って、肩に手を置いた。
「阿散井副隊長、書類の件感謝する。それを持ってきたのは私の妻だ」
「つ、妻?狛村隊長、結婚してらしたんですか?!」
「朝は箱入りでな。大方焦って転んだのだろう。あれは運動音痴でな。怪我などもした事が無い故、慣れない血に貧血をおこしたのかもしれぬ。家まで送ってくる」
一通り予想で説明し終えると、左陣は恋次から手を離し、隊首室から出ていった。
恋次は黙って聞いて左陣を見送ったあと、射場に疑問の目を向けた。
「隊長の奥方は貴族育ちじゃけえ。転んで怪我するなど、もっての他じゃ」
貴族と聞いて、恋次はようやくあらゆる事に納得がいった。
四番隊救護詰所に佐陣が行くと、近くにいた隊士が左陣を見つけ、寄ってきた。
「狛村隊長。奥様は卯ノ花隊長といらっしゃいますよ」
それを聞いて安心した左陣は、隊士に礼を言って隊首室に向かった。
朝は卯ノ花と向き合うようにしてソファに座っていた。顔色は悪いように見えない為、大分気を取り直したようだった。
「左陣様っ」
「朝、座っていなさい」
立ち上がろうとした朝を佐陣が止め、卯ノ花に軽く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、卯ノ花隊長。家内がご迷惑を…」
左陣が詫びを言うと、卯ノ花はにっこり微笑んで首をかしげた。
「迷惑になるような傷ではありませんでしたよ」
「烈様が、あっという間に傷を治してくだりました」
「それなら良かったが……。帰ろう、朝。送っていく」
左陣が手を差し出すと、朝の顔がパッと明るくなり、笑顔で左陣の手を握った。その様子を見て、卯ノ花が、あらあら、と笑った。
「いつまでも仲の良いご夫婦ですね」
「からかわんでください、卯ノ花隊長。また転びでもしたら大変ですから」
左陣と朝は並んで卯ノ花に礼を言うと、仲睦まじく帰って行った。
翌日、左陣が白哉の元に礼をしに行くと、改まって向かい合わせに座らされた。
「よいか狛村、貴族の令嬢とは本来走ったりなどしないものだ、専属の籠か人力車は無いのか」
「い、いや、うちは貴族では……」
「御艇十三隊隊長の奥方を歩かせるようでは、隊長の面目が無い。今すぐ籠を雇え。朽木家の籠を回してもよい」
「いや、だから、我が家は……」
「狛村、朝殿がまた怪我をしても良いのか」
「ううむ………」
「夫たるもの、妻の身を第一に考えねばならぬ」
「そ、そうだが、その………」
七番隊の戦闘時に破損した物品を狛村は隊費からでは無く、自分の給料から出している為、隊長と言えど手持ちは少ない。籠を雇う余裕など無いのである。しかし、白哉の勧めを無下にできる事も無く、鉄笠の下で左陣の耳は垂れていた。
朝に良いものを食わせたいし、着物を買ってやりたいのだがなあ……。
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