病める時も健やかなる時も(狛村佐陣)
12.特大ブーメラン
長い月日がたった。朝とは相変わらず仲良くやっていた。
不満は何も無かった。幸せな日々だった。
ただ、何時まで経っても子供は出来なかった。
朝は、子供が欲しいとは一言も言わなかった。佐陣も言わないし、話題にした事も無かった。
何故なら、初めから諦めていたから。
この体では人間との子孫は残せないと、分かっていた。
二人で居よう、ずっと……。
「話がある」
ある日の隊主会の後、佐陣が自分の隊舎に帰る途中、後ろから呼び止められた。
その男から話しかけられるのは、久しぶりだった。
「何の用だ、朽木」
佐陣の顔が無意識に歪んだ。朝を侮辱されて以降、白哉とは深い溝ができた。
「ここでは話せぬ。今夜、我が邸に来い」
「断る。貴公と話す事など無い」
佐陣はまた許せていたなかった。
白哉は、ふう、と息を吐くと、敵意の無い目を向けた。
「兄に、謝りたいのだ」
白哉はそう言って去っていった。
佐陣は白哉の言葉が一瞬理解できず、しばらく白哉の背中を見ていた。
朝に、遅くなると連絡をして、佐陣は朽木邸に来た。
「流石にでかいな……」
異常にでかい門の前に佇むと、お付の者が門を開けて佐陣を迎え入れた。
広い庭を抜け、鯉のいる池の脇の離れに白哉はいた。
「来たか……」
お付の者は佐陣を中に入れると、襖を締めて去っていった。足音が遠のくのを確認して、佐陣は白哉に向き直った。
「どういう風の吹き回しだ」
「まず座れ」
白哉に言われて、佐陣は襖の前に座った。
白哉は横目で確認すると、茶を淹れようと柄杓を持った。
「いや、茶はいらぬ。笠を脱ぐ気は無い」
佐陣が静すると、白哉は静かに柄杓を置き、両手を膝に置いてじっと畳を見た。
「私は以前…家より自分の感情を優先させる者を許せぬと言ったな」
「うむ…」
「以前は、貴族に産まれた者はすべからく貴族の掟に従い、家を守るのが必然だと、思っていた……」
白哉の声には、後悔の念が籠もっていた。
「……今はどうだ」
佐陣が聞くと、白哉は目を閉じて眉間にシワを寄せた。
「家の為だけに生きるのは、難しい…」
白哉は目を開け、鉄笠の向こうにある佐陣の目をまっすぐ見つめた。
「使用人の女を妻に取ろうと考えている」
「お主がか?」
佐陣は思わず声を出した。まさか白哉がそんな考えに至るとは思ず、心底驚いた。
「本人にはまだ伝えていない。まず兄に謝りたかった……」
「義理堅いな。だが、何故お主がそんな…」
「分からぬ。だが、どうしても、彼女でないと駄目なのだ。他の嫁を取ろうなど、毛頭考えられぬ」
白哉の真っ直ぐな姿が、見合いの時の朝と重なった。
白哉は目を反らし、また畳を見た。
「男はよい。見合いが気に入らなければ断り、反対を押し切ってでも嫁に入れてしまえば良い。だが、女は違う。家と親に逆らう事は許されない。奥方の苦労は図り知れぬ……」
佐陣は肩の力を抜いた。
「礼を言う、朽木。妻の苦心を理解してくれて…」
「あの時は、すまなかった……」
「もう良い。十分分かった」
佐陣は立ち上がり、白哉を見た。
「良い知らせを、待っている」
「ああ…」
佐陣は白哉との話を誰にも、朝にすら言わなかった。
白哉の婚約の報を聞けたのは、それから半年後だった。
「あれから、長かったな」
六番隊舎の隊主室で、お祝いを言いに来た佐陣が白哉に言った。
「方々に話をつけに回っていたのだ」
書類に目を通しながら白哉が言った。
「親類縁者にか?随分反対されただろう?」
「ああ、だが、結局は押し通せる」
「……良かったな、朽木」
「ああ、礼を言う」
佐陣は部屋を出ようと扉に手をかけた。すると、背中から白哉の声がした。
「いつか、お主の邸に、妻と伺ってよいか…?」
佐陣は振り返り白哉を見た。白哉はあまり見せない柔らかな顔をしていた。
「いつでも来てくれ。家内も喜ぶ」
白哉は目を伏せて微笑んだ。
それから3ヶ月後、白哉とその妻緋真が狛村宅に来た。朝は、四大貴族の白哉が来てかなり緊張している様だった。
朝と緋真は意気投合したようで、二人であれこれ話していた。その様子を見ている白哉の顔は、御艇では絶対に見せない、柔らかい顔だった。
佐陣が白哉を見ていると、視線に気がついた白哉が佐陣を見た。
「……兄はいつまでその笠を被っておるのだ」
兄の家だぞ、と狛村にいつも通りの目を向けた。
「あまり、人に知られたくないのでな」
「兄がどんな姿をしていようと、兄への敬意は変わらぬ」
「………」
佐陣はしばらく押しだまり、ゆっくり笠を外した。
緋真は驚いていたが、白哉は眉一つ動かさなかった。
「なかなか男前だぞ。狛村」
