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病める時も健やかなる時も(狛村佐陣)

1.正しき行い

 150年前、佐陣はまだ少年だった。
 一族と共に森の奥深くで暮らし、日々狩りをして生きていた。
 佐陣は一族の中でも郡を抜いた霊力を持ち、将来の長として教育を受けていた。
 その日は1人で鹿を狩りに行っていた。鹿は、角も毛皮も全て使える貴重な資源だ。雄の鹿を1人で狩って、始めて一人前と認められる。
 佐陣が鹿を探していると、森の奥から悲鳴が聞こえた。少女の声だった。
 人だ……。
 一族の掟の中で、人との接触は禁じられていた。だがそれと同時に、将来の長として弱き者を守る為に力を使え、とも教えられていた。
 佐陣は意を決して悲鳴の元に走った。

 悲鳴をあげた少女は走っているようだった。少女と共に数人の気配を感じた。
 なるほど、少女に狼藉を働いているのか……。
「少女に手を出すな!!」
佐陣は少女と男達の間に割って入り、立ちはだかった。
「な…!!犬!?」
「獣人だ!!ツイてるぜ!!貴族の娘に獣人、高く売れる!!」
男達は下衆な笑い方をして、ナタを構えた。佐陣の後ろにいる少女は、驚きのあまり尻もちをついていた。
 男達が切りかかって来たが、佐陣は刀を抜く事なく、男達を投げ飛ばした。木や地面にぶつかった男達は、泡を吹いて気を失った。
 佐陣は手を払い、少女に向き直った。
「立てるか?」
佐陣が手を差し出すと、少女は涙目になって、佐陣の懐に飛び込んできた。
「こ、こら!離れないか!」
「うえーーーーん!!!怖かったああああああ!!!!」
少女は泣きじゃくりながら佐陣を強く抱きしめてきた。佐陣は狼狽えたが、いつ男達が起きるかも分からない為、少女の手を握ってその場から離れた。
 
 多少開けた場所に来ると、佐陣は少女の手を離した。少女はまだ泣いており、拭いても拭いても涙が頬をつたっていた。
「私はもう行くぞ。1人で帰れるな?」
「帰れません……!ここは何処ですかぁ〜!!うわああああああん!!!」
「こら!!泣くな!!………仕方ないな、森の外れまで送っていく」
佐陣がため息をついてそう言うと、少女は真っ赤な目で佐陣を見上げた。佐陣はその時始めて少女の顔をまともに見た。涙と鼻水でグチャグチャだったが、黒目の大きい整った顔の少女だった。
「ほ、本当でございますか?!」
「うむ。だから、泣くな」
「は、はい……!」
少女は頑張って涙を拭うと、佐陣の手を握った。
「!?」
「お待たせいたしました。参りましょう」
「まて、何故手を繋ぐ必要がある!?」
佐陣は焦って少女を見たが、少女はキョトンとして佐陣を見ていた。佐陣は手を振りほどきたかったが、少女に両手でガッチリ掴まれてしまい、力づくで振りほどくのは気が引けた。
「先程も、こうしていたではありませんか」
少女は10にも満たない風貌だが、歳の割には大人びた話し方をした。
「先は貴様が動かなかったから、仕方なくだ!」
佐陣が声を荒げると、少女は明らかにションボリした顔になってうつむいた。
「でも…でも私は、手を繋いでいただきとうございます……」
少女の声は震え、目にはまた涙が溜まった。よく手の神経を研ぎ澄ませると、少女の手が震えているのが分かった。
 先まで命の危機を感じる恐怖に直面していたのだ……無理もないか。
「途中までだぞ」
佐陣はそう言って、手を握り返した。少女の顔が少しだけ明るくなり、佐陣はホッとした。

「名は何というのだ」
佐陣が少女に聞いた。
「光代朝(こうだいあさ)と申します。あの、貴方様は……」
「私の名は名乗れぬ。我が一族は人との関わりを禁止しておるのだ」
佐陣の手が引っ張られ足を止めると、後ろで朝が立ち止まり、不安げな顔をしていた。
「私を助けてよかったのですか?お父様やお母様に叱られませんか?」
少女はあれだけ怖い思いをしていながら、佐陣の心配をしていた。佐陣が聞いていた人間の様子とは全く異なり、驚いた。
 人間は我らを蔑み、見世物にする。死んだら革を剥いで、敷物にするか剥製にする。恐ろしい生き物だ。絶対に見つかるな、見つかったら殺せ。
 佐陣は大人からそう言い聞かされて育った。
 だが、この少女は私を蔑むどころか、まるで同じ人間の様に寄り添ってくるうえ、心配までしてくる……。
「私の心配は無用……朝よ、お主は私が怖くないのか?」
朝は首をかしげ、佐陣をじっと見た。
「貴方様は、わたくしを助けてくださり、手を引いてくださいました。そんな方を、どうして怖がれるでしょうか」
朝は足を進めて佐陣に並び、顔を上に向けて佐陣を見上げた。その目には、寸分の恐怖も宿っていなかった。
「それは…お主がまだ幼いからだ。モノの分別ができるようになれば、私を見る目も変わる」
佐陣は少女を見下ろし、悲しそうな目をした。期待を持たないよう、自分に言い聞かせるように言い、歩みを進めた。
 少女は佐陣に並びながら、何故か嬉しそうな顔をしていた。
「何だその顔は」
「大人になっても会ってくださるのですか?」
「何故そうなるのだ。お主に会うのはこれが最初で最後だ」
気がつくと森の外れの神社に来ていた。
 「……もう、道は分かるな?」
佐陣は朝の手を離し、ゆっくり後退した。
「もう行ってしまわれるのですか…?」
朝は悲しそうに佐陣を見た。佐陣は朝に背を向けて歩き出した。
「ありがとうございました!いつか……いつかこの御恩をお返しいたします!」
「幼子が、そのような事考えなくともよい」
佐陣はそれだけ言うと走り出した。
 朝は、恩人の姿が見えなくなっても、長い間森の奥を見つめていた。


 佐陣は家に戻る前に川に寄った。
 泥を全身にヌタくると、川に潜って泥を落とし、また泥をぬった。
 四、五回繰り返すと、自分の匂いを嗅いで人間の匂いが残っていないか確認した。
「なかなか取れないものだな……」
佐陣は人間の匂いが取れるまで、川で魚を獲った。

 大きな見落としがある事は、スッカリ忘れていた。
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