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病める時も健やかなる時も(狛村佐陣)

13.文通相手

 たった5年だった。
 白哉と緋真が夫婦でいられたのは。


 通夜と葬儀で、白哉は仕事に来なかった。
 葬儀の夜、佐陣と朝は朽木邸に赴いた。
 庭には篝火が焚かれ、親類縁者と思われる者が、庭にも邸内にも溢れていた。
 朝はハンカチで声を押し殺して泣いていた。
 白哉が結婚してから3年頃までは、二人はよくお互いの住まいを行き来していた。
 夫が居ない間の話し相手として、窮屈な貴族の生活への愚痴を言ったり、季節の花を見たりして、二人は親交を深めた。だが、緋真が体を壊してからは、手紙のやり取りしか出来なかった。
 朝はその手紙を持ってきていた。
 仏の枕元で、白哉は喪服を来て、来場者の対応をしていた。
 佐陣と朝は白哉の前に来ると、座って頭を深く下げた。
「この度は…」
「よい、狛村。顔を見られて良かった……」
今までの緊張が解けたのか、白哉は顔をしかめ、目を瞑った。涙を堪えているのが分かった。
「白哉様…これを…」
朝は美しい和紙で飾られた箱を、白哉に差し出した。白哉は薄目を開けて箱を見た。
「これは……」
「緋真様が、わたくしに宛てられた手紙でございます……」
白哉は不思議そうに箱を見ていた。緋真が書いた内容を思い出して、朝はまた涙をこぼした。
「内容は……ほとんど白哉様の事です……」
朝はそれ以上言えず、嗚咽を漏らした。佐陣が朝の肩を抱くと、急に白哉が立ち上がった。
「……すまぬ。少々離れる……」
白哉は足早に別室へと歩いて行った。お付の者が、朝に礼を言って手紙の入っている箱を持っていった。
 白哉がいなければ居る必要も無いかと、二人は焼香をあげて帰って行った。

 帰り道、朝はずっと泣いていた。
 佐陣はただ肩を抱いて、白哉の心中の痛みと、朝と居られる幸運を考えていた。


 1週間後、漸く白哉が出勤した。多くの者が、白哉を気にかけて声をかけた。白哉は少し痩せたように見えた。
「大丈夫か?」
廊下で声をかけて、振り向いた白哉の目は、まだ生気が無かった。
「気苦労をかけた」
白哉はそう言い、光の無い目で佐陣を見た。
「そんな事は気にするな。今はお主が心配だ。食べているのか」
「今は、あまり食欲がない…」
佐陣の心配が、今の白哉には煩わしそうだった。
「……儂も朝も、お主の力になりたいと思っている……何かあれば、何でも言ってくれ……」
「…すまぬ」
「謝るな」

 翌日の仕事終わり、白哉が佐陣の家にやって来た。
 朝は嬉しそうに、張り切ってご飯を作り、3人で食卓を囲んだ。
 白哉は相変わらず元気は無かったが、朝の作ったご飯は完食して、佐陣は安心した。
 食事が終わると、白哉が風呂敷包を取り出した。
「これを……」
封を解くと、漆で塗られた木箱だった。白哉は蓋を取って中を見せた。
 硯と小筆と墨が入っていた。
「緋真の物だ。良ければ、朝殿に貰ってほしい」
「そんな…!」
朝は遠慮無しに、白哉の手を取って蓋を閉めさせた。佐陣も白哉も驚いた。
「いただけません…!!」
朝はまたポロポロと泣き出した。白哉から手を離し、涙を拭った。
「どんな物でも、緋真様との思い出のお品物でございましょう?そんな大切な物を…」
「緋真は、朝殿に感謝していた…」
白哉は硯箱を朝の方に押しやった。
「流魂街から、我が屋敷に使用人として来て、知り合いも友も居らぬ中私の妻になり、朝殿だけが緋真の心許せる友だった。病に臥せってからも、朝殿からの手紙が救いだと、言っていた…」
白哉はまた蓋を開けると、墨を取り出し、朝に渡した。だいぶ使い古して、短くなった墨だった。佐陣の鼻に、墨の特殊な香りが漂ってきた。
「香の香りがします……」
白哉は頷いた。
「緋真が毎日使い、よく緋真からこの香りがした……今は、ただ辛い。この箱から漂う香りに、緋真がまだいるのでは、と一瞬でも考えてしまうのが、辛い。だが、捨てる事も、出来ぬ………」
だから、と白哉は続けた。
「緋真が慕った朝殿に使っていただきたい……」
白哉の悲壮感ただよう姿に、朝も佐陣も何も言えなくなった。朝は墨を胸に抱いたまま、言葉を探した。
「……使う事は、できません。ですが、我が家に大切に、保管いたします。それで、白哉様が、緋真様との思い出に浸りたくなった時に、お返しするのは、如何でしょうか………」
朝は佐陣を見上げて確認した。佐陣も、それが良い、と頷いて、白哉を見た。
「大事な物だ。大切にしろ」
「……そうさせてもらう……」

 白哉が帰り、朝が片付けをしている時に、佐陣が硯箱の匂いを嗅ぐと、よく朝に付いていたのを思い出した。
 緋真と朝の交流が深かった事が分かった。
 貴族の家を飛び出した朝にも、緋真の存在が大きかっただろう……。
 佐陣は今は無き緋真に、胸の内で感謝した。
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