「お主にしては上手い冗談だ」
長い月日がたった。朝とは相変わらず仲良くやっていた。
不満は何も無かった。幸せな日々だった。
ただ、何時まで経っても子供は出来なかった。
朝は、子供が欲しいとは一言も言わなかった。佐陣も言わないし、話題にした事も無かった。
何故なら、初めから諦めていたから。
この体では人間との子孫は残せないと、分かっていた。
二人で居よう、ずっと……。
「話がある」
ある日の隊主会の後、佐陣が自分の隊舎に帰る途中、後ろから呼び止められた。
その男から話しかけられるのは、久しぶりだった。
「何の用だ、朽木」
佐陣の顔が無意識に歪んだ。朝を侮辱されて以降、白哉とは深い溝ができた。
「ここでは話せぬ。今夜、我が邸に来い」
「断る。貴公と話す事など無い」
佐陣はまた許せていたなかった。
白哉は、ふう、と息を吐くと、敵意の無い目を向けた。
「兄に、謝りたいのだ」
白哉はそう言って去っていった。
佐陣は白哉の言葉が一瞬理解できず、しばらく白哉の背中を見ていた。
朝に、遅くなると連絡をして、佐陣は朽木邸に来た。
「流石にでかいな……」
異常にでかい門の前に佇むと、お付の者が門を開けて佐陣を迎え入れた。
広い庭を抜け、鯉のいる池の脇の離れに白哉はいた。
「来たか……」
お付の者は佐陣を中に入れると、襖を締めて去っていった。足音が遠のくのを確認して、佐陣は白哉に向き直った。
「どういう風の吹き回しだ」
「まず座れ」
白哉に言われて、佐陣は襖の前に座った。
白哉は横目で確認すると、茶を淹れようと柄杓を持った。
「いや、茶はいらぬ。笠を脱ぐ気は無い」
佐陣が静すると、白哉は静かに柄杓を置き、両手を膝に置いてじっと畳を見た。
「私は以前…家より自分の感情を優先させる者を許せぬと言ったな」
「うむ…」
「以前は、貴族に産まれた者はすべからく貴族の掟に従い、家を守るのが必然だと、思っていた……」
白哉の声には、後悔の念が籠もっていた。
「……今はどうだ」
佐陣が聞くと、白哉は目を閉じて眉間にシワを寄せた。
「家の為だけに生きるのは、難しい…」
白哉は目を開け、鉄笠の向こうにある佐陣の目をまっすぐ見つめた。
「使用人の女を妻に取ろうと考えている」
「お主がか?」
佐陣は思わず声を出した。まさか白哉がそんな考えに至るとは思ず、心底驚いた。
「本人にはまだ伝えていない。まず兄に謝りたかった……」
「義理堅いな。だが、何故お主がそんな…」
「分からぬ。だが、どうしても、彼女でないと駄目なのだ。他の嫁を取ろうなど、毛頭考えられぬ」
白哉の真っ直ぐな姿が、見合いの時の朝と重なった。
白哉は目を反らし、また畳を見た。
「男はよい。見合いが気に入らなければ断り、反対を押し切ってでも嫁に入れてしまえば良い。だが、女は違う。家と親に逆らう事は許されない。奥方の苦労は図り知れぬ……」
佐陣は肩の力を抜いた。
「礼を言う、朽木。妻の苦心を理解してくれて…」
「あの時は、すまなかった……」
「もう良い。十分分かった」
佐陣は立ち上がり、白哉を見た。
「良い知らせを、待っている」
「ああ…」
佐陣は白哉との話を誰にも、朝にすら言わなかった。
白哉の婚約の報を聞けたのは、それから半年後だった。
「あれから、長かったな」
六番隊舎の隊主室で、お祝いを言いに来た佐陣が白哉に言った。
「方々に話をつけに回っていたのだ」
書類に目を通しながら白哉が言った。
「親類縁者にか?随分反対されただろう?」
「ああ、だが、結局は押し通せる」
「……良かったな、朽木」
「ああ、礼を言う」
佐陣は部屋を出ようと扉に手をかけた。すると、背中から白哉の声がした。
「いつか、お主の邸に、妻と伺ってよいか…?」
佐陣は振り返り白哉を見た。白哉はあまり見せない柔らかな顔をしていた。
「いつでも来てくれ。家内も喜ぶ」
白哉は目を伏せて微笑んだ。
それから3ヶ月後、白哉とその妻緋真が狛村宅に来た。朝は、四大貴族の白哉が来てかなり緊張している様だった。
朝と緋真は意気投合したようで、二人であれこれ話していた。その様子を見ている白哉の顔は、御艇では絶対に見せない、柔らかい顔だった。
佐陣が白哉を見ていると、視線に気がついた白哉が佐陣を見た。
「……兄はいつまでその笠を被っておるのだ」
兄の家だぞ、と狛村にいつも通りの目を向けた。
「あまり、人に知られたくないのでな」
「兄がどんな姿をしていようと、兄への敬意は変わらぬ」
「………」
佐陣はしばらく押しだまり、ゆっくり笠を外した。
緋真は驚いていたが、白哉は眉一つ動かさなかった。
「なかなか男前だぞ。狛村」
「お主にしては上手い冗談だ」