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弓親過去編

 美しくないと、生きてる価値が無いと思う。そういう脅迫観念がずっとあるから。
 汚い部屋には居たくない。昔を思い出すから。
 媚を売る女が嫌いだった。大嫌いな母親を思い出すから。
 
 鉄さんや一角は、よく色街に行く。僕もよく誘われるけど、勘弁してほしい。あんな汚い女、頼まれたって抱くもんか。
 松本乱菊が苦手だ。あのはだけた胸元や、色っぽい仕草を見ると胸焼けがする。ああいう「女」を売りにする女を、僕は嫌悪する。ハッキリ言って汚らわしいと思う。


 僕を産んだ母親は遊女だった。父はいない。誰かも分からないって言ってた。
 僕が育ったのは切店、最下級の女郎小屋だ。母は口癖の様に、病気にならなければこんな所に来なかったのに、と言っていた。部屋はいつも汚かったし、汗と性の匂いが染み付いていた。
 物心がつく頃には、母が知らない男に抱かれているのを、当たり前の様に受け入れていた。受け入れざるを得なかった。母が抱かれれば、ご飯が食べれたからだ。
 母が「お仕事」をしている間、僕は外をぶらついた。雨の日は、耳を塞いで軒下で待った。別人のような母親の喘ぎ声を聞きたくなかった。
 ある日、雪が降ってきてあまりにも寒かったから、上着を取りに部屋に入ろうとしたら、客の男からも母からもウンと殴られた。
 母は、機嫌が悪いと僕に当たる人だった。僕は、ご飯を貰うために、いつも母の顔色を伺って過ごした。
「あんたは顔しか取り柄がないんだから、キレイにしてないと生きてる価値ないよ」
僕が少しでも汚れれば、母はそう言った。母の機嫌を損ねないように、僕は毎日顔を洗って、髪をといて、着物を念入りに洗った。僕の着物は、母の物を仕立て直した女物だった。だからなのか、よく女の子と間違われた。

 ある雨の日、母が仕事をしている間、軒下で待っていると、一人の男が番傘をさしてうちの前に来た。
「ちっ、先客か」
中から聞こえる声で諦めた男は帰ろうとしたが、足元でうずくまっている僕を見下ろし、何か考えついたような顔をした。
「じゃ、お前でいいや、来い」
男はいきなり僕の腕を掴み、力任せに引っ張った。
「痛い!やめろよ!!……お母さん!お母さん!!!!」
必死に叫ぶが、部屋の中の母は行為を止めなかった。僕は絶望して、血が止まるような気持ちになった。
 母に蔑まれ、殴られても、心のどこかで、母は自分を愛してると思っていた。思いたかった。だが、その希望も粉々に砕けた。それでも僕は泣きながら、応えない母を必死に呼んだ。
「あはは。可哀想になあ、お嬢ちゃん。オジサンが慰めてやるよ」
男は泣き叫ぶ僕を無理矢理抱えて、人気の無い神社に連れて行った。
 お堂の屋根の下で、男は僕を組伏せ、無理矢理着物を履いだ。だが、僕の下半身を見て手を止めた。
「…あ?お前男か。何で言わねえんだ」
男が手を離した隙に、柵に手をかけ逃げ出そうとしたら、腐っていたのか、柵が折れた。
 尖った木を見て、僕は迷うことなく、木の先端を男の目に突き刺した。
 男は目を押さえて叫び、その場にうずくまったが、逃げようとする僕を鬼のような顔で追いかけてきた。
「クソガキが〜〜!!!!」
男と揉み合いになり、その反動で僕らは池に落ちた。
 痛みに呻く男に馬乗りになり、両足で男の腕を踏みつけて、池の中にある男の首をありったけの力を込めて絞めた。
 男はゴボゴボ言って、動かなくなったが、僕は怖くて暫く男の首を締め続けた。

 人を、殺してしまった

 母に知られたら恐ろしい事になる。僕は呆然として、池の中に立ち尽くした。
 すると、男の懐から、巾着が見えており、何だろうと思って持ち上げると、金属の音がした。お金だ。
「お金………」
初めて手にしたお金に、僕は目を奪われて、長いこと見つめていた。

 これがあれば、お腹いっぱい食べれる。
 
 その時、僕の中で無意識にあった倫理観か消えた。
 
 人を殺して、奪えばいいんだ…。

 お金を神社の軒下に埋めて隠し、お堂の血をけキレイに流して、僕は家に帰った。男の死体は動かせなくてそのままにした。
 家に帰ると、母は仕事を終えて寝ていた。
 あれだけ怖かった母が、その日を堺に全く怖くなくなった。

 それから僕は、母が仕事をしている間、人通りの少ない道で男を誘い、人気の無い所で殺して持ち物を奪った。僕の獲物は、侍から奪った脇差だ。刀もあるが、目立つから神社に隠していた。何となくだが、僕は殺しが上手いんじゃないかと思った。
 奪ったお金で、よく食べ物を買った。母のお使いだと言えば、誰も疑わなかった。
 よく食べるようになったからか、肉付きも、毛艶も良くなった。男は一層僕を女だと勘違いしてくれるようになり、仕事が捗った。
 逆に母は、落ちぶれていくのが良くわかった。シワは出来るし、肌の色も良くない。母は客が来なくなり、どんどん痩せていった。
 母に見捨てられてから、僕は母への関心を無くし、どんなに落ちぶれていこうが、助けようと思わなかった。
 そしてある日、母の手が腐った。梅毒になっていたのだ。
 みるみるうちに母は起き上がれなくなり、布団の中でうわ言を言うようになった。僕の名前は一度も呼ばなかった。
 とうとう廃人のようになった母を、僕は置いていく事にした。腐臭がするこの部屋に居たくなかった。
「母さん」
枕元で名前を呼ぶが、母はうわ言をブツブツ言うだけで、僕の方を見もしなかった。
「じゃあ、さよなら」
立ち上がろうとしたとき、母がハッキリと言葉を発した。
「ごめんね、弓親」
ハッとして母を見ると、母の目は宙を漂っていた。
「産んでごめんね。寂しかったの。ごめんね」
そうか、僕はこんな事を言われる命なのか。祝福されない命なのか。母は僕を産んだ事を後悔していたのか。
 自分の存在に失望したが、母の初めての謝罪に気持ちが動き、母に何か残して行こうと思った。
 僕は脇差を抜き、母の喉に突き立てた。母は痛みを感じていないのか、ゆっくりと呼吸が薄れていき、息が止まった。
 罪悪感は無かった。母をこれ以上苦しませ無かったのだから、親孝行だとすら思った。
 血で汚れた部屋をそのままに、僕は僕が育った切店を後にした。
 神社に行き、隠していた刀と金を持った。宛など無かったが、僕はずっと歩き続けた。
 
 ただ必死で、自分の生き方に疑問を持つ余裕なんか無かった。僕は、僕が出来る生き方を続けるしかなかった。
